第二十五談

「(あなたが素直に帰ってくれることが一番お互いのためなのですが、仕方ないですね……でも、話す以上はここにいる人達にこれ以上危害を加えないと約束してください)」


「(約束しよう)」


 白い男は両腕を小さく開きながら頷いた。


「(……あなた方が感知した奇妙な波形の重力波。それは恐らくそこのペタルネスカ人達が使う次元タラップの開閉に伴って発生しているものです)」


「(何だそれは?)」


「(その方達はこの星での活動拠点でもあるスターシップを四次元方向に隠しています。次元タラップはそこへ至るためのゲートのようなものです)」


 白い男は鼻で笑うと、蔑むようにアマテラスに言った。


「(馬鹿にしてるのか?三次元体が四次元空間に移動できるはずがない。物理法則が異なる上位次元に無理に踏み込もうものなら、空間上で粒子が散り散りなってしまうくらい俺でも察しがつくぞ)」


「(そうですね。ですがペタルネスカ人達が行っているのは純然たる四次元空間への移動ではなく、四次元空間上に間借りした三次元空間への移動です)」


「(何を馬鹿げたことを)」


 侮蔑の笑みを浮かべ嘲笑しながらも、男はアマテラスの話を遮ろうとはしなかった。


「(馬鹿げたことですか?確かに、存在する空間に対してわざわざ制限を設けるなど、四次元体からみれば愚劣な行為かもしれませんね。しかし、あなた方三次元体からしてみればどうでしょうか?今住んでいる家の中に全く間取りを変えることなく新しい部屋を作り出すことができる。しかも資材が許す限りほぼ無尽蔵に――もしも実現できるなら、これは大きなメリットとは言えませんか?)」


「(……そんなことが本当にできるのか?)」


「(あなた方の知識や技術力ではまだまだ難しいでしょうね。ですが理屈の上では難しい話ではありません)」


 白い男は絵空事だと思いながらも、マスクの内側では蔑視の表情が消えていた。


「(とは言え、他次元空間をこんな風に活用している三次元体はペタルネスカ人以外に見たことがありません。詳しいことは知りませんが、彼女達の文明はかなり高度に発達しているようですね)」


 アマテラスの話を聞いた白い男は、品定めをするようにローアとクオッタを交互に眺めた。


「(それが本当なら夢のような技術だな)」


「(どうでしょうね?あなたが考えているほど希望的なものではないと思いますよ。それに一朝一夕で実現できるものでもありませんし)」


「(……まぁいい。なるほど、つまり不自然な重力波はその次元タラップとかいう物で他次元へ強制的に干渉することで発生している。というわけか?)」


「(ご推察の通りです)」


 白い男は腕組みをし何事かを考えているようだった。真昼達はアマテラスと白い男が何を話しているのか当然理解はできなかったが、固唾を呑みながら2人の一挙一動を見守っていた。


 薄墨色に染まり始めた森にあちらこちらから虫の声が響き渡る中、広場は不気味な静寂が席巻していた。白い男は身動き一つせず沈黙を貫いている。


 事の成り行きを全く把握できていない義丸は、真昼に言われるがまま恐ろしい殺人鬼の元へ身を寄せていたが、現状の説明を求めようにも場に満ちた重苦しい空気が義丸の開口を阻害していた。


 目まぐるしく展開する事態は現実味の無い演劇を鑑賞しているようでもあり、義丸は不思議な緊張感に包まれながら演者の次の動きに注目していた。


「(――話は分かった)」


 腕組みを解くと、白い男は射撃器具とチューブの接合部分を確認しながら素っ気なく言い放った。


「(では、お帰り願えますか?)」


「(ああ)」


 白い男はアマテラスを見ると簡単に答え、更に言葉を続けた。


「(ただし、ペタルネスカ人とやらには俺達のねぐらまで来てもらう)」


「(――約束と違いますが?)」


「(危害を加えるつもりはない。あと、あんたにも通訳として同行してもらおうか)」


 白い男の発言を受けアマテラスは鼻で笑った。


「(素直に従うと思いますか?)」


「(いや、思わないさ)」


 そう言うと、白い男は真昼の方を見るなり大声を上げた。


「(バイオン、確保しろ!!)」


 反射的にローアは身構えた。即座に五感を研ぎ澄まし一帯へ注意を巡らすが、周囲には何の変化も感じられなかった。アマテラスは動じることもなく、白い男を見つめたままだった。


「痛いっ!」


 クスノキの方から悲痛な声が上がる。その声に驚いたアマテラスは慌てて振り返った。


「真昼さん?!」


 真昼はもう1人の白い男に背後から左手を掴み上げられていた。突然現れたその男は下品な笑い声を上げながら右手で真昼の顎を掴んだ。


「(ッエッエッエ。オルガンミラー、やっぱり1人じゃ無理だったみてぇだな。俺に感謝しろよ)」


 オルガンミラーと呼ばれた男は舌打ちをしながら、背を向けるアマテラスに語りかけた。


「(と、いうわけだ。同行してもらえるな?)」


「(……あの子を放しなさい)」


 振り返ったアマテラスの顔には明らかな怒りと焦りの表情が混在していた。それは先ほどまでオルガンミラーに見せていた無機質な表情とは違い、明らかに生きた人間の表情だった。


「(理由は知らんがお前やペタルネスカ人とやらがあの娘に執心していることは分かっている。それとも、これも俺の見立て違いか?)」


 オルガンミラーはおどけたように肩をすくめた。


「(卑怯ですよ)」


 アマテラスはオルガンミラーを射殺さん勢いでにらみつけると、怒気混じりの声で言った。


「(すまないな、だが、お前の話が本当ならみすみす見逃すことはできん。まずは次元タラップとやらに案内してもらおうか。ああ、それと、血色の悪い女2人に状況を説明するのを忘れるなよ)」


「いやっ!」


 悲痛な声に引き寄せられアマテラスは再び真昼を見た。真昼は何とか拘束を逃れようと必死にもがいているようだった。


「(あー、もう!大人しくしてろ!)」


 男の拳が真昼の下腹部に勢い良く突き刺さる。声とも音とも付かないものが口から発せられると、真昼は腹部を押さえながらその場にうなだれた。


「(やめなさい!)」


 アマテラスの叫び声が周囲に響き渡る。バイオンと呼ばれた男はアマテラスの叫びを気に留める様子もなく、苦痛に歪んだ真昼の顔を持ち上げた。


「(痛かったか?ごめんな、ごめんな。でもよぉ、お前がじっとしていないから悪いんだぞ?ッエッエッエ)」


 バイオンは嘲るように笑うと、真昼の頬に自身の頬を愛おしそうに擦り付け始めた。


「(手荒な真似はするな。大事な人質だ)」


「(固いこと言うなよ。しかし種は違ってもよ、メスの呻き声ってのはいいもんだな。ソクソクしやがる)」


 バイオンは真昼の顎から手を離すと、今度は幼児をあやすようなやさしい手つきで真昼の頭を撫でだした。乱れた髪が苦悶に歪む真昼の顔を覆っていく。


「(状況を考えろバイオン。お前の下らん嗜好のために事態を複雑化するな)」


 オルガンミラーは忌まわしそうに目を背けると吐き捨てるように言った。


 バイオンはうれしそうにオルガンミラーを見つめると、次第に手の動きを荒げていき、真昼の頭をグリグリと動かした。


「(なぁ……殺さない程度なら焼いてもいいよな?そうだよ!そのほうがこいつらも自分の立場を理解できると思うぜ?そうだろ?)」


 バイオンの放った言葉にアマテラスは絶句し、問い詰めるような眼差しでオルガンミラーをにらみつけた。


「(いい加減にしろバイオン)」


 オルガンミラーはアマテラスを無視したまま、右手の握りこぶしをバイオンに向けた。


「(なんだよその手は?威嚇のつもりか?下手な芝居はやめておけ)」


 バイオンは頭を掴んでいた手で今度は真昼の右手首を掴み上げると左手の拘束を解き、だらりと垂れ下がった真昼の左腕を労わるように触り始めた。その様子を見たローアが声にならない叫びを発しながら真昼の方に走り出す。


「(動くな!!)」


 バイオンとオルガンミラーはローアのほうを向き同時に叫んだ。ローアは語気と言葉の雰囲気から意味を察すると、顔を歪めたままその場に立ち止まった。


 ローアの様子を満足そうに眺めると、バイオンは拘束している右手を更に引き上げ、真昼の耳元で何かをささやいた。


「(メスの叫び声ってのはいいよな。聞いていると愛おしさで気が狂いそうになる……そう、やっぱり若い方がいい。若いメスは声の質が違う。なぁ?)」


 真昼は腹部の痛みかそれとも恐怖からか、僅かに体を震わせていた。すぐそばでは祈りにも似たクオッタの悲痛なつぶやきが漏れる。


「(やめて……お願い)」


「(バイオン!)」


 オルガンミラーが叫んだ。


「(お前はどんな声で鳴いてくれるんだ?――俺に聞かせてくれよ)」



 僅かな空白の後、真昼の左腕は猛烈な炎に包まれた。

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