第二十三談

 白い手を忌諱きいするように義丸は後ずさりをした。


 突然のことに状況は全く分からないが、相手が真昼に対して明確な害意を示している以上、何とかして守らなければならない。明らかに身長や体格で劣る義丸がこの場に留まる理由はそれだけであった。


 背後から時折咳き込む声が聞こえる。義丸は叫んだ。


「早く逃げて!」


「(騒ぐな)」


 白い男は短い言葉を放つと、義丸に掴みかかるため一気に距離を詰めようとした。


 相手の腕に意識を集中していた義丸が次に目にした光景は、上半身を大きく右側に反りながらも左足で堪えるように立つ白い男の姿だった。


「(マヒル!その子を連れて下がってな!)」


 聞き覚えのある声が自分の名を呼んでいる。真昼は痛む喉を押さえつつ上目遣いで声の方向に視線を向けた。そこには白い男の背後に立つ雄々しいローアの姿が見えた。


「(っ痛!次から次へと、何だ一体?!)」


 周囲に奇妙な笑い声が響き渡る。白い男は素早く体勢を立て直し、振り向きざまに回し蹴りを放つ。ローアは上体を逸らしながら相手の足をやり過ごすと、お返しとばかりに男の胴を蹴りつけた。


 男はローアの蹴りをかわしながら距離を取るように後ろへ飛び退き、臨戦態勢のままローアをにらみつけた。


「(女?いや、お前、この星の人間じゃないな?……そうか、なるほどな)」


 白い男はローアに向かって何かを喋っていたが、この場にいる誰もが男の言葉を理解できずにいた。


「(不意打ちとはいただけないな。だが、そう怒るな。何もしないさ)」


 白い男は敵意が無いことを示すかのように、パーに広げた両手を胸の位置まで上げ、手のひらをローアに向けた。


「(何?突然……)」


 怪訝な表情を見せるローアをよそに、白い男はマスクの下に笑みを浮かべながらゆっくりとローアの方に歩き出した。


「(俺は調べものがあってここに来ただけなんだ、争いごとは避けたい)」


 男は穏やかな声で何かを語りだした。そしてローアを刺激しないようにゆっくりと慎重に歩を進め、握手を求めるように右手を前に付き出した。


 その振る舞いは先ほどまでとはまるで別人のように友好的かつ紳士的であった。


 付き出した右手の人差し指が不自然にローアを指す。


 その刹那、ローアは左側に大きく飛び退いた。「シュンッ」という音と共にローアが立っていた場所を何かが凄まじい速度で飛び抜ける。


「(騙し討ちのつもり?見下げ果てた野郎だな)」


 ローアは冷静に毒づきながら、相手の次の動きに備えて身構えた。しかし、白い男は体を動かすことなく呆然と立ち尽くしていた。


(……なぜ分かった?なぜ俺が撃つと分かったんだ?知らないはずだ……いや…そうか)


 白い男はだらんと両手を下ろすと、首だけをローアに向けた。


「(クジアはお前にヤられたってことか?)」


 ローアは男の声を気にもせず、無言のまま男の右手側に回り込むようにゆっくりと動いていた。


「(随分と肝が据わってるようだな)」


 白い男はゆっくりと向きを変えるとローアを正面に捉えた。そして、地を蹴り飛び掛かろうとしたその瞬間、「パパンッ」という音と同時に男は背中に複数の衝撃を受けた。


 男がとっさに後ろを振り向いた機に乗じてローアは一気に間合いを詰める。


 気配を感じ取った男がすぐにローアの方へ向き直るが、矢のように放たれた電光石火の蹴りは男のみぞおちを容赦なく突き刺した。


 クオッタは構えていた銃を下ろすと「マヒル!」と叫び、ジェスチャーで自分の立つクスノキの陰へ真昼達を呼び寄せた。


「(もう一匹隠れてたか)」


 男はローアの蹴りを両手で受け止めていた。ローアはすぐに足を引き戻すと、再び後方へと距離を取った。


 男はローアを追うこともなく、衝撃を感じた辺りを右手でまさぐった。すぐに妙な粘り気を感じた男はその手を戻し顔に近づけた。


 マスクによって匂いまでは確認できなかったが、指先には鮮やかな赤色の液体が付着していた。


(毒物?――いや、迷彩対策か?)


 男は指先に付いた液体を弄びながら何かを考えていたようだったが、やがて呆れたようにボソリとつぶやいた。


「(アホが、片っ端から手の内バラして逝きやがって)」



『なかなか照合がうまくいかなくて手間取りました。どうやら白い人というのはセルトヌーダという星から来ている異星人らしいですね』


 詩音と共にタブレットで外の様子をうかがっていたちゃぼ子にアマテラスからの声が届いた。


(そうですか)


『滞在拠点は日本よりも随分南の方ですが、先ほど聞いた特徴と照らし合わせるとほぼ間違いなさそうです』


(なぜこんな所まで来ていたのでしょう)


『さぁ?そこまでは分かりませんが、ペタ・ルネスカの方々とは違って随分と荒っぽい人達のようなので、あまり真昼さんとは接触させたくないですね。あ、一応地球に来ているセルトヌーダ人の言語データもインストールしておきますね。……ポチっと』


(真昼さんに接触させたくないですか?)


『そうですね。地球に来たのはそれほど昔ではないようですが……もうちょい。それでも随分と地球人に危害を加えているようですからね……いつも99%で止まりますね、これ。目的は分かりませんが、お世辞にも友好的とは言いがたいでしょう……はい、完了です』


(なるほど)


『こう言ってはなんですが、襲われたのが真昼さんではなくて本当によかったです。それはそうと、先ほどから真昼さんに連絡がつかないのですが、もう家に帰りましたか?』


(今、襲われているようです)


(何がですか?)


(真昼さんが、セルトヌーダ人にです)


『――真昼さんが何、え?』


(ですから、真昼さんが先ほどセルトヌーダ人に襲われて、ペタルネスカ人の2人が応戦中のようです)


 情緒に欠けるちゃぼ子の説明は事態の深刻さを伝える上であまりにも熱量が不足していた。説明を受けたアマテラスも一旦は『そうですか、ペタルネスカ人が』と、気の無い返事を返したものの、受けた説明を反芻はんすうするたびにその熱量は指数関数的に上昇し、アマテラスの思考を一気に焼き上げた。


(どうしま――)


『ちゃぼ子、すぐに真昼さんを救助しなさい!』


 アマテラスはちゃぼ子の言葉を遮り、興奮気味な声で指示を下した。


(今はペタルネスカ人に救助され無事なようです。首を少々負傷したようですが)


『首?!大丈夫なんですかそれ?!』


(ここからでは何とも言えませんが、恐らくは大丈夫です)


『恐らくってなんですか、あなたそれでも私の神使ですか!あぁ、もう!とにかくそのセルトヌーダ人を無力化してきてください。大至急です!』


(しかし、それは干渉規約に抵触してしまいますが?)


『私の大切な巫が襲われているんですよ?!そんなものは特例措置でなんとでもなります!』


(落ち着いてください。今現在真昼さんは相手の攻撃対象になっていません。それに真昼さんはまだ正式な巫になっ――)


(今襲われていなくてもペタルネスカ人が無力化されてしまったら次に襲われるのは真昼さんじゃないんですか?!あー言えばこう言う!ツクヨミですかあなたは!)


 激昂したアマテラスはちゃぼ子をひとしきりまくし立てた。今までに無いアマテラスの剣幕に、ちゃぼ子は少なからず動揺していた。


(分かりました。とにかく真昼さんのそばに向かいます。もしも真昼さんに危害が及びそうになったときは私が対処するということでご了解いただけますか?)


『……まぁ、ええ……そう、ですね。そうしてください。……いや、ちょっと待ってください。真昼さんに危害が及びそうになったらどう対処するつもりなんですか?』


(それは状況にもよりますが、逃走先を先導する、奇跡力を行使する……あとは体当たりで怯ませるなどでしょうか)


『命の危機に何を呑気なことを言ってるんですか!それにあなたが使える奇跡力は殺傷能力に乏しいものばかりじゃないですか!』


 ちゃぼ子は(使用制限を行っているのはアマテラス様では?)と思い浮かべそうになったが、話がこじれる事を恐れその意思を心の奥底にしまいこんだ。


『それに、体当たりって!……まぁ、その姿では……そうですね、体当たりですか……』


(申し訳ありません)


 ちゃぼ子の謝罪を最後に2人の会話は途切れた。


 自分の提案が受け入れられたのか拒絶されたのかは分からないが、とりあえずは提案通りに行動しようと、ちゃぼ子は出口に向かって歩き出した。



『……ちゃぼ子、命令です。すぐに三次元体に収束してください』


 出口を前にして唐突にアマテラスからの声が届いた。しかし、ちゃぼ子には命令の意図が理解できなかった。


 確かに実体を三次元体に落とし込むことによってこの空間で行える選択肢は増えるかもしれない。


 しかしその反面、それは自身を三次元物質として空間に定着させるということであり、必然的に他の三次元物質からの影響を100%被るということでもある。


 普段であれば三次元物質の刃でちゃぼ子を切ることはできても損傷を与えることはできない。それはちゃぼ子の実体が高次元体であるため、三次元体が干渉できるのは空間に投影された彼女の一断面でしかないからである。


 ところが自身も三次元体になるということは、切られれば当然傷を受け、最悪死にも至るということになる。


 余程ニワトリの体当たりが気に入らなかったのだろうか?意図が理解できずとも主からの命令である以上ちゃぼ子はその意に従うことにした。


(分かりました。収束後はどういたしましょうか?)


『――私が降ります』

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