第十一談

 義丸は脇に隠れながらドアの前に手をかざしてみた。後ろでは真昼が固唾を飲んでその様子をうかがっている。


 しかし、どれだけ手の位置を動かそうともドアは一向に開く気配がなかった。


 やむを得ず義丸がドアの前に進み出ると、それを待っていたと言わんばかりにドアは2つに割れながら左右の壁に吸い込まれていく。


 慌てて義丸が元いた場所に飛び退くと、ドアもそれに応え静かに閉じていった。


「どうだった?」


真昼が真剣な眼差しで尋ねた。


「ここから真っ直ぐな通路が延びてた。そんなに長くなかったけど、突き当たりにドアがあって、左右の壁にもいくつかドアがあったかな」


 義丸の報告を受けながら真昼は小刻みにうなずいた。


「あと、壁にいくつか窓がついてたかな」


「どうしよう、突き当たりのドアまで行ってみる?」


「うん――いや、その前に左右のドアを調べておこうかな」


「いいよ」


「窓がついてたって事は、多分、ドアの先がそれぞれ部屋になってると思うんだ。何か役に立つ物が置いてあるかもしれないし、もしもの時のためにも状況を確認しておきたいしね」


「分かった」


「ただ、中に誰かいるかもしれないから見つからないように気を付けて行こう」


 話が決まると義丸は大きく息を吐き出し、再びドアの前に立った。


 義丸の報告通り、正面には人2人がギリギリ並んで歩ける幅の通路が延びており、突き当たりにはドアが一つ見えた。


 左右の壁には間隔を空けてドアが2つづつ存在しており、それぞれのドアの両脇には先ほどの部屋同様に横長の窓が据え付けられていたが、どの窓も内側からの光は見て取れなかった。


 窓は義丸の胸の高さくらいにあり、低い姿勢で移動していれば窓際からでも見られない限り視認される心配が無さそうだった。


 義丸が先頭に立ち2人は腰を低く落としながら通路に歩み出た。


 通路上に遮蔽物は一切無く、いずれかのドアから害意を持った者が現れたとしても2人には隠れる術が無かった。いよいよとなれば真昼の盾になるくらいの覚悟が義丸にはあったが、たとえ自身が犠牲となって時間を稼いだとしても、戻った先にあるのは逃げ場のない小さな部屋だけである。


 義丸は脳内に浮かぶイメージを威嚇するかのように、奥歯を強く噛み締め眉間に力を込めた。



 右側の壁に沿って忍び足で歩いていくと、間もなく2人は最初のドア付近へと到着した。


 義丸は後を振り向くと無言のまま親指で上の窓を指した。それを見た真昼もやはり無言のままうなずいた。


 ここに到着する過程で義丸は左側の壁にある窓にも注意を払ってきたが、その窓のすぐ内側には衝立のような白い遮蔽物が置かれており、幸いにも窓としての役割を果たしていないようだった。


 義丸はゆっくり立ち上がると、壁に張り付くような格好で中の様子をうかがった。


 予想通り窓の内側には空間が広がっており、それなりの広さを持った部屋のようになっていたが、その室内には義丸の予想もつかなかった物が多数散乱していた。


 それは大小様々な直方体や立方体であり、それらのほとんどは薄い灰色をしていた。どの立体も天面に画面のような物が見て取れる事から、恐らく何らかの機械なのだろうと義丸は思った。


 室内の壁面には先ほどの小部屋で見たキャビネットのような物が並べられていたが、向かって左側の壁だけは上半分がほぼ全て窓になっており、どうやらその先にも部屋があるように見受けられた。だが、ここからでは暗い隣室の一角がぼんやりと視認できるだけで、実際にどういった部屋なのかまでは分からなかった。


 ただ、2つの部屋を隔てている壁の奥側にはドアらしいものが見えるため、通路を通らずに互いの部屋を行き来ができるようになっていることは分かった。


(どっちの部屋にも人がいるようには見えないな)


 義丸はその場にしゃがみ込むと「この部屋に入ってみよう」と真昼に持ちかけた。真昼は迷うことなく頭を縦に振った。


 薄暗い部屋に入った途端、2人は今まで聞こえなかった奇妙な音に気付いた。それはとても小さな音だったが継続的に響いており、薄い紙を裂くような音にも聞こえた。しかし意識しなければ気にもならず、頭に響くような不快な音でもなかったため、お互いその音について口にする事はなかった。


 義丸は通路側の窓から照らされる明かりを頼りに、奥の部屋との境にある壁へと向かった。2人は壁にもたれかかると、その場に座り込んで足を伸ばした。


「やっぱり、誰かいるのかな?」


「多分」


「元の場所への戻り方とか教えてくれないかなー」


 楽観的な言葉を搾り出してみたものの、真昼の心は光の届かない深海の底のように淀んでいた。義丸は静かに笑みを浮かべている。


 わずかな沈黙の後、義丸は壁から背を離し窓越しに奥の部屋をのぞき見た。すると、明らかにこちらの部屋とは雰囲気が異なっている様子が見て取れた。


 こちらの部屋は機械類と思しき物が乱雑に置かれ、どことなく倉庫のような印象を受けるが、奥の部屋は何らかの目的のために様々な物が整然と並んでいるように感じられた。


 その部屋は部屋全体が薄いベージュ色をしており、最も光の届かない部屋の右奥には積み重なった大きな樽のような物がいくつか並んでいるようだった。


 それぞれの樽の表面には何かが映し出された小さなディスプレイのような物が付いており、暗がりの中で何らかの映像を映し出しているように見えた。


 部屋の中央には大きなテーブルと思われる物が置かれていたが、天面は平らではなく縁だけが妙に盛り上がった造りとなっており、巨大な流し台の様にも見えた。その周囲にはいくつかのテーブルワゴンや機械と思しき物体が置かれており、何かの作業台である事は間違いなさそうだった。


 どの壁際にも見慣れたキャビネットが並んでいるようだったが、手前の壁側、つまり義丸が今のぞいている窓側だけは横長の机が3つ置かれており、それぞれの机上にはいくつかの小さな箱とコンピュータのディスプレイ機器のような物が乗せられていた。


(やっぱり人の姿は無さそうだ)


 義丸は再び腰を下ろすと、体に張り詰めていた緊張感が幾分和らいでいく思いがした。


「とりあえずこっちと向こうの部屋を調べてみよう。何か脱出の手がかりがあるかも知れないし」


「そうだね」


 2人は腰を屈めながら立ち上がると、手始めにそばにあった灰色の直方体に注意を向けた。


 高さ1メートルほどのその物体は、その気になれば義丸が抱きかかえられそうな大きさであり、天面が斜めに切り落とされたような形をしていた。


 触れた感じは金属や合成樹脂というよりも磁器を感じさせる手触りであり、室温に比べてなぜか冷たく感じる。


 見たところ斜面になっている部分の大半がディスプレイの役割をしているようだが、光沢のある黒地の画面には白色に光る多数のマイナス記号が規則的に並んでいるだけだった。赤色や黄色の見慣れない記号類もいくつか表示されてはいるが、それらはマイナス記号の脇に小さく表示されているものがほとんどだった。


 不思議なことに、ディスプレイの近辺をいくら見回してもスイッチやツマミの類は見つからず、開閉しそうな扉類も見当たらなかった。


 一応、物体の外面には小さな溝のようなものがいくつか走っているのだが、その溝に沿ってカバーが外れるような作りにも見えない。


 義丸は試しに画面に触れてみようかとも思ったが、予想外の挙動を懸念し、結局触れずにおいた。


「何の機械だろう」


 周囲にある似たような物体を見渡しながら義丸はボソリと疑問を漏らした。真昼は壁に沿って置かれているキャビネットの扉を眺めながら「何だろうね」と答えた。



「役に立ちそうな物は無さそうだね」


「そうだね」


 一通り室内を見て回ったが、使い方の分からない直方体と開き方の分からないキャビネット以外にめぼしい物は見つからなかった。


 それでも何か見落としはないものかと2人が周囲を眺めていると、不意に部屋の奥から「カタン」という音が聞こえた。


 義丸と真昼は反射的に音のした方向に顔を向けた。その場所は廊下側から最も離れた壁の中央付近であり、音は天井の近くから聞こえたようだった。


 2人が身構えながら暗がりを凝視していると、今度は、先ほど音がした辺りから「コォー」という小さな呻き声のような音がし始めた。


 受難への予告を感じさせる不気味な音を前にして、2人は逃げることも隠れることもできず立ち尽くしていたが、意を決した義丸が恐怖で硬直する真昼を後に壁に向かってゆっくりと歩き出した。


 僅かな光を頼りに一歩ずつ歩を進めていくと、音の発生源と思われる壁の上部に先ほどまで無かったはずの細長い穴が格子状に開いている事に気が付いた。


 顔を壁へと近づけながら穴の奥をのぞいて見ると、ファンのような物が高速で回っている様子がうかがえ、「コォー」という音はこのファンの回転音のようだった。


(ガスか?!)


 義丸はとっさに顔を離し鼻と口を塞いだが、霧状のモノが穴から噴出しているようには見えず、異臭や体の不調も特に感じられなかった。


「大野君?」


 義丸の慌てた動きに不安を感じながら、真昼は暗闇に浮かぶその背中をじっと見つめていた。


 義丸は鼻と口を押さえたまま更に壁へと近づいてみた。


 穴の付近に顔を伸ばし、鼻から静かに息を吸ってみるが、やはり異常は感じられなかった。むしろ流れ込む空気の方が清浄にさえ感じられる。


 恐らく換気用の通風孔が開いたのだろうと考え、義丸は口元を押えていた手を離した。


「大丈夫、通風孔か何か――」


 状況を説明しながら振り返る刹那、義丸の眼に奥の部屋の光景が映り込む。


 義丸は声を殺して叫んだ。

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