第二談
放課後の校内は騒然としていた。
大勢の生徒が廊下を行き交い、荷物を抱えて足早に部室へ向かう者もいれば、一目散に学校を後にする者もいる。
険しい表情で生徒会室に向かう者や、死刑台に向かう囚人のような面持ちで職員室に向かう者、中には友人との立ち話に興じたまま帰る気配が無い者も散見された。
真昼はスークールバッグに机の中身を移すと、それを肩に掛けながら桃香の席に向かった。
「それじゃ、部活がんばってね」
「超がんばっちゃうよ。また明日ね」
桃香が所属する合唱部は今月行われる合唱コンクールの地区予選に向けて猛練習を重ねていた。
今年度は桃香を含めた入部者全員が中学校でも合唱部に所属していたということもあり、部員全員でのコンクール出場が決まっていた。このため高校での初舞台で先輩達の足を引っ張るまいと、桃香は相当に気合が入っている様子だった。
どこの部にも所属していない真昼は桃香を教室に残し一人学校を後にした。
北信高校に入学したばかりのころは部活動でも始めてみようかと考えたこともあったが、何の行動も無いまま時間だけが過ぎていき、結局、中学生時代同様の帰宅部に籍を置いたまま現在に至っている。
靴を履き替え昇降口を出ると、真昼は正門に背を向け北側にある裏門へと歩き出した。
真昼の家は裏門から徒歩で5、6分程度の距離にあるため、何か理由でも無い限りは南側の正門を通る事はなかった。
◇
家に帰り着いた真昼はドアの鍵穴に鍵を差し込んだ。
「あれ?」
差し込んだ鍵は回らなかった。試しに反対側に回してみると「カチッ」という音と共にドアが施錠されてしまった。ある確信を得た真昼は改めて施錠を解きドアを開けた。
「たっだいまー」
「おかえりー」
リビングの方から雑多な音と共に真昼を迎える声が響いた。声の主は父親だった。
家に入りリビングのドアを開くと、ソファーに座った父親の
「どうしたの?今日は随分早いね」
横目にテレビの画面を見るとクラバー・ラングがロッキーを一方的に殴りつけている。真昼も何度か見た事のあるシーンだった。父親はロッキーが大好きだった。
「あぁ、今日は午後にちょっと用事があってな。有給を使って半日休んだんだ」
「そっか」
輝夫は証券会社のシステム開発部門に勤めている。以前「今は外国証券と為替に関わる業務システムをメインに改修している」と話していたことがあったが、よくわからないけど難しい仕事をしているんだろうなと真昼は思っていた。
基本的に土日祝日は休みを取れていたが、平日は22時より前に帰ってくることはなかった。いつもやさしい父親であり、真昼は輝夫が怒っているところを見たことがなかった。
父親の在宅を確認すると真昼は自分の部屋に向かった。
手早く部屋着に着替えるとそのままベッドに横になり、スクールバッグからスマホを取り出した。動画投稿サイトを開きトップページから何か面白そうな動画はないかチェックをしてみたが特に興味を引くものはなかった。
気になるキーワードも浮かばないため、仕方なく過去に視聴済みの動画をいくつか見返していると、突然SNSメッセージの着信音が響いた。花音からだった。
>「花音:塾通いめんどくさー」
真昼は苦笑しながら手早く返信メッセージを入力した。
>「真昼:頭いいんだから行かなくてもいいよ」
>「花音:ママに殺される」
>「真昼:じゃぁがんばれ」
>「花音:薄情者」
真昼も中学校のころに穂実から学習塾へ通うよう言われたことがあったが、「今より成績が下がるようなことになったら行く」と頑なに要求をつっぱねた。それでも納得できない穂実をなんだかんだと説得してくれたのは輝夫だった。
中学生での塾通いは回避できたが、今後も穂実に付け入る隙を与えないために真昼は勉強机へと向かった。
(勉強を回避するために勉強か)
自嘲気味に笑みを浮かべながらスクールバッグから教科書とノートを取り出し、最後にペンケースを取り出そうとバッグの中をまさぐるがそれらしい手応えがない。とっさにバッグの中を覗き込んでみるも、やはりペンケースは影も形もなかった。
(学校に置いてきちゃったかな?)
仕方なくペン立てからシャーペンを抜き取り、脇にあるワゴンの引き出しを開けて消しゴムを取り出そうとした。
「――なにこれ?」
消しゴムと並ぶように置かれていたそれは、引き伸ばされた球体のような形をしており、表面はガラス質の光沢を帯びた薄い
真昼はこの形に見覚えがあった。それは小学校の歴史の教科書で見た“勾玉”にそっくりだった。
しかし、この勾玉は教科書の写真に写っていた古代の勾玉とは違い、とても手作業で作られた物とは思えないほど精巧に造形されており、美しくカッティングされた宝石のような冷たい魅力を放っていた。
真昼は勾玉を手に取りながら記憶の引き出しを手当たり次第に開けていった。ところがいくら深く思い返してみてもこの勾玉に関する記録を見つけることはできなかった。
釈然としないまま指先でつまんだ勾玉を様々な角度から観察してみたが、全体的に傷や色のくすみなどは見当たらず、指先の感覚では石なのか樹脂なのか、はたまた金属なのかも判断がつかなかった。
『もしもーし、聞こえますかー?』
驚いた真昼は咄嗟に後ろを振り返った。しかし、ベージュ色の空間には真昼以外に誰も見当たらなかった。
得体の知れない不安を感じながら視線を四方八方へと動かすが、声の発生源らしきものは見つからない。不審に思いながらも机に向き直り、あれこれと思案を重ねていくうちに一つの事柄が心に引っ掛かった。
真昼は立ち上がるとベッドの上に放り出していたスマホを拾い上げた。
(何か変なアプリが起動してる?)
だが、スマホ上でそれらしいアプリが起動している様子は見受けられなかった。真昼は心を落ち着かせながら、今起きた出来事についてもう一度思い返してみた。
(確かに何か声が聞こえた。“聞こえた”?いや、聞こえたというよりも――そう、“感じた”?)
その瞬間、真昼の背筋に何か冷たいものが駆け上がった。
かすかだが確かに聞こえたあの声は、聴覚を飛び越えて脳の中に直接語りかけられたように思えたからだ。
真昼は先ほど机の上に放り出した勾玉に目を向けた。
(あの勾玉?)
机に近づくと、ためらいながらも勾玉を手に取ってみた。勾玉に変化は見えなかった。
軽く握りしめて目を閉じ、体中の感覚器官に意識を巡らせてみる。暗闇の中でつるりとした勾玉の感触だけが真昼の意識を支配した。
(――そんなわけ無いか)
握っていた手を開き、もう一度勾玉に目を向けてみるが、やはり変化は見られなかった。
『もしもし、もしもーし』
突然若い女性の声が聞こえた。しかも先ほどとは違いはっきりと聞こえる。聞こえてはいるのだが、やはり聴覚は音の振動を感じていなかった。
(やっぱり、音は聞こえないのに声を感じる)
再び真昼の背筋に冷気が走る。
『聞こえたら返事してくださーい。もしもーし』
「あっ……」
相手からの再三の呼びかけに、意図しない声が真昼の喉から漏れる。
『え?真昼さん?聞こえてますか?!もしもーし!』
真昼の声が聞こえたのか、歓喜を含んだ一際大きい声が真昼の脳内に響いた。
「……あの、……もしもし」
相手の語勢に引きずられるように真昼は言葉を発した。
『真昼さん?真昼さんですよね?!』
「そう、ですけど……」
『よかった、設定を間違えたかと思いました。これでお話しができますね!』
嬉々として話しかける相手とは反対に、真昼の心は徐々に落ち着きを取り戻していった。
「えっと、なんですかこれ?どうして私の名前を?」
短い沈黙の後、今までよりも随分落ち着いた声で女性は語りだした。
『――ごめんなさいね、私はあなたのことを随分前から知っていました。だから知り合いのつもりでつい気持ちが高揚してしまって』
「随分前から?」
『そう、ずっとあなたを見ていました』
犯罪的な危険性を感じながらも状況が全く飲み込めず、真昼は次の言葉が見つからなかった。
『まずは順を追って説明しますね。私の名はアマテラスと言います。一応、真昼さんの住む国では神様ということになっていますが――聞き覚えありませんか?』
脳裏にどこかで読んだ“
「……ありますが」
『よかった。それでですね、ちょっとこちらも色々ありまして、私の代わりに現地で、ああ、真昼さんの世界でですね、行動してくれる人を探していたんですけどね』
「はぁ」
『これが誰でも良いというわけではなくてですね、一定の資質と言いますか、ある基準を満たした人でないとダメでして』
「はぁ」
『私も随分探し回ったのですが、なかなか適合者が見つからなくて苦労しました』
「そうですか」
『まぁ、そんなこんなであなたが選ばれたわけです』
「え?」
『ですから、そちらの世界での私の代行者、つまり
真昼は勾玉を放り捨てた。女性の声は途絶え、脳内は再び静寂を取り戻した。
(なんなの一体?誰かのイタズラ?)
異常に大きく感じる心臓の拍動を抑え込もうとしてか、両手が無意識に胸を覆い隠す。
真昼はドアを開け廊下に飛び出した。
「お父さん、ちょっと来てお父さん!」
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