第5話 お願い事と秘密道具

 素早くナイフを抜き取り外套へしまうと、これも外套に入れておいたノートとペンを取り出した。



私は今、声がでない

聞き取ることはできる



 三門はカイを見る。

 カイは『なんだよ?』と声をかけるが、三門は首を捻りつつ、口をつぐんだ。

 私は書き足す。



要件は?



「……僕の妹、陽愛ひめが、極光姫オーロラ姫病になっちゃって……。起こしてほしいんだ……!」


 私は首を傾げる。

 彼が命をかけてまでお願いすることだろうか。



起こす意味がわからない



 そう私が書き込むと、三門の目が開く。


「ダメなんだ! 来週の月曜から、世界大会の予選が始まっちゃう!」

『なんの世界大会だよ?』


 カイがもちょもちょと手で顔を洗いながら聞くと、スチームバレエの選手だという。

 スチームバレエは近年できたスポーツだ。

 バレエシューズに蒸気排出を合わせた芸術的なスポーツとなる。

 フィギュアスケートとはまた違う華麗さはもちろん、新体操とも違う迫力がある。

 ハードなダンスはもちろん、ジャンプの高さ、回転の華麗さが際立つのが、このスチームバレエだ。


「うちは親がいないし、それこそコネもない。でも、世界大会の予選出場は、陽愛の努力と才能で勝ち取ったものなんだ。……それを、こんな形で終わらせたくない……!」

『来年もあるじゃん』

「……ダメなんだよ!」


 怒鳴る三門を私は睨む。

 彼は改めて背を丸め直し、呟きを繰り返す。


「……陽愛は中学2年なんだ。もう、今年しかないんだ……。今回、結果が出せなかったら、別な高校に編入しないといけない決まりもある。……コネもお金もない僕らは、特技がなければ、すぐに碧霞ここから追い出されてしまう……。……でも、それこそ、どんな結果だろうと、結果を出せないで終わってしまうのは、悲しすぎるじゃないか……!」


 ズボンを握る三門の手は白く滲んでいる。

 悔しさと、親代わりの兄としての責任だろう。

 私には想像できない感情だ。

 私は言葉を書き込む。



私は探偵でも医者でもない

無理だ



「ちち、違うんだ! 今回の事件は、天狗党員の仕業だって、もっぱらの噂で……! 過去にも似た事件を起こしてるの知らない? だけど、僕じゃ天狗党員を探せない。それに、隠密技術も持ってる彼らと対等に戦うことなんか絶対に無理だ。……だから、君にお願いしてる」


 天狗党員、か。

 まっすぐ私の目を見て離さない彼に、私はもう一つ質問をする。



私への見返りは?



「なな、なんでもする! 死ぬ以外、なんでもするよ!」


 カイは彼の傷の手当てをしおえたようだ。

 止血粘土を貼り付けただけだが、意外と出血があったようで、カイの灰色の毛皮が赤い。

 ハンカチを手渡すと、カイは丁寧に手を拭いつつ、


『だってよ。お互いウィンウィンになるんじゃね?』


 私は硬い視線を離さない三門を見直した。

 彼の緑の瞳に、意志の強さが見える。

 橙色の髪のクセの少しある髪は、伸び切ったショートヘアだが清潔感はある。

 猫背にオタク丸出しの喋り方、同じ制服でも地味さがかなり際立つ。

 そして、影の薄さはスパイ向き────


 私はノートに書き足した。

 私の要望だ。



私は指輪の会に用がある

お前にパートナーはいるか?

いるなら、いない人間を紹介しろ

いないなら、私のパートナーになれ



 書き込んだ文字をまじまじと三門は読み込んでいる。

 少し悩む素ぶりをするも、口を一文字に結び、頷いた。


「それが君からのお願いなら、やるよ、僕。……でも、」


 ぐっと顔を寄せ、真剣にはっきりと言い切った。


「ただし、妹を救ってから、ね! 僕、社交界なんか出たくないしっ!」


 前のめりで叫ぶ三門だが、譲れないものがあることに感謝した。

 それがルールだからだ。

 そのルールさえ守れば、彼はこちらの言うことを聞く。


「あとさ、知ってるかな? 黒指輪で誓い合った二人は、1年は離れられないんだ。例え喧嘩しても、嫌いになっても、ね。だから大体の子は中学からの延長とか、それこそ親同士の繋がりとか、今後の仕事の人脈関係とか、なんだけど。……その、何がいいたいかっていうと、僕とパートナーになると、ランチも一緒にとらなきゃいけないってこと。……大丈夫?」


 三門は両腕を開いて、自分を見せるような仕草をした。

 大丈夫、の意味は『こんな僕だが1年もいっしょにいられるのか?』という問いだろう。


 私は頭の先から足の先まで見やり、腕を組む。

 そんな裏設定があったとは。

 調べた情報にはなかった。

 もしかすると、生徒間のルールで公式ではないのかもしれない。


 だが、逆に考えれば仕事のパートナーを1年間得たことになる。

 いやもう、プラスに考えよう。全てがマイナスに振り切っている。

 ゆっくり頷いた私に、頬をかいた彼は恥ずかしそうに「わかった」小さくもう一度、返事をしてくれた。


 彼は自分の腕時計を見た。

 日付がついているようだ。

 瞬間、体が固まる。


「梟、その、パーティまで今日入れて3日しかないけど? え? 妹助けれる!?」


 私は素早くノートにデカデカと書き込んだ。



やる!!!!



 文字を読むと、ため息なのかわからない息を吐き出し、三門は気を紛らわすようにカイの頭をなでだした。

 カイはゴロゴロと喉を鳴らして彼の膝で丸まるが、ほどなくして、三門は急にくすくす笑いはじめた。


「あ、いや、ごめんね。君の設定、喋れないんだよね? この子を通して会話するのかなって思ったんだけど、それもちょっと違うんだね。なんか、スパイって大変だね」


 三門も私が腹話術をしていると思っているようだ。

 そう思うと、脱力感といっしょに悲しくなるのはどうしてだろう。

 カイはひょいっと二本足で立ち上がった。

 急に立ち上がったカイに顔を寄せる三門の頬をふわふわの手でむにゅっと挟む。


『悪いな、三門。オレ様は特別な傀儡猫よ。オレ様はオレ様の意思で動き、喋ってるんだな、これが!』

「ありえないんだけど」

『そうか? でも傀儡師がいねぇとしゃべらんねぇからなぁ。あ、梟がスイッチって思ってくれたらわかりやすいか』

「だからだよ。梟がいないと君が喋れないってことは、君が自我でしゃべっているとは言い難いじゃない」

『頭、かてぇなぁ。とにかく、オレは梟の代弁はできないし、梟は声がでない。オーケー?』

「じゃあ、そういうことにしとくよ」


 また笑いだすが、三門はすっと笑うのをやめた。

 カイを持ち上げ、全身を撫でながら注意深く体を探り、また首を傾げる。


「まさかね……」


 聞こえた声の意味がわからないが、カイは高く持ち上げられて焦りだす。


『オレ様は高いところが苦手なの! 降ろせよ! 怖いってば!』


 もたもた暴れるので、私がカイを受け取ると、三門は明るい笑顔でこちらを向いた。


「そうだ。ノートに書くのもだるくない? あれなら僕が君の、作るよ。どう? 極光姫オーロラ姫病のことも伝えたいし。時間ある?」


 頷くと「こっち」言いながら楽しそうに立ち上がった。

 脇腹が少し痛むらしく、頼りなさそうに笑うが、それでも彼の目はさっきよりもずっと明るい。




 庭園をこえ、ラボの棟が並ぶ場所へと出てきた。

 校舎とは少し離れた場所だが、広く、細かく区画が分かれている。


 煉瓦造りの小ぶりの洋館がいくつも並ぶが、それぞれの敷地に彼らが創り出しているだろうものたちが置いてあるため、なんのラボかはすぐにわかる。


「僕は古典蒸気傀儡創作のラボなんだ。あ、でも、先輩が卒業したから、部員は僕一人だけど」


 着いた建物の扉の横に、筆字で『古典蒸気傀儡創作研究部』と書いてある。


『なんで他にいないんだ? 傀儡創作は人気だろ?』

「うちは古典なんだ。西洋傀儡は使わないって意味。球体関節とかね。あくまで和傀儡にこだわってて、歯車とか発条ぜんまいとか使うんだ。だから全然人気ないんだよねぇ」


 人気のないラボだからか、かなり端に位置する。

 こじんまりした一軒家に見える建物だが、入ると意外と広かった。

 2階建になっており、1階は作業場、2階は吹き抜けで、小さい休憩室と備品室が並ぶ。

 作業場の壁には棚が一面に並び、彼の性格を表すように各種部品が整然と並べられている。

 さらには蒸気ストーブや蒸気コーヒーメーカーも完備され、一年中、ここで過ごしても問題ないほど、快適さがある。


「適当に座って。今、コーヒー入れるね」


 三門は水場の横にある蒸気コーヒーメーカーに豆をざっくり投入した。

 発条を巻くと、大掛かりな音がして歯車が動き出す。

 使う分だけ豆が落ちる機能があるらしく、豆がひかれ、蒸気が噴出。

 すぐにコーヒーのいい香りが部屋に漂ってくる。


 中央の大きな作業台に腰を下ろした私の元に、お茶汲み人形がコーヒーを丁寧に運んできた。

 彼女からミルクをもらい、追加したとき、三門もほっと息を吐く。


「どこから話そうか」


 そう言いながら、彼の秘密道具を創る手は止まらない。

 カイがふらふらと棚に向かって飛び跳ねているので、部品をいじらないように蒸気糸を短くしておく。


「……僕の妹を含め、昏睡状態にあるのは現在17人。中等部は10人、高等部は7人。男女の比率はバラバラ。新聞は読んでるかな? 新聞には“極光姫オーロラ姫病再来”ってあったと思うんだけど、今回はうちの学生のみなんだ。脳死状態ではなくって、ずっと夢を見ている脳波だって、先生は言ってた」


 材料が足りないのか、ガタガタと近くの棚を開け閉めしながら彼は続ける。


「似た事件がちょっと前にもあったんだけど、それ、知ってる?」


 私は2つの事件を思い出したが、彼が言いたいのは、マネキン事件ではなく、天狗党員が起こしたテロのことだろう。


 天狗党首謀者・3代目鞍馬くらまを政治犯として捕らえ、死刑判決したことへの不服から、市民を操り、国会議事堂を占拠したものだ。

 その時は病院の患者が犠牲になった。


 投薬が必要な入院患者に意図的に薬を盛り、傀儡用の関節器具を取り付け、操った事件となる。

 人質の壁をつくり、要求を飲まないなら殺し合いをさせるといって、実際、を行った。


 8名が死亡、3名が重症を負い、その負傷者の中に、皇族も含んでいたことから、国は釈放を決定。テロに屈したのだ。

 現在、3代目鞍馬はまだ生きている。

 国際指名手配をされているが、未だに尻尾すら掴めていない。


 あの事件は、人間を操っているのが遠隔操作に見えたことが敗因だったと言われている。

 人間傀儡の中に傀儡操者が紛れ、人質の中から操っていたという単純な方法だった。


「眠らせてるところに類似点があるし、今回も怪しいんだって。というか、そうじゃないかって言われててさ。実際、天狗党員の出入りがあったって話もあって」


 三門は小走りで駆け寄ってくると、「文字書く手は?」と聞くので、右手を上げた。

 すると、私の左腕に細い銀のリングを取り付ける。

 大袈裟に首を傾げた私に、三門は後ろに回った。


「後ろからごめんね。使い方を教えるね」


 彼は私の背にピッタリ胸板を合わせると、私の左手を取った。

 そして、はめた手首のリングを指でスライドさせていく。

 蛇腹状になった板が、腕の半ばまで覆っていく。

 これは、間違いなく小さなノートだ。


「……で、この、蒸気鉛筆で書くと……あ、蒸気熱の反応で書くから、蒸気補充をちゃんとしてね……で、ここに……」


 三門は自分で言いながら実践してくれるようだ。

 腕に文字が書かれていくのが新鮮で、こそばゆい。

 彼は“こんにちは”と書き込むと、リングの縁を叩いた。


『コンニチハ』


 手首から声が鳴る。


「振動で音が出る仕組み。でも、5文字が限界なんだ。梟もやってみて」


 右頬横から顔をだし言われるが、これほど近い距離で話さなくてもいいと思う。

 が、これも蒸気石を使ったアイテムだ。

 怪我がないよう見張りたいのかもしれない。

 私は自分の腕に文字を書き、フチをタップした。


『チカイ』

「お、できたようだね。使いづらさとかはない?』

『チカイ』

「だって対面だと書き具合とか上手く見れないでしょ?」

『ワカラナイ』

「じゃあ、一日使ってみて、また明日、放課後にここに来てよ。調整するからさ」


 出来上がった秘密道具に満足したのか、終始笑顔でぬるくなったコーヒーを飲み干した。

 ふと思い出した顔をして、彼の学生鞄から3枚の紙が手渡される。


「それ、よかったらあげるよ。うちの妹の行動履歴。あくまで僕がわかっている範囲、なんだけど」


 私はそれをざっくり眺め、三門に向かって手をあげてみせる。


『ハンニン』『ワカッタ』

「うそだ」


 真顔で返されるが、私はすぐに書き込んでタップした。


『スグキヅク』


 時間がもったいないため、ラボを出て会いに行こうとしたとき、重低音のメロディが鳴り響いた。

 曲は、夜のガスパールだ。

 軽快な旋律が重なるが、不協和音に似た不規則な低音が水面を跳ねるように散らばっていく。


「残念。もう寮に戻った方がいい」

『モンゲン』


 私はジャケットにしまっていた懐中時計を取り出し、三門に見せる。

 あと20分はある。


「確かに20分はあるけど、20分で解決できる? 18時の寮の門限に間に合わなかったら、減点対象だよ? 僕は家だから関係ないけど」

『だってよ、梟。な、寮の夕食ってどんなんだろな?』


 今日はここで解散となった。

 だが、この事件は明日には間違いなく解決する──!


 夕食のクリームシチューを2回おかわりしたのは言うまでもない。

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