弐拾壱

 黄昏時の医館の門前に、一人の男がいた。旅の装束を身にまとい、木箱を背負っている彼は、高い位置に掲げられた看板を眺め、時折、首を伸ばして庭の中を伺うようにして、そして自信なさげに周囲を見回す。

 と、館から若い娘が出てきて、笠の影になった、男の細い目をとらえる。娘は早足で門までやってきた。

「こんばんは。お見かけしないお顔ですわね。なにか、御用でしょうか」

「こちらは、サクラどののいらせられる、スクナ医館でござろうか」

「サクラ」

 娘は丸い瞳を、パチリとやった。

「サクラは、祖母ですわ。三年前に、亡くなりました」

「さようでござったか。お悔やみ申し上げる。それがしは、コウエンという者でござる。祖母どのがご生前に、それがしの父と取引をされておられた。約束の物が手に入ったゆえ、お届けに参った次第」

 娘は小首をかしげ、見慣れぬ男の姿をあらためる。

「ええと、薬売りの方、でございますよね。祖母からは、とくになにも、聞いてはいないのですけれども」

「おや、さようで。ですが、既に代金の方は受け取ってしまっていますゆえ」

 男はいささか困惑した様子を見せ、荷物が入っているのであろう背中の木箱を降ろそうとした。

「門、閉めますので。お上がりくださいな。なんのことやら、さっぱりですから、まずはお話しをお聞きしないと。遠くからいらっしゃったのでしょう。お宿がお決まりでなければ、一晩、こちらでお過ごしくださいな」

「かたじけない。お言葉に、甘えさせていただきまする」

 コウエンと名乗った男は、木箱を背負い直し、医館の門をくぐった。


 遠路はるばるとやってきたらしい客人に、サラはまず入浴を勧めた。四十ごろのその男は、この暑さと湿気の増してきた季節に、山を超え谷を超え歩いてきたためか、いくらかにおった。

「それがしは、熱い湯が好みゆえ。心地ようござった」

 長風呂のあと、コウエンは汗を拭いながら言った。

 夕食の用意をカヲリに任せ、サラは客人の相手をする。コウエンは、それらしい装いのとおりに、薬売りを生業としているとのことであった。祖母の依頼で届けにきたという品も、薬の類であろうが、木箱から取り出したその荷物を、コウエンは風呂敷に包んだまま、開こうとしない。

「竜骨、というものを、存じておられまするか」

「竜骨ですか。ええ、大蛇や大蜥蜴トカゲの骨ですよね」

「一般的には、そのように。それがし、本業は竜骨売りでござる。それがしらが扱うのは、元来の意味における竜骨。すなわち、竜人の背骨にござる」

「竜人」

 サラは包みを凝視する。

(聞いたこともない。あの包み、随分と大きいけれど。あれが背骨、脊椎骨のひとつなら、随分と大きな生き物なのね)

「それは、お薬なのですか」

「いかにも。いかなる不治の病も、たちどころに癒やす、妙薬とされておりまする」

「えっ」

(それを、お祖母様が。なら、もしかして)

「あの、兄のほうなら、なにか聞いているかもしれません。声をかけてきます」

 サラは忙しく立ち上がって、兄の寝床へと向かった。


「聞いてないなぁ、なんにも」

 キラは、そう答えた。うさんくさい、とも。だが、スクナ医館のサクラを、このあたりで訪ねたのなら、それは祖母に違いない。その祖母が、既に金を払っているのだという。あきらかに、この近辺の者ではない人物が、祖母の名を頼りにしてやってきた。話も聞かずに追い返せる兄妹ではなかった。

「すみません、兄はしばらく、臥せっておりまして」

 包みを抱えたコウエンを、サラは兄の寝床に案内する。行灯に強めの光をともした部屋の中、ぽつんと広げられた布団の上に、体を起こして、キラは竜骨売りを迎えた。

「やあ。悪いね、こっちまで来てもらって。キラだ。こいつとは双子」

「コウエンでござる。突然の訪問、ご無礼をつかまつる。いやはや。双子とはしかしながら、奇妙なほどに似ておられまするな」

「たまに言われるが。奇妙ってなら、あんたの喋り方も、ちょいと奇妙だぞ」

「そのようでござるな。なにぶん、父と祖父の喋りを手本に、こちらの言葉を覚えたゆえ」

「ここらの人じゃあないのは、見りゃあ分かるけれど。古めかしい印象の言葉遣いだが、流暢だ。それで、うちの婆さんが、あんたの親父さんから、買い物をしていたんだってな。なにか、それと分かるもの、持ってるのか。金払いは済ませてあるって言っても、悪いが、なにも聞いてないもんで」

「ご不審は、ごもっともでござる。契約を交わした際の、書面がござりまする。祖母どのの、署名は直筆であるはず。筆跡で、お分かり申すか」

 と、コウエンは懐から丸まれた紙を取り出した。兄妹の前に広げて見せる。

「三十年前」

「そんな昔のもの。わたしたち、まだ二十歳前ですのに」

 双子は記された日付に驚きつつ、本文に目を通す。


 竜人の第一腰椎を購入されたるとし、金五十両を預かったことを証す。契約済みの竜人が死亡、葬儀の後に甲が譲り受けたものを、速やかに乙へ渡する。

 一つには、竜骨及び竜人についての情報を、むやみに一般へと吹聴されぬこと。

 二つには、竜人の生態上、自然死に至るまでに長期間を有する。ゆえに、おおよそ四十年ほどの納期を有することを理解されたし。


 などといった内容が長く綴られ、最後に、コウエンの父の名と、双子の祖母の名が記されてあった。

「ああ、婆さんの字だな、これは」

「ええ」

 キラは書面を返して、頷いた。

「わかった、本当に約束していたらしいな。しかし、おれらの生まれる前か。どういうつもりだったんだか。そいつは、すげえ薬になるんだってな」

「いかにも。あらゆる不治の病に、効果を示すとされておりまする」

「フゥン。なあ、サラ。五十両ってのは、相当だよな。三十年前なら、なおさら。婆さんが手伝いも雇わなかった理由が、わかったぜ。これって、おれが使っていいやつだと思うか」

「きっとね。うちの家系の男子に、使わせるつもりだったんでしょう」

「やっぱり、そうだよなぁ。おれは、もう死ぬだけだが、試して記録残すくらいはできるかな。それとも、次に生まれてくる男のために、とっておこうか」

「あなたが、使って」

「兄上どのは、重病であらせられるのか」

 コウエンの問いに、キラは、うぅん、と唸った。

「重病っていうか、生まれつきの体質っていうかな。二十歳まで生きられねえんだ、うちの男は」

「なんと」

 コウエンは糸目を開いて、かけるべき言葉を探すように、薄い唇をもごつかせた。

「とにかく、うちが買ったものは受け取るさ。だが、おれらは、あんたの扱う竜骨について、なにも知らない。使い方もわからん。そのあたりのことは、教えてもらえるんだろうか」

「もちろん、お伝えできる限りのことは」

 コウエンは頷き、神妙な面持ちで、膝の前に置いた風呂敷包みを開いた。

 片手に余るほどの塊が、その姿を見せる。それはたしかに、動物の、脊椎骨のひとつの形をしている。

「これが背骨か。人間なら、十尺約3mくらいの背丈がありそうだな」

「いかにも。この背骨の持ち主は、身の丈が一丈一尺約3.3m、重さが百貫約345kgほどござりました」

「へえ。竜人ってのは、蛇じゃあないんだろう。どういう生き物なんだ」

「人と、似た姿をしておりまする」

「竜、人、と言うからには、そうなんだろうな。四本脚じゃあねえのか」

「二足で歩きまする。言葉も話しまする。我々とは異なるものの、文化を持っておりまする。ゆえに、薬になるからと、むやみに命を奪うことを、それがしらの一族は、はばかりまする。交流をし、信頼関係を築き、死後に身体の一部を譲り受けることと、その対価を約束し、いざ時が来たならば、こうしてお渡しに馳せ参じる次第」

「それじゃあ、この骨の持ち主は、あんたの友人か」

「ええ。しかし、むしろ。それがしにとっては、第二の母か、祖母のような存在でござった」

 コウエンは、細いまなじりを、わずかに下げた。

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