拾弐
その後、兄妹と家族たちは合流し、午後までかけて、今後について話しあった。途中、何人かべつの患者が訪ねてきて、その都度、兄か妹が対応に出た。
「なんだか、すみませんねぇ。普段、他人様に、こんなことは話さないんだけれど。まして、自分の子供たちよりも、若い人にねぇ。カヲリさんがね、とても親身になって、話を聞いてくれるから、ついお喋りしてしまいました、って言っていたけれど、本当ね。なんだかね、お話ししたくなるのよねぇ。不思議だわぁ。こんなね、しようもないことを聞いてくれてね、どうもありがとうございます。ああ、そうだ。ホラ、アレだわ。お宮さまにね、お参りに行くと、なんでもお話しできてしまうじゃない。心の中でねぇ。それと、おんなじような感じだわ」
老婆は、ポンと得心がいったように、手のひらを叩いた。
「体の巡りをよくすることと、同じですよ。心の中に溜め込み続けていると、淀んでいってしまいますから。涙と一緒に、苦しさを吐き出してしまうのは、とてもよいことです」
(わたしも、スクナさまには、お話ししてしまうわ。ただ、聞いてくださるから。お願いごとも、してしまうけれど。自分のことばっかり。わたしたちを頼ってきてくれる人たちの、健康を祈れたなら、立派でしょうに。わたしは、キラのぶんも、彼が望んでいるかどうかもわからないのに、願ってしまう。全部、他でもない、自分自身のため。でも、いいのよ。聞いてくださるだけで)
「そんな、大層なもんじゃねえぜ。なあ、祖母さんもさ、薬を使ったら、もう少し体が楽になると思うけれど。どうするよ」
「わたしは、もう歳だし、いいわぁ。それよりも、ミノリや、子どもたち自身のために、お金は使ってほしいのよ」
「でも、お義母さん。ようやく、詳しいお医者様が見つかったのだから。これまで、お体が大変だった分、よくなるのなら」
「そうだよ。僕の稼ぎも、安定はしているんだから。そんなに気を使わなくたって」
「いいの、いいの。わたしはね、こんなふうに気づかってくれる子どもたちに恵まれて、じゅうぶんに幸せよ。もうね、いいのよ」
老婆は頑なだった。いずれにせよ、根本的に治癒させる方法は、スクナの資料にさえもない。ただし、彼女がじゅうぶんだ、と言うように、この年齢まで、適切な治療を受けることなく生きてこられたことが、奇跡のようなものであることは、たしかであるらしい。
「うぅん。それじゃあ、食生活だけでも、気を配ってみるといいよ。海藻類を控えて、魚を食べるといい。体や気分の調子が乗らないときには、大人しく休むことだな。アレをしなきゃ、コレをしなきゃとか、考えないように。関白亭主がもういないんなら、できるだろう。息子も娘も、このとおり、理解があるわけだし。調子がよければ、日にあたって、散歩したり、気晴らしに外に出るのもいい。だが、気が進まなけりゃ、縁側で寝てるくらいでもいいさ。とにかく、もう自分の心身を酷使しないことさね」
「そうねぇ。そうしてみます。でも、わたし、酢昆布が好きなのだけれど」
「控えるようにする、ってくらいでいいよ。食べるなとは言わん。好きな食いモンも食えないんじゃあ、それこそ気が滅入るからな」
「ああ、よかった」
老婆は、水を含んで膨れた手で、ホッとしたようすで胸を撫でおろした。
「今夜も、旅籠にお泊りになるんですか」
サラが尋ねれば、カヲリは頷く。
「ええ、昨晩泊まったところに、もう一泊して、明日の朝に帰ります。ちょっとした、旅行気分ですね」
「それさあ。毎度じゃあ、大変だろうって、妹と話していたんだけど。あんたさんらがよけりゃあ、うちの空いてる部屋に、いっそ住み込んでくれねえかな。ミノリの具合、近くで見ていたいんだ。次来るまでに、考えておいてくれよ」
「えぇッ」
思いもかけなかったのであろう提案に、カヲリは声を上げた。
「あのォ、そうすると、わたしもお邪魔になりますけれども」
「こんな子供を、何ヶ月も親から引きはがす気はないって。向こうに、離れがあるだろう。こっちの母屋とは別に、厨も厠もある。ただ、しばらく人が入っていないから、一旦大掃除をしなきゃいけないと思うけれども。部家賃はいらん。ただ、母さんに家事を手伝ってもらると、ありがたい。二人で管理するには、広すぎるんだよ、この家は。ミノリは遊んでな」
「それは、わたしを働かせていただけると、いうことですか」
「給金って形で、渡せるかどうかはわからんが、そうだね。ミノリの薬代なんかは、あんたの働いた分から差し引けるかなって。こっちも人を雇ったことがないんでな。実際にやってみながら、色々考えるつもりでいるんだけれどさ。もし、早めにどうするか決まったら、手紙を寄越してくれ。住み込むようなら、片付けておくよ。そうしたら、次来るときには必要な荷物、持ってきていいからさ」
「でも、そんな。ずっと他人がお家にお邪魔していたら、ご迷惑じゃないですか」
「昔は、患者を住まわせてたんだよ。だから広い。最近は人手がないから、やってなかったってだけさ。夏の間くらいは、診させてもらいたいな。こっちの都合で、早まっちまうかもしれないけれど。それでもよければ」
「えっと、母親としては、この子がよくなる方法を探していただけるなら」
カヲリは、他人事のような顔で爪をいじっている息子を見て、斜め後ろの義母をチラと見た。
「カヲリさん、わたしのことなら、気にしないで。大丈夫。自分のことはやりますから。いつも、家事をほとんど任せてしまっているし、ご近所づきあいだって、面倒でしょう。ミノリだって、本当はわたしよりも、お母さんと過ごしたいでしょうに」
「ぼく、おばあちゃんと折り紙するのも好きだよ」
「ありがとうねぇ。ミノリはやさしい子だねぇ」
祖母は喜ばしげな笑みをあふれさせ、孫の柔い頭を撫でた。
「ありがたいことじゃないですか、義姉さん。こんなに、親身になってくれるお医者様は、なかなかいないよ。先生、ミノリの暇つぶしの本だとか、送らせていただいてもよろしいですか」
「もちろん。むしろ、会いに来てやってくれよ。先生に、先生って呼ばれるのも、不思議な気分だな。まあ、結構、乗り気だね。今日、決めちまうかい」
「ミノリ、どうする」
「いいと思う」
「それじゃあ、お願いします」
「よし、分かった。次は、半月後だな。そのときに、荷物を持って来てくれ。離れを住めるようにしておくから」
すっかりと日が暮れれば、街路は提灯の明かりで賑わう。館の門から出ていく一家を、双子は見送った。
長らく、世間と隔絶されていた空間。そこに、加わろうとしているもの。
(それを、好ましく思えないのは、わたしだけなのね)
重い門を閉じれば、再び遠ざかる俗世。玄関へと戻る道すがら、サラは兄の袖端を掴んだ。クイと引かれて、キラは背後で立ち止まる妹を振り返った。
「どうしたの」
どこかションボリとした様子のサラに、キラは問いかけた。サラはもじりとして、かぼそく呟いた。
「他人がいたら、触れ合えない」
キラは黒い瞳をパチリとさせて、それから思わず、といったふうに短く笑った。
「そういうことは、相談したときに言いなよ」
「だって、自分のことばっかりで、浅ましいでしょう」
「ちがうね。おれのためさ。わかってるよ」
「いいえ。わたしは、本当に、自分のことしか考えていない」
「でも、それは結果的に、おれのためでもあるんだよなぁ」
兄の腕の中におさまってしまえば、サラは、小柄で、華奢な娘になれてしまう。兄の温かな胸に体をくっつけていれば、彼女の心は容易に蕩ける。
「あの人らが住むのは、離れだよ。母屋とは距離がある。昼間はこっちにも出入りしてもらうけれど、夜は別さ。おんなじ囲いの中にいたって、おれたちが何をしているかなんて、分かりゃあしない。まあ、こんな庭先で抱き合ってたら、さすがに危ないけれど」
サラは震えそうになる肩を、必死におさえつけようとする。兄の背に回した腕に、力をこめた。
(残された時間が少ないことを、あなたは分かっていて、こうすると決めた。きっと、あの子が最後だから。子供の頃、真面目に勉強していたわたしより、よく抜け出しては、お祖母さまに叱られていたあなたのほうが、よほど、この仕事に誇りを持っている。わたしは、あなたのようになれない。どうしても、割り切れない。覚悟もできない。一人になるのが、不安で仕方がないの)
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