第3話 あなたは誰ですか?

 死体が所持していた財布さいふめ込まれていたおよそ1ヶ月分のレシート、枚数は多くは無く、その殆どがカフェやレストランなど飲食店のものだった。


 生活をしていれば飲食店以外のレシートも当然出て来るはずで、その中で1ヶ月分も飲食店のものばかり置いてあると言う事は、何か目的があって入れてあるものだと推測される。


 死体で発見された男は報道の通り、現状では自殺と見られていて、従って捜査員は冬暉ふゆき夕子ゆうこを含めてもさほどかれていない。身元確認に手間取ってはいるが、増員を求めるほどでも無いと思われた。


 まずは身元を調べ、判明したら裏付け捜査をし、自殺と断定されれば死体はご遺族に引き渡される。もしわずかでも殺人などの疑いが出れば司法解剖しほうかいぼうに回される。


 死因は青酸カリによる中毒死。死体の口元からはその特徴であるアーモンド臭がし、かたわらに転がっていた缶ビールの中身やこぼれていた分からも青酸カリが検出された。缶ビールに付着していた指紋は死体の物のみであり、それが余計に自殺説を有力なものにしていた。


 現場にあった物は、今のところ死体のものと思われる遺留品しか見つかっておらず、それもまた自殺有力説のひとつだった。


 足跡は男のものを含めいくつか出たが、公園という場所柄そうであってもおかしくは無い。どれもスニーカーなどの平たい靴底のものだったので、その日の昼にでも遊びに来ていた人間のものだろう。子どもと思われるサイズのものもあった。


 冬暉と夕子含む捜査員の身元確認のための外回りと平行して、鑑識課が現場検証及び遺留品の鑑定を行い、結果が出る度にデータベースにアップされ、捜査員に貸与たいよされているタブレットで閲覧えつらんすることが出来る。


「身元出た?」


「まだっすね」


 冬暉と夕子がタブレットを操作しながら、そんな会話をしたのが15時頃。シュガーパインを出た後、長居を中心にいくつかのレストランなどを回ったが、男が来店していた事をぼんやりと覚えていても、常連では無いのか身元までは判らなかった。


 あと、冬暉たちの手元にあるレシートはあびこ駅が最寄りのバーのものだけだった。先ほど訪ねてみたが開店前であり、店の人間もまだ来ていないらしく、ドアは施錠せじょうされていた。


「バー行ってみる? 開店5時やったから、そろそろ誰か来とるかも」


「そっすね」


 冬暉と夕子は1駅電車に乗ってバーに向かう。あびこ駅周辺は商店街もあって賑わいを見せているが、繁華街と呼べるほどの規模では無い。だが飲食店やスーパーに商店も多く、暮らしやすいと思われる街だった。目的の店はそんな街中の喧騒から外れたところにひっそりと佇んでいるという趣のバーだった。


 重厚に見える黒い木製のドアには、先ほどと変わらず「CLOSE」のプレートが掛かっているが、それに構わず冬暉がドアノブに手を掛けた。さっきはほとんど回らず途中で引っ掛かったドアノブが、今度はするっと回った。


「あ、店の人来とるみたいっすね」


「良かった良かった」


 そう言いながらドアを開けると、中から男性の穏やかな声がした。


「申し訳ありません。まだ準備中なんです」


「いや、ちゃうんす。警察なんすが」


 言いながら冬暉が、その隣で夕子も警察手帳を開く。


「は、はぁ」


 店員とおぼしき壮年の男性は狼狽うろたえる。


「ああすいません、ちょっとお伺いしたんですけど」


 そう言う夕子の隣で、冬暉がバッグからタブレットを取り出した。


「この男性、ご存じ無いっすか?」


 男性は冬暉が差し出したタブレットの画面を戸惑った様子でのぞき込み、「あ」と目を見開いた。


「この人、……」




 カフェ・シュガーパインが閉店する21時ごろ、冬暉と夕子が帰って来た。ふたりは疲労困憊こんぱいと言ったくたくた具合で、カウンタに近い席に着くや否やテーブルに突っ伏した。


「お疲れです」


 春眞が冷たい水を出してやると、ふたりはグラスを掴み一気に飲み干した。


「ありがとー! 生き返る〜」


「春兄サンキュー」


 頭を上げたふたりは、大きく息を吐いた。


「そんなに大変やったの〜? なにがしさんの身元がなかなか判明しなかったとか〜?」


「いや、まぁ時間は掛かってもたけど、それは判った」


「自主的にちょっとね。それより片付けさっさと済ませてまいましょ」


 夕子は立ち上がり、チャコールグレイのコートを脱いだ。


「あら、ええわよぉ〜、お疲れでしょう?」


「お腹も空いてもたもんで、早よご飯にしてもらえたら嬉しいです」


「あらあら」


「何したらええ? 掃除?」


 冬暉もベージュのコートを脱いで椅子に掛けた。


「じゃあ店内の掃除を手伝ってもらおうかしら〜。キッチンは3人以上立てないしね〜。茉夏まなつに聞いてね」


「オッケーです」


「オッケー」


 そうして5人は速やかかつ黙々と片付けに取り掛かった。




 いつもより早く片付けを追え、5人は居住スペースに上がる。まずは晩ごはんの支度だ。


 今日はトマトソースを使ったパスタにする。3人分ぐらい残っていたトマトソースにフレッシュトマトのざく切りと生クリーム、ベーコンとマッシュルームのスライスを加えてかさ増しし、茹でた生のリングイネに掛け、彩りにイタリアンパセリを乗せる。それにこなやベーカリーのバタールを添えて、晩ごはんの完成である。調理担当は春眞はるまだ。


 トマトクリームパスタである。トマトのきりっとした酸味が生クリームで和らぎ、コクがあって口当たりの滑らかなパスタに仕上がっている。断面が楕円形のリングイネの食感も楽しい。


 食事はダイニングで摂る。6人がゆうに座れる大きなテーブルだ。


 「いただきます」と手を合わせて食事が始まり、さっそく茉夏が口を開く。


「ね、身元判ったんやんね? 何て人?」


 名前を知ったところで何が判るわけでも無いのだが、気になってしまえば聞かずにおれない様だ。


田渕浩志たぶちひろし、24歳。ワンルームマンションに住んでる会社員や。死亡推定時刻は午前の2時頃やね」


「死因て何やったん?」


 遠慮無しにどんどん聞いて行く茉夏。あまり突っ込んだ事は警察官として守秘義務があるのではと思うのだが、夕子は特に気にする風も無く聞かれたままに、加えて聞かれていない事まで応えて行く。


「今んとこ、判ってるんはこれだけやね」


 本当にここまで喋ってしまって大丈夫なのだろうかと、春眞は冷や冷やしてしまう。横を見ると冬暉は渋い顔。夕子の行動を歓迎していう様には見えない。が。


「そうなんだよなぁ。せやから自殺って線が強ぇんだわ」


 気にしてない! どころか肯定してる! 春眞は密かに目をいた。しかしふたりがこんな調子なのだから、春眞が心配し過ぎなだけなのかも知れない。春眞は小さく息を吐くと、どうせならと話に耳を傾けた。


「本格的な裏付け捜査は明日からになるんやけどね。知人に話聞いたりとか。今日は田渕浩志の部屋に行ってみたけど、普通に生活感があって、適度に散らかっとって、ほんまに自殺やとしたら、突発的な感じがした」


「長居からお家までどれぐらい〜?」


「近いっちゃあ近いです。昭和町しょうわちょうですから。でも電車ですよね」


 昭和町駅は、大阪メトロ御堂筋線の駅である。長居からは2駅離れている。歩くにはなかなか厳しい距離だ。


「じゃあ突発的って感じや無いわよね〜。ほんまに突発的やったら、部屋のベランダとかマンションの屋上……は入れへんかしら? その辺から飛び降りるとか部屋で首吊るとかお風呂場で手首切るとか、するわよね〜」


「兄ちゃん、生々しい……」


 春眞はついそれぞれのシーンを想像してしまって、微かに顔色を変えた。そもそも食事中にする話でも無い。そんな春眞の斜め前では茉夏が目を輝かせて話に聞き入っている。


「でも夕子さん、冬暉、ほんまに、て言うぐらいなんやし、もしかして自殺っていう見立て疑ってますか?」


 春眞が聞くと、夕子は「まぁねぇ」と小首を傾げる。


「もちろん、まだこれっちゅうて確信があるわけや無いけどね。聞き込み後の捜査会議でも自殺で片付きそうな気配やったし、状況だけ見てからそうなるんも無理は無いし」


「ま、明日次第やろうな」


 ひとまずこれで事件の話は出尽くしただろうか。話はそれから他愛も無い話にスライドし、春眞たちはまだ白い皿に残されていたパスタを口に運んだ。

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