3章 こんがらがる慕情

第1話 では、次のニュースです

 その日の夜、カフェ・シュガーパインは大事無く閉店し、速やかに後片付けを終えた春眞はるま秋都あきと茉夏まなつは温かいリビングで一息吐いていた。


 冬の厳しさは少しばかりゆるみ、長居ながい植物園では梅の花がほころんでいる。春の入り口が見えて来ていた。


 春眞は缶ビールをぐいっと美味そうにあおり、秋都は優雅に赤ワインを傾け、茉夏は冷蔵庫で冷やされた市販のアイスストレートティをストローで吸い上げる。


 冬暉ふゆきは職場の飲み会があって、まだ帰って来ていない。今日の様に急に飲み会などが決まった時には、チャットアプリの家族グループに連絡が入る。誰かが見れば分かる様にしているのである。


 時計を見ると、23時が過ぎようとしていた。そろそろ帰って来るだろうか。春眞がそう思った時、ドアホンが鳴った。


「誰や、こんな時間に」


「ユキちゃんやない?」


「冬暉なら、自分で鍵開けて入って来るでしょ〜?」


 いぶかしながらも春眞が親機のボタンを押すと、モニタに映し出されたのは夕子ゆうこだった。


「夕子さん?」


「春眞くん? こんばんは、里中さとなかくん届けに来たで」


「え!? ちょ、ちょお待ってくださいね?!」


 夕子の台詞に春眞は慌てると、秋都と茉夏に伝える事も忘れて玄関に走った。急いでやや乱暴にドアを開け放つ。そこに立っていたのは確かに夕子だった。そしてその細く、しかし力強い肩には、ぐったりとした冬暉がもたれ掛かっていた。


「何があったんですか!?」


「何でも無い無い、酔い潰れてもただけや」


「うわぁ……、すいません!」


 春眞は慌ててサンダルを突っかけると、夕子から冬暉を受け取り、肩で支えた。


「あらぁ〜、どうしちゃったの〜?」


 春眞を追い掛けて来た秋都が冬暉の様子を見て、驚いて口を押さえた。


「酔い潰れてもたんやって」


「珍しっ。ユキちゃんお酒強いし、そんなになるまで飲んだん見た事無いで」


 秋都の右に位置取った茉夏はもちろん、春眞も驚いていた。


 この4兄弟は揃って酒に弱くは無い。酒豪である両親の遺伝子を巧く継いだ形だ。特に強いのが茉夏で、いちばん弱いのが春眞である。それでも生ビール中ジョッキで8杯は飲めるのだから充分だろう。


 春眞は茉夏に手伝ってもらい、ふたり掛かりで冬暉を抱えて階段を上がって行った。鍵の付いていない冬暉の部屋のドアを開けて中に入るとベッドに転がし、スーツとスラックス、ワイシャツと靴下を脱がしネクタイを外して、下着だけになったそのあられもない姿に布団を掛けてやった。


 下に降りると玄関に人気ひとけが無かったので、リビングに移動したのかと思いそちらに向かう。するとやはり夕子はソファでくつろいでいた。


 秋都はキッチンに立ってコーヒーをれている。良い香りが漂っている。シュガーパインのブレンドを、ひとり分だからか冬暉を送ってくれた敬意を表してか、丁寧ていねいにドリップしていた。


「重たかったでしょう。ほんまにすいません」


「ごめんね、ユキちゃんが世話掛けてもて」


 春眞と茉夏はあらためて夕子に詫びた。


「大丈夫。タクシーで帰って来たから」


「あら! お幾らだったかしら? 冬暉に払わすからね〜」


 秋都が申し訳無さそうに言うと、夕子は手を振った。そのタイミングで夕子の前にブレンドコーヒーが置かれた。


「ありがとうございます。タクシー代は私も楽出来たからええですよ」


「そんな訳には行かないわ〜」


 有り難い申し出ではあるが、やはりそうは行かない。秋都も首を振った。


「じゃあ折半で。半分払ろてもらいます。それで手打ちで」


「ん〜」


 夕子がさらにそう言ってくれても、秋都は渋い顔を崩さない。


「やっぱりあかん。ここは冬暉が払うべきだわ〜」


「僕もそう思う」


「ボクも」


「あはは、3人に揃って言われてまうとな〜」


 夕子はおかしそうに笑うと、観念した様に頷いた。


「解りました。ほなきっちり里中くんから貰います」


「明日起きたら言っておくからね〜、渋る事は無いでしょ」


「その辺、冬暉はきっちり筋通すやつやからね」


「それにしてもユキちゃん、なんで酔い潰れたりなんか。これまで無かったやんね、こんなの」


 茉夏が首を傾げると、夕子がああ、と手を打った。


「里中くんから聞いてもらうんがええと思うんですけど、実は……」


 夕子がもったいぶる様に言葉を切ると、春眞たちの視線が一斉に夕子に集まる。わざとらしくこほんとひとつ咳払いをすると、夕子はにやりと口角を上げた。


「里中くんの部署移動が決まりました! 刑事になりまーす!」


「まぁっ!」


「マジか!」


「ほんまに!?」


 春眞たちは三者三様に驚くと、夕子は笑顔のままゆっくりと頷いた。


「ほんまです。せやから今日のはその祝いのうたげやったんですよ。有志でね。よっぽど嬉しかったんや無いですかね、べろべろになるぐらいには」


「へぇ、良かったやんか。冬暉、ずっと刑事目指しとったしね」


「うちでもお祝いしなきゃね〜。今度の定休日でいいかしら〜。浅沼ちゃんも来てね?」


「喜んで」


「良かったやん! 念願叶ったってやつやね!」


 冬暉とことあるごとに喧嘩けんかになりかける茉夏だが、冬暉に限らず兄弟に吉報があると、人一倍喜びを表すのも茉夏なのだ。


「せやから、今日のんは大目に見てあげてくださいね?」


「酔い潰れたぐらいじゃ怒りゃしないわよ〜。でも先輩に、しかも女の子に送って貰ろた事はシメておかなきゃね」


「いやだから里中さん、そこを大目に見てあげて欲しいと」


 夕子は苦笑し、残り少なくなっていたコーヒーを飲み干した。


「さ、私はそろそろ失礼しますね。コーヒーごちそうさんでした」


 言いながら夕子は立ち上がった。


「あら、じゃあ茉夏、車で送ったげて〜。あなたお酒飲んでへんかったでしょ?」


「オッケー」


 茉夏は快諾かいだくし、腰を上げようとする。が、夕子が押しとどめた。


「大丈夫、まだ電車あるし。1駅やから歩いて帰ってもええかなて思ってたぐらいで」


 夕子の家は長居駅から1駅南側のあびこ駅が最寄りなのだ。駅から賑やかな商店街が通っており、下町の風情が漂う街である。この近さが、夕子が時折里中家を訪れる理由のひとつなのである。


「いや、あかんて夕子さん。送らせてよ」


「そうよ〜。遠慮しちゃいやよ〜」


「こんな時間にひとりで1駅歩くとか、それこそいくら夕子さんでもあかんでしょ」


「ん〜、ほなお言葉に甘えて」


 夕子は遠慮して見せたが、3人に言われ、結果素直に受け入れた。


「じゃ、行こうか!」


 茉夏が立ち上がり、夕子を促した。




『では、次のニュースです。


 本日朝6時頃、大阪府大阪市東住吉区の長居公園内で、男性の死体が発見されました。


 男性の身元は未だ判明しておらず、警察は死体の様子から自殺と見て捜査を進めています。


 次は本日の天気です……』

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