エイプリルフール②

 2024/04/01②



 私は書いた。

 驚くべき集中力で、書き続けた。


 そのとき、チャイムが鳴った。

 はて、なにも頼んだ覚えはないし、妻であれば鍵を持っているから勝手に入るだろう。


 また、チャイムが鳴った。

 営業や勧誘にしては粘る。


 また、もう一度、チャイムが鳴った。

 ……しつこい奴だ。こちとら忙しいんだ。次、鳴らしたら――


 鳴ったのはチャイムの代わりに玄関が開く音だった。

 妻か?

 ではチャイムを鳴らしたのは……?


 不思議に思い、這うようにしてリビングへ出る。


「せ、先生」

「あらあら、あなたったら」


 居たのは、担当の男と妻だった。

 四つん這いで来た私を見てくすくすと笑う妻。

 苦笑いでなにやら申し訳なさそうな顔の担当。


 呆けていると、担当は突如、落石にでも押しつぶされたかのような勢いで土下座した。


「すいませんでした!!」


 響く声に、驚きつつ、何を謝られているのかわからない私は呆けていた。

 それを見て、妻はけらけらと笑っている。


「実は――」


 そういって担当が話し始めた。

 それを聞いて私はほとほと呆れて、肩の力が抜けてしまった。


 曰く、エイプリルフールだ。

 メールの内容はうそだったのである。

 締切は今日ではない。

 聞くに、エイプリルフールというのは正午過ぎからはうそをついてはいけないらしく、私がメールを見ているのか見ていないのかもわからなくなった担当は電話をかけたそうな。

 興が乗っていないと、まったくと言っていいほど書かない私に発破をかけるつもりで、ちょっとした悪戯心が働いたらしい。

 その『ちょっとした悪戯心』を見逃していたにもかかわらず、勝手に引っかかって、且つ思惑通り乗っかってしまったのが、私だった。


「電話で謝ろうと思ったんですけど、先生、僕の話を一切聞かずに切るもんですから、慌てて来たんですよ……」

「たまたま私が来てよかったわねえ。この人、集中していると絶対に出てこないもの」


 そういう妻に、改まって謝罪と礼を言う担当。

 そのやりとりを見て呆けている私。

 

 心底、馬鹿馬鹿しい、と思った。

 なんと、くだらないうそをつくものだ。

 そうして担当が謝り倒すのを見ながら、そういえば、と思い出す。


 私だって、似たようなことをしようとしていたではないか、と。

 そして、私に至っては原稿そっちのけで考え始め、その上、思いつかずに寝てしまい、そのまま寝過ごしたのだ。

 まだちゃんとうそをついているだけ、この男の方が優秀ではないか。

 いや、優秀はおかしいか……いやしかしよく思いつくものだ。

 そうして無精髭の生えた顎に手をやってうんうん唸っていると、担当は不思議そうにしていた。

 そこで、妻が冗談めかして言った。


「あなたもうそのひとつくらい、ついてみたら?それでおあいこになさいな」


 ふむ、まあ、考えても仕方あるまいし、このまま謝り倒されても困る。

 事実、担当のうそのおかげで原稿は進んだのだ。


「ふうむ」


 そう唸ると、担当は訝しげな顔で身を乗り出して、言う。


「先生、お手柔らかにお願いしますよ」


 そうだ。

 いいことを思いついた。

 こいつに一番効く、とびっきりのやつだ。

 にやにやと顔が緩むのを感じながら担当の顔をじっ、と見る。

 担当はごくり、と息を呑んだ。



「今日は書くぞ。酒も呑まないから、帰ってくれ」

「先生!それはその!困ります!」

「あっははははは!!」


 目を丸くして心底困る担当の顔を見て大笑いする私。

 妻はにこにこと台所に向かう。

 世話好きの妻のことだ。あり物でつまみでも作ってくれるのだろう。


「まあ、これも仕事だと思って付き合ってくれ。いい酒もある」


 そう言うと担当の奴、渋々といった声で


「それはうそじゃないですよね!まったく、会社に電話してきます」


 と言って外へ出ていった。

 なんのことはない。担当の奴だって相当の呑兵衛なのだ。

 去り際の口元がにやついていたのを私は見逃さなかった。


 

 担当がいない隙に、台所の妻に声をかけた。

「急に、すまん」

「ふふふ、いいんですよ。さて、あなた。ひとつ、わたしもうそをついているのですけれど、その様子じゃあ気付いていませんね?」


 なんだと。

 考えてみるが、まったくわからず、心当たりもない。

 またもうんうんと唸ってしまう私を見て、妻が言う。


「まったく。買い物もしてきてないのにここの冷蔵庫の中身でなにか作れるはずないでしょう?」


 そう言って、妻は冷蔵庫を開ける。

 すると、そこは宝の山だ。

 タッパーに入った大量の種類のおかずが所狭しと並んでいた。


「はい、魔法の冷蔵庫です。お好きなものをどうぞ」

「これはいったい……」


 どこから来たというのだ、と続けようとして、妻は悪戯っぽく笑いながら言った。


「午前中に来たら、気持ちよさそうに寝ているんですもの」


 ああ、そういうことか。

 してやられたというかなんというか、やはり妻には敵わない。


 まあ、いい。

 楽しいエイプリルフールじゃないか。

 原稿も進んで、久々に担当とも酒が呑める。

 その上、つまみは妻の手料理だ。

 夕方だっていうのに、暖かい。

 冬は過ぎ去り、春になった。

 春を迎える宴といこうじゃないか。


 だから、今日はもう書かない!

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