第2話:Feel The Darkness 其の2

 水滴の音と蝙蝠の羽ばたきの音が聞こえてくる。


 薄っすらと目を開けたが、周りは薄暗く殆んど見えない。意識を取り戻したベラマッチャは、濡れた地面の上に寝ている事に気付いた。


「うぅっ……僕はいったいどうしたんだ」


 ベラマッチャは体を起こそうとしたが、全身を激しい痛みが襲い動くことができず、再び地面に横になった。


「たしか幽霊になったダディに襲われて……崖から落ちた……」


 覚えているのはそこまでである。まだ意識が朦朧としていて、自分が生きているのか死んでいるのかさえ判断できない。


 体中の神経を研ぎ澄ませ身の回りの様々なものを感じながら、先程見ていた夢を思い出した。


 嫌な夢を見ていた。自分の槍で母を刺し、泣き崩れているところをカダリカが嘲笑う。悲嘆に暮れていると一族の伝説的英雄、グッチ・ハマーに「紳士に必要なものは気合だ!」と喝を入れられる。


「現実だけでなく、見る夢も悪夢ではないか」


 溜め息をつき天を仰ぎ見たベラマッチャは、奇妙なことに気がついた。


「なんと、ここは洞窟ではないか。崖から落ちたはずなのに、なぜ僕は洞窟の中で意識を失っていたのだ。やはり僕は死んだのか?」


 やはり死んだのかと考えを巡らせていると、足の方から物音が聞こえた。


 咄嗟に身構えようとしたが、全身が痛み身動きがとれない。


 何者かが近づいて来る気配に、もうだめだと目を閉じると、突然野太い声が聞こえてきた。


「あらん、目が覚めたのねん。ダメよん、まだ動いちゃ」


 声を聞き恐る恐る目を開いてみると、そこにはケンタウルスらしき生き物がたっている。顎の辺りまで伸びた髪の先が外側にカールされており、髭剃り痕が青々と目立つその生き物は、心配そうな表情でベラマッチャの様子を窺っている。


 だがよく見るとその生き物はケンタウルスとは違うようである。ケンタウルスならば馬の体に人間の上半身だが、その生き物の脚は4本とも人間のそれであり、全ての足に踵が高く尖っている赤い靴を履いている。そして胴体は黒い布で覆われていた。


「バッ、バケモノッ!」


 ベラマッチャは物の怪に襲われたかと大声をあげた。


「失礼ねん! バケモノとはなによん! 死にかけてたアンタを助けてあげたのに!」


「僕が死にかけていただって?」


「アンタはこの洞窟の先にある川で気を失っていたのよん。そのアンタを見つけて、ここまで運んできたってワケ。ワタシはヘンタイロス、心配しなくてもいいわん、ここは安全よん。オカマは嘘なんてつかないんだからっ!」


「そうか……君が助けてくれたのか」


 ベラマッチャは少しホッとし、続けて喋った。


「僕の名はアンソニー・ベラマッチャ、助けてくれたことに感謝する。しかし、あんなに高い崖から落ちてよく助かったものだ」


「崖から落ちたですってん! まあ恐いん」


「幽霊に追いかけられて、気がついたら崖から落ちていたのだ」


「幽霊? じゃあアンタ、『死者の国の扉』の前に行っちゃったのねん。でも、ウツロの森に入ってくる人間なんか殆どいないのに、なぜ森に入って来たのよん?」


「訳あってポロスの街に行くところなのだ」


「ポロスの街! きっと賑やかでしょうねん。ワタシも行ってみたいわん……」


「君は街へ行ったことがないのかね?」


「ないわん……生まれてからずっと森の中で暮らしているのよん。死んだママンが、森を出ると怖ろしい事が起こるって言ってたからん」


「では僕と一緒にポロスへ行かないかね? 僕は、ある目的のため情報を得ようと街へ行くのだが……連れがいると僕も心強い」


 ベラマッチャはヘンタイロスの協力を得られるのではないか、と期待を抱き顔を覗き込んだ。


 ヘンタイロスは暫くの間、ベラマッチャの周りを歩きながら悩んでいるようだった。


「分かったわん。私もポロスへ行くわん。あぁ……オカマって押しに弱いのねん。いま気付いたわん」


「それがいい。正直いって僕もこれ以上、一人でウツロの森を歩くのはまっぴらだ」


 ヘンタイロスが作った料理を食べた後、二人はポロスの街へ向けて出発した。


 ウツロの森を熟知したヘンタイロスの道案内はさすがに的確で、お喋りをしながら半日ほどで森を抜けた。


「見たまえ、あれがポロスの街だ」


 ベラマッチャは街の城壁を指差した。ヘンタイロスを見ると目を輝かせて街を見つめている。暫く二人で街を眺めた後、ヘンタイロスに急かされながらポロスの街へ向かって歩き始めた。


 街へ入ったベラマッチャとヘンタイロスは暫くブラブラと歩いていたが、街にはあまり人影がない。


「変だな。子供の頃来た時はもっと賑やかだったのだが……」


 ベラマッチャは街に活気が無くなっていることに驚いた。以前、父に連れてこられた時とは明らかに町の様子が変わっている。


「まず酒場へ行ってみようではないか」


 酒場の場所を聞こうと近くにいた婦人に声を掛けてみた。婦人はベラマッチャとヘンタイロスを好奇の目で見つめながらも、親切に酒場の場所を教えてくれた。


 酒場へ向かう途中、何人かとすれ違ったが、皆が二人を変なものでも見るような目でジロジロ見る。中には笑い出す者もいた。


「ヘンタイロス君、どうやら君は笑われてるようだな」


「馬鹿ねん、笑われてるのはアンタよん」


 二人はなぜ皆が笑っているのか議論しながら歩き、婦人が教えてくれた酒場に辿り着いた。


「PUB・Cretin Hop、どうやらここらしい。それにしても、なんと変わった名前の店だ」


「名前なんかどうでもいいわん。早く入りましょうよん」


 ヘンタイロスにせかされて酒場へ入ったベラマッチャはカウンターへ座った。他にいるのは、テーブル席に座り大声で喋っている、渡世人風の三人組だけである。


「ヘイ、セニョール、少々お尋ねしたいことがあるのだが」


「いらっしゃい。何を飲むかね?」


 ベラマッチャは店の主人に声を掛けてみたが、主人はベラマッチャの問いかけに振り向きもせず注文を聞いた。


「ヘンタイロス君、何か飲むかね?」


「ワタシは結構だわん」


 ヘンタイロスは主人の態度に気分を害したのか、横を向いてしまった。


 何か注文をしないと質問に答えて貰えないだろうと思ったベラマッチャは、ミルクを注文する事にした。


「ミルクをもらおう」


 主人は無愛想な態度でベラマッチャにミルクを出しながら、横に立っているヘンタイロスの方をチラリと見た。


「ボウズ、変わったものに乗っているな。悪いが馬は表に繋いでおいてくれ」


「失礼ねん! 私は馬じゃないわよんっ!」


 ヘンタイロスはムッとして主人に食って掛ったが、主人はヘンタイロスを無視してベラマッチャの方を向いた。


「まあいい。それより金は持っているのか?」


「僅かばかり持ち合わせがある」


「それなら結構。ところで、聞きたい事とはなんだね?」


 主人にカダリカの事を聞こうとしたとき、テーブル席に座っている三人組の会話が聞こえて来た。


 ベラマッチャは主人に質問するのを止め、男達の会話に耳を傾けた。


「賞金稼ぎのカルロス・パンチョスが、半島から来た強盗団を皆殺しにして、全員の首を大通りに晒したらしいぜ」


「うへぇ~、奴に狙われたら終わりだな。死を覚悟するしかねえ」


「いま王国中を荒らしている連中にも、そろそろ賞金がかかるんじゃねえのか?」


「そう言えばウツロの森の向こう、裸族の村も襲われたらしいぞ」


「その話なら聞いたぜ。皆殺しだそうだ」


 ベラマッチャは自分の村のことが話題になっているのに気づいた。そして裸族という言葉に侮辱された思いがして、ついカッとなり立ち上がった。


「キミィッ! その裸族という言葉を取り消したまえっ!」


 突然の怒鳴り声で店内は一瞬、静まり返った。


 ベラマッチャは左手を腰に当て、右手で呆然とする男たちを指差しながら歩み寄り、強い口調で言葉の取り消しを求めた。


「先ほどの君たちの発言には聞き捨てならない言葉があった。君たちの言う『裸族』とは、どうやら僕たちの事のようだが、見ての通り僕たちは裸ではなく、ちゃんと衣装を身に着けている。僕たちは断じて『裸族』ではない。裸ではないのだ。先ほどの言葉を取り消したまえ」


 突然の出来事に、男たちは口を開けたまま呆然とベラマッチャを見ていたが、その内の一人がやっと事態を飲み込めたらしく、ベラマッチャに向かって文句を言い始めた。


「ガキが何をほざく。自分が裸かどうか分からんとは所詮、野蛮人よ」


「ガキは家に帰ってママのオッパイでも飲んでろ。もっとも、今じゃ帰る家も無いだろうがな」


「貴様の親父もお袋も殺されたんだろう? カワイイあの娘もオダブツかい?」


 男たちは笑いながらベラマッチャと村のことを罵倒し始めた。


「これ以上の侮辱はやめたまえっ!」


 男たちの暴言にカッとしたベラマッチャは、一番近くに座っていた男を力まかせに殴り倒した。


「げぇっ!」


「このガキ! 殺してやる!」


 仲間が殴られたのを見て他の二人がベラマッチャに襲い掛かり、袋叩きにし始めた。


「喧嘩はやめてん! ベラマッチャが死んじゃうん!」


 ベラマッチャの危機を見たヘンタイロスが助けに入り、男の一人に後蹴りを喰らわせた。ヘンタイロスの蹴りは強烈で、男は壁まで吹っ飛び、血反吐を吐いて失神した。


 残った男はそれでも怯まず、こんどはヘンタイロスに殴りかかってきた。


「キャアァッ! 恐いんっ!」


 ヘンタイロスが反射的に男を殴ろうとした刹那、店の主人が止めに入った。


「喧嘩なら表でやってくれ。店を壊されたらたまらん」


 主人の仲裁で争いは収まり、ヘンタイロスに殴りかかった男は安堵の表情を浮かべた。おそらく勝てるとは思っていなかったのだろう。


「クソッ! 覚えてろよ!」


 男はサンドガサ・ハットとカッパ・マントを持ち、捨て台詞と失神した仲間を残して店を出ていった。


「うぅっ、無法者どもめ……」


 ベラマッチャはヨロヨロと立ち上がりながら、吐き捨てるように呟いた。かなり殴られたらしく口から血を流している。


「あんた大丈夫か? だいぶ殴られたようだが」


 主人はベラマッチャの顔を覗き込み、心配そうに話しかけた。


「突然怒鳴るんだものん、ビックリしたわん」


 ヘンタイロスも興奮覚めやらぬ顔でベラマッチャの顔を覗き込んだ。


「それにしても裸だから……おっと失礼……まさかと思ったがウツロの森の向こうから来たとは」


「セニョール、ご迷惑をお掛けして申し訳ない。ヘンタイロス君、彼等の侮辱的な言葉にどうしても我慢できなかったのだ」


「あんたも大変な目に遭ったな。しかし人生悪いことばかりじゃないさ。街外れの魔術師に未来を占ってもらったらどうだ」


「そうよん、気晴らしに占いでもしてみたらん」


「占いか……確かに悪いことばかり続いたな。占ってもらえば気分が晴れるかもしれない。よし! 君たちの忠告に従おう!」


「それがいい。あんたの幸運を祈っているよ」


 ベラマッチャとヘンタイロスは魔術師の居場所を聞き、主人に別れを告げ店を出た。


 魔術師の店へ行く途中、ヘンタイロスは渡世人たちの話しを思い出し、ベラマッチャの過去について考えを巡らせていた。


 過去のことを尋ねようか迷ったが、きっと話したがらないだろうと思い、ベラマッチャの背中を見つめながら街外れまで無言で付いて行った。

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