不撓と誰が為・前

 両鳳連飛15






 晴天。湿度は高め。猫の部屋たまりばでゴロゴロ転がり、九龍のベタつく風を浴びつつ露台から見える雲を数えるイツキは小さく‘あっ’と呟く。マオが売り上げ伝票から目線を移した。


「んだよ」

老虎ラオフー熊猫曲奇パンダクッキーめちゃくちゃこぼした。このメーカーのやつ、すごいホロホロする」


 かじっただけなのにと絨毯を見詰めるイツキ老虎ラオフーはやめろとこれ以上無く嫌そうな表情のマオ食肆レストラン行って食えと提言。イツキは‘料理の下準備終わったら呼んでくれるってアズマが言ってた’と返し、こころなしか慎重に2つ目を口へ運ぶ。合法に働く違法な薬師。


 話し合いから幾日か経ち、くだんの半グレ共は相も変わらず裏社会での資金繰りや資金洗浄に精を出していたが───どうも近々、そのあたりのマフィア連中が一堂いちどうかいする寄り合いがあるとの噂が入った。

 インは無論出席するらしい。出席してどうするのかはわからない。


「でも、上手く話しつけてくるって」

「あっそぉ」


 老虎ラオフーをパタパタ払いながら呟くイツキへ、マオは生返事。‘んな訳ねぇだろ’と顔に書いてあるのがさすがにイツキにも認められた。


「上手くいかないかな?」

「イカせる気がねぇよ、イン自身に。自分が火種になってると思ってっからなアイツは…全員って始末つける気だろ。‘斬り結ぶしかあるまい’とか物騒なこと口走ってたじゃねーか」


 白煙を吹くマオの横顔を見やり、イツキは3つ目の熊猫パンダにトライ。かじったらまたホロホロと盛大にこぼれた。欠片を全て受け止めてくれる、心優しき老虎ラオフー。虎って、熊猫パンダを食べるのか?虎の好物はなんだっけ。いのししだっけ。でも熊猫パンダだって、もともと肉食だもんな…人間も食べちゃうし…。


 閑話休題、イン一件いっけん


 大陸方面から来た金融関係の問題自体は別にしても、派生した九龍での殺人や誘拐事件では確実に飛び火している。暗殺者として名が売れてしまってる以上、インが向こうを放っておいても向こうがインを放っておかないのだ。インは、自分が居る限りイザコザは収まらず、そして新たなトラブルも生んでしまうと考えている。


「【十剣客】ってみんな死んだって思われてたんじゃないんだ」

「ヌケたんだろ、どっかから。まずアイツが隠してたのかも知らねぇし」

「死んだフリ作戦がバレたってこと?」

「作戦だったわけじゃねぇっつの」


 そういうつもりではなかったと半目はんめで返すマオイツキはふぅんと首をひねる。何はともあれ上手く話をつける、などというのは方便で────インは相討ち上等だと思っている、ということ。


「‘穏便に済ませる’みたいに言ってたのに」

おまえにはそーだろ。俺ぁ、その前にも‘全員ほふる’つったの聞いてっから」

「なんで俺にそう言ったのかな」

「眼力じゃね?」


 看護師ナースこえぇもんよと喉を鳴らすマオ、再度老虎ラオフーをパタパタ払うイツキを後で掃除機かけるからほっとけと制す。面倒見の良い城主。イツキ老虎ラオフーのフサフサした長い髭をいじり、思案。


イン、1人で行くよね」

「だろ。心配なら饅頭に念押しとけ、会合のネタ入ったらすぐ流してくれって」


 そしたら手ぇ貸してやれんだろとてのひらを振るマオは、我関せずといった具合。イツキが小首を更に捻った。


マオは行かないの」

「行かねぇ」


 やはりどことなく、わだかまりがあるのだろうか。けれどこの男はそんなことを気にするタチではないはずだ。理由がわからずどんどん首をあらぬ方向へ傾けるイツキに‘殭屍キョンシーかお前’とストップをかけ、マオは煙と言葉を吐く。


「俺に助けられるほど弱くねぇからだよ」


【黃刀】の問題でやいばをぶつけた時。互いの剣客としての力を、互いに、認めた。だからこそ‘助ける’なんて発想は産まれない───プライドの問題だ。認めているから手出しはしない。


「‘舐めてんのか’っつー話になんだろ。ま、あいつはそうは言わねぇだろうけど…」


 その台詞に、そういうものかとあからさまに悩みながら曲奇クッキーを頬張るイツキ。詰め込み過ぎて膨らんでいく頬。ショモショモしている姿にマオはフッと笑って、俺ら・・がそうなだけだと肩を揺らした。


おまえは行きたきゃ行ったらいいじゃねーか。お兄ちゃん同士でな?」


 力んなってやれと口角をあげる。イツキは頷いてモゴモゴ何事か発したが、眉根を寄せたマオに、わっかんねぇよと一蹴いっしゅうされた。






 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆






「で、カムラに頼んどいたわけね」

「うん。そしたら‘来週あたりじゃないか’って。日付わかったら教えてくれるみたい」


 営業を終えた食肆レストラン。掃除が済んで茶を啜るアズマに、まかないから夕飯、及びデザートに至るまでを胃袋へ収めたイツキがお土産の蝦醬炒飯をつまみつつ答える。ツブツブ振りかけられた薫り高い蝦子。


インさん、‘自分の命ひとつで決まりがつくなら低廉ていれんなものだ’なんて…冗談だよ、って笑ってましたけど…」


 シオシオと耳と尻尾をふせるレンマオインの話し合いの場に居合わせた際、穏便とは云い難い空気を感じたと。イツキはアクセントで混ぜ込まれている鹹魚ハムユイをモキュモキュ噛みながら視線を下げ、右手のスプーンを見た。曲がった鏡面に反射するウニャリと引き伸ばされた自分の顔。


 ───インの気持ちもわかる。周囲を巻き込みたくない、1人でカタをつける、こちらのことは気にしないでくれ。似たような状況になったら俺もそう言うだろう…というか俺だけじゃなくて、アズマだってマオだって誰だって、俺達は皆そう言う気がする。思いつつスプーンをかたむければ映り込んだ顔の左半分だけが伸びた。

 けれど、言われた方は駄目なのだ。‘わかりました’とは絶対にならない。これも俺だけじゃなくて俺達は皆そうな気がする。スプーンを反対側にかたむけると今度は顔の右半分が伸びた。


 ひずんでいるこの街で。ゆがんだこの九龍で。いびつだとしても、皆───大切にしたいモノがある。


「大丈夫でしゅかね?インしゃん、その…もう戻って来ないつもり…とかでは」


 あの科白せりふは冗談などではなかったのではないかと塞ぎ込むレンへ、スプーンから視線を外し顔を上げたイツキが答えた。


「大丈夫。俺が、させないから」


 意志のこもった強い声音。コクリと顎を引くレンアズマが‘頼もしいね’と笑った。


 そして数日。何事もなく過ぎるかと思われた週末の午下─────




 唐突に、イツキの携帯に着信が入る。

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