第7話 西洋占星術の歴史②ヘレニズムと占星術
前回の続きです。
春分点が重要な基準として発見されたとお伝えしました。それによりサインが割り当てられるようになり、占星術は更に高度なものへと変化してきます。
春分点からサインが作られると、もう一つ作られたものがありました。それはアセンダントです。アセンダントは、その時間に位置していた東の地平線と太陽の黄道が交わった点のことです。占星術はこのアセンダントを観察することで詳しく占うことが出来るようになります。そして、占いに主語が付け加えられます。今まで国や地域のざっくりとした吉凶を占うものであった(一部例外はありますが・・・)ものから、より個人に近いものへと変化をしたようです。
国という大きなものから、民衆や一人の人間としての小さな個に変化をした占星術は、やがて今日まで伝わる技法へつながります。このころに人の誕生日の天体の位置で占うネイタル占星術が使われるようになってきます。現存するネイタルの最古のチャートは、紀元前410年ごろのものだそうです。
古代の占星術というのは、実際の天体を観測し、大きなイベント(月蝕や日蝕など)を予想したり実際に観測したりすることを主にしていたようです。
現代のようなホロスコープを作成して読み解くものとは大きく違っていたようです。もしかしたら、記録に残っていないだけで、実際はホロスコープのようなものを使用して占っていて、私たちがそのことを知らないだけなのかもしれません。
ところで占星術で使用されるホロスコープというのは、どこが起源なのでしょう?
ユダヤ、ペルシャ、ギリシャ、エジプト、ローマなど候補の都市の名前が上がりますが、詳しいことは分かっていません。その中で一番有力視されているのがカルディアです。
カルディアとは、メソポタミア南部に広がる沼沢地域の歴史的呼称です。当時のメソポタミア地域には、色々な国が存在していました。その中の一つの国がカルディアです。
当時、占星術はカルディアと呼ばれていたそうです。また、カルディアはカレンダーという言葉の語源にもなっています。つまり、カルディアという国では、占星術の基となる天体の観測と学問、そして暦が作られていた、ということにつながります。「カルディアの知恵」という言葉があるそうですが、これは天文学や占星術を指すそうです。
カルディア人は、紀元前7世紀に新バビロニア王国を建国します。カルディア人が作った国が出来たことでその土地の治世が安定し、占星術は国家の庇護のもと大きく発展したと考えられます。ホロスコープの原型をしたものがあったらしく、前432年のチャートが残されています。これはバビロニアンホロスコープと呼ばれ、28枚残されているそうです。
カルディア人は自らのことを数学者だと名乗っていたそうです。天体の運行を観測できるほどの数学技術を持っていたカルディア人でしたら、天体観測に必要なホロスコープを作り出すこともできたのではないでしょうか。
これらのことから、ホロスコープはおそらくカルディアで作られたという説が有力なようです。
カルディア人が作った新バビロニア王国は、やがてペルシャ人から攻められ滅びてしまいます。ペルシャ王国は当時カルディアの近くにあったメディアやエラムといった国も滅ぼします。そして、この辺りを統一したペルシャ人はアケメネス朝を開きます。ペルシャ王国の誕生です。このペルシャという国でも、カルディアの技術である占星術や暦の使用、天体の観測は引き続き行われていたようです。
紀元前3世紀ごろ、占星術に関する記述が少なくなります。それと同じころ、ペルシャ王国を揺るがす大きな出来事が起こります。マケドニアからの侵略、有名なアレクサンダー大王の遠征です。
アケメネス朝ペルシャ王国は、紀元前330年ごろ当時の君主の死をもって、マケドニア(現ギリシャ)のアレクサンダー大王の支配を受けることになります。その当時、ラテン語、コプト語など様々な言語で書かれていた文献は、全てマケドニアで使用されていたギリシャ語に統一されます。ペルシャだけでなく、近隣の国々は全てマケドニアから支配されました。マケドニアの支配下に置かれたエジプトのアレクサンドリア図書館にあった本は、ギリシャ語で書かれた本だらけになったそうです。
アレクサンダー王はわずか10年余りでペルシャを始め広大な土地を支配しました。
しかし、この侵略は思わぬところで恩恵をもたらします。支配を受け一つの国となったために、今まで国境があったため行けなかった場所に移動が可能になり、ペルシャにいた占星術師が各地に散らばっていきました。そのためペルシャ辺りで発展していた占星術が、他の国へと伝わっていくことになります。
その後、ペルシャを手中に治めたアレクサンダー王は、それから間もなくして亡くなってしまいます。しかしアレクサンダー大王の統治した国というのは、その後も大きく発展していきます。
このアレクサンダー大王による遠征後の時代のことをヘレニズム時代と呼びます。ヘレニズムとはギリシャ主義のことを指します。
戦争により一体の国が一つの国となり、そこで暮らす人々の往来が行われることになりました。様々な言語を使用していたところに、ギリシャ語という共通言語が存在するようになります。
紀元前3世紀ごろ、占星術に関する文献や記述が少なくなりました。そうした混乱の下に置かれた経緯から、原因はアレクサンダー大王による戦争や、後のマケドニアの支配と言語の統一のためであると思われます。今までの文化や世界を大きく変化させてしまったといってもいいでしょう。
このマケドニアによる支配は約300年続きました。エジプトに置かれた首都アレクサンドロスは文化の中心となります。この世界はギリシャ・ユダヤ・エジプトの三つの文化によって成り立ち、調和していたそうです。
この頃に、今日使用されている古典西洋占星術の基礎が作られていきます。これをヘレニズム占星術と呼びます。
サイン・ハウス・アスペクト・黄道十二帯、このシステムこそが、ヘレニズム占星術の特徴です。サインの概念はペルシャで発展し、ハウスの概念はエジプトで作られました。ロットもすでにあったと、後の時代に活躍するドロセウスという占星術師も書き残しています。
歴史というものは、実に恐ろしいものでして、攻められ滅ぼされ侵略されることを繰り返しています。まこと業の深いこと、人間の悲しい性であります。これを書いているときに、ちょうどキングダムの映画を見ていましたが、とある武将が「これだから止められぬのだ、戦は!」と、言いました。そういうものだそうです。本当に戦う人というものは困ったものです。
しかし、戦いの後に作られるであろう世の中というものは安定することが多く、文化が発展する素地となります。日本でも同じようなことがたくさん起きていたのでわかりやすいですね。
世の中というものは何が功を奏するのか分からないものです。
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