第50話 盤上の者たち
(昨夜のことは
(これから菖蒲様とお会いするというのに……。しっかりしなければ)
呼吸を整えると、菖蒲の局の前で霞は深々と頭を下げた。
「失礼致します。霞にございます……」
「霞!待っていたのよ!」
菖蒲の嬉しそうな声が響き渡る。同時に他の女官達の視線を浴びる。懐かしい光景に霞の緊張して強張っていた身体が緩んだ。
「宮中で起こったことは殿下から詳しく伺いました……。霞は大丈夫?」
「はい……。菖蒲様も大事ないでしょうか」
霞の姿を見た菖蒲は安堵のため息を吐く。
「良かった。私もあの時は大変だったのよ。正気を失って暴れる女官を押さえるのを手伝ったりして」
「菖蒲様が?」
驚いた霞の表情を見て菖蒲が楽しそうに笑う。
「本当に大変な出来事だったわよね……。霞達のお陰で宮中を守ることができたわ。本当にありがとう」
菖蒲は霞に向かって深々と頭を下げるので、霞は慌てて菖蒲に呼びかけた。
「顔をお上げください!私の力など微々たるもの。他の方達の協力なくして化け物を討つことはできません」
「そんなことないわ。此度の化け物退治、霞の力なくして達成されることはなかったと思ってる。本当にご苦労様」
飾らない菖蒲の
「そうそう。霞に見せたいものがあって……他の者達は下がりなさい」
菖蒲が右手を上げると、霞に視線を浴びせていた女官達が静かに退室した。
「……
「水仙様から?」
菖蒲は床の上に文を滑らせるようにして霞に文を差し出す。霞は緊張した面持ちで文を受け取った。
文には菖蒲と霞への謝罪と、これから侍女の
「出家されるのは寂しいですけれど……これも人の道。私は
菖蒲の穏やかで少し寂し気な表情を浮かべていた。菖蒲と水仙。ふたりの間にあったわだかまりが消えたようで、霞は安堵する。その一方で菖蒲に
「あの……。菖蒲様。私から菖蒲様にお話ししなければならないことがあります」
「どうかしたの霞?」
「私は……ずっと菖蒲様を偽っていました」
霞は菖蒲に仕えてきたのは化け物に復讐するためだったことを。菖蒲を第一王妃にするために色々手を回してきたことなどを語った。菖蒲の表情を確認することが躊躇われ、己の手元と置き畳の目にしか視線を合わせることができない。
「今までの非礼をお詫びいたします。このように信用のない女房を側に置きたくないとお考えでしたら……宮中を出て行くことも考えています。どうか菖蒲様のお心をお聞かせください」
「……」
平伏したままの霞は菖蒲の沈黙に緊張感を高める。衣ずれの音がした後、ふんわりと菖蒲の
霞の近くにやってきた菖蒲が霞の右手を取りながら口を開く。
「今まで霞は私のためによく尽くしてくれたわ。霞にとって偽りであっても私にとっては全て真のこと……。こうして罪悪感を抱いて話してくれるほど、霞は誠実で……優しい人。今まで出会ってきた者の中で最も信頼できる人物だと私は思うの。だからこれからも私の世話役でいて」
「菖蒲様……」
ここにきてようやく霞は顔を上げることができた。菖蒲の優しい微笑みが霞の心を温めていく。
(そうか……。こんなにも安堵するということは私も心の奥底では菖蒲様のお側でお仕えしたかったのね)
遅れて己の心に気が付き、おかしく思った。霞も菖蒲に微笑みを返す。
「それに。これからは私の
「御子……?菖蒲様!殿下との間に御子を
菖蒲は左手で愛おしそうに己の腹を撫で、右手ではしっかりと霞の掌を包む。
「これからも私達と共に。
「はい……」
霞も菖蒲の手を握り返し、ふたりは少女のように笑い合った。
宮中の騒動から
霞は宮中の
「こんなところに居たのか。
「楓様……。
ふたりは伊吹の
駆け寄って来た楓も霞の隣で山茶花の木を見上げる。
「ここにいると化け物退治のことを思い出すな……。未だにあんなことが起こったのが信じられない」
「本当に……その通りでございます。化け物騒動があったことで『ひめつばき物語』の
「全く。こんなことがあったといのに。
「
「そうか……」
楓が安堵のため息を吐く。
「原本をお渡しした時、『霞様の物語を書こうと思っています。勿論呪いはなしで』と楽しそうにお話されていました。私は丁重にお断りしておきましたけど」
「霞の物語か……。俺は読みたいけどな」
「おやめください」
霞がじっとりとした目で楓を見上げると、楓が楽しそうに笑った。その笑顔は少年のように明け透けで可愛らしいものだった。
「此度の騒動がきっかけで殿下の御心も変わられたようだ。より一層、困窮した民へ向けた
「そうですね……」
ふたりがしんみりとした雰囲気に包まれた時、
「霞様ーっ!
白い
「若くして
「ああ見えて場は
「そうですね」
兎のように飛び跳ねる桐を眺めながら、霞は着物の裾を口元に当てて笑った。その様子を楓が目を細めて愛おしそうに眺める。
楓の口から
「共に行こう」
「……はい」
照れくさそうに霞が返事をすると、差し出された楓の手をしっかりと
立ち去っていく霞達を惜しむかのようにふたつの山茶花の花が風に揺れた。ひとひらの
やがて花弁は陽ノ国の都を見下ろすことができるところまで舞い上がった。
その上を沢山の人々が様々な思いを抱え、それぞれの方角へ向かって歩いていく。その中に霞の姿もあった。
この世界は
適切に
胸に秘めた願望も達成することができる。
姫は盤上に立つ ねむるこ @kei87puow
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