第43話 第五巻 あかし(2)
(なんとかここまで辿り着いたわね……)
霞は操られた人々の騒ぎをくぐり抜け、
このまま何事もなく先へ進むことができると思ったのも束の間。霞の行く手に真っ赤な装束の男が立ちふさがった。
「……不届き者……捕らえよ」
「……!」
霞はじりじりと背後に押しやられていく。
(こんな狭い道で向かってこられたら避けようがないわね。それにあれだけ体格のいい相手を護身術で制することができるかどうか……)
考えている間にも操られた衛士との距離が狭まる。
霞の耳に風を切り裂くような音が聞こえてきた……かと思うと目の前にいた衛士が柱に寄っていた。正しくは飛んできた矢によって着物の袖が柱に縫い留められていたのだ。
衛士は矢を引き抜こうとその大柄な体をじたばたとさせる。
「早く逃げろ!」
矢が放たれた庭に顔を向けて、霞は目を見開いた。
「
矢を放ったのは射天ノ
霞は我に返ると、衛士を避けるようにして透渡殿を通り抜けながら枇杷に手を振った。
「枇杷様!少し宜しいですか!」
「えーっと……確かあんたは
霞に呼ばれた枇杷は、困惑した表情を浮かべている。余計なことを言われる前に霞は要件を切り出した。
「その弓矢を貸していただきたいのですが」
「いきなり何を言い出すのかと思えば……何すんですか?危ないですよ」
「いいから!早く!」
「ええ……。宮中の様子がおかしいから俺の自衛用に持ってきたのに」
枇杷は霞の勢いに
「枇杷様も暴れている人達を取り押さえて!怪我人が出るのを一人でも少なくしてください。あとは私が何とか致しますから」
「はあ……」
必死な
「一体何が起きてるってんだ……」
ひとり取り残された枇杷は途方に暮れたように空を見上げた。
「なんだ……あの空」
枇杷は宮中を包む不穏な空の色に息を呑んだ。まだ日が出ている時間のはずなのに薄暗かった。かと言って雲が出ているわけでもない。空に薄っすらと黒い布が張られたような……そんな光景が広がっていた。
霞は矢筒を背負い、弓を腕に通して宮中の東対をひた走る。その間にも数名の操られた衛士が歩いていたが物陰に隠れてやり過ごした。
遂に化け物が控えていると予測した部屋の前に辿り着いた。襖の前には短く髪を切りそろえた
「もうしわけありません。ここから先はどなたもお通しできません」
「おひきとりください」
頭を下げてきたが、構うことなく霞は思いきり襖を開けた。
甘ったるい、酔ってしまいそうな
きつく握りしめた拳は震え、己の心臓の音が聞こえてくるようだ。それほどまでに霞は緊張と怒りに支配されていた。目の前にずっと追い続けてきた一族の
霞は
「あなたが化け物だったのですね……
御簾越し。置き畳の上に座っていたのは……東宮の妃。山茶花だった。御簾からはみ出した藤色の
口元を覆った扇から微かに垣間見える目元は垂れ下がり、妖しい色気を漂わせていた。
こんな
今の霞にとってはこの美しい
「こんなところまで……
「いい加減人間のふりをするのをやめたらどうですか……」
霞は怒りに震えてしまいそうになる声を必死になって抑えた。どう頑張っても泥のように重くまとわりつく感情が表にでてしまう。その様子を山茶花は楽しそうに眺めていた。
「自分の意にそぐわない者、術にかからない者を排除してきた。そうして宮中を、国を我がものにしようと
「私にそのような力があるとお思いですか?」
山茶花の無邪気な問いかけに霞は淡々と答える。
「『ひめつばき物語』は東宮とあなたのことを参考に描かれた物語……。つばき姫の正体は神社に封印された妖でした。
「確かにひめつばき物語は水葵様が私を参考に書かれたものですけれど。だからと言って私を化け物扱いするなんて……。霞様は想像力が豊かですのね」
朗らかに笑う山茶花を見て、霞は取り乱した。自分の考えが外れてしまい慌てた素振りを見せる。着物の袖で口元を覆い、弱々しく微笑んだ。
「もしかしてと思ったのですが……。見当違いでしたか?ご無礼をお許しください」
「いいえ。お気になさらないで。あの物語はよくできているものね」
山茶花は余裕の表情で霞を眺めている。霞は何とか気まずい雰囲気を拭い去ろうと話題を探した。
「先ほど弓矢上手の
「ええ。よく覚えているわ。どれだけ離れていても
山茶花の答えに霞の目が
「まるでその弓試合を目にされたような口ぶりですね……。槐様は三百年前の弓将にございます。『宮中記録』で確認できる最も古い弓将でした」
「……」
山茶花は瞬きをして何事かという表情に変わる。
これこそが霞の一手だった。
「山茶花様、貴方の正体は……遙か昔、
文書殿にある寺社仏閣の伝承が書かれた書物で読みました。宮中の姫として入り込んだ化け物。帝の寵愛を受けて国を崩そうとしていたところを陰陽師が見破り、神社に封じたというものです。それから……山茶花様と東宮様が実際に出会われた神社でもありますね」
淑やかだった山茶花の空気が変わる。霞に刺すような視線を浴びせてきた。続けざまにくすくすと笑い声を立て始める。
「大したことのない駒だと思っていたのに……。私を口車に乗せるなんて。さすがは汚い宮中を渡り歩いているだけあるわね」
本性を現した山茶花に霞は緊張を高める。
「貴方は
霞は体の内側を燃やすような怒りを
この世界なんて、
適切に人、言わば
胸に秘めた願望も達成することができる
まるで歌を歌うように山茶花が軽やかに口ずさむのを、霞は左腕を右腕できつく掴みながら聞いていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます