第26話 転(1)
「どうやら
「さすがは
「どうかしたのか?物憂げな顔で」
「……いえ、何でもないです。私の方も……楓様の得た情報の内容とあまり変わりません。水仙様は最終巻を除き、原本のほとんどを他の者に手渡してしまったと。ただ、最終巻は
「なるほど。そうか……他の物語を探すよりも最終巻を手にしてしまった方が手っ取り早そうだな。よし、なんとかしてみるか」
いつもよりもやる気に満ちた楓の姿に霞は気後れする。
「楓様。くれぐれも今宵は慎重にお動きください。お相手は帝の第三王妃です。何かあったら……」
「それは問題ない。帝には前もって話を通しておいた……『化け物の調査のために今宵お会いする』と。安心してくれ」
腕組をして得意そうな楓の姿を見て霞は目を細めて
「別に私は心配など……」
「それよりも霞」
突然名前を呼ばれ、霞は身構える。急に楓の視線が鋭くなったのに気が付いた。
「その左手首の跡はなんですか?」
(しまった……つい気が緩んで着物の袖が下がっていたことに気が付かなかった)
霞は慌てて頬杖をついていた左腕を引っ込める。いつの間にか楓が間近に迫っていた。沢山の
(美形の真剣な表情って心臓に悪いわね……。さてどう言い訳したものか。馬鹿正直に伊吹のことを話すわけにはいかないでしょう)
霞は心の中で深呼吸をすると頭の中で適当な言い訳を考える。
「ああ、これは……転びそうになったところを伊吹に支えてもらったのです。その時に強く掴まれたから跡が残ってしまったようですね」
「……そうですか」
楓の手が離れていくのを感じると霞は肩を下ろす。
安心したのも束の間、霞の頬にひんやりとした感覚がして弾かれたように顔を上げた。
「じゃあこの唇についた跡はなんだ?」
真正面から楓と目が合い、霞はたじろいだ。心の中で盛大に頭を抱える。
(面倒なことに気が付かれた……。どうして気が付かなかったの私。いや、楓様が目ざとすぎるんだわ)
少し前の霞であれば楓の腕を捻っていたのに今回はできなかった。あまりにも楓が真剣な眼差しをしていたからだ。更にその瞳の奥に
「中々調査が進まず自分で唇を噛んでしまいました……。お見苦しい所をお見せしてしまって申し訳ありません」
「……」
(うまく誤魔化せた……?)
楓の視線は依然として冷たいままだった。霞を見下ろすまつ毛が長く、憂いを帯びた瞳は色気が漂っている。
「そうか……」
意外にもあっさりと引いていった楓に霞は疑心暗鬼になる。
(何か勘づかれたの?どちらにせよそんな悲しそうな顔されたらこっちだってどうしたらいいか……)
楓に流されそうになる自分に気が付いて、霞は感情を断つように咳払いをした。
「楓様は引き続き水仙様の元へ。私も出来る限り物語の原本を持つ者を探してみようと思います」
「分かった。くれぐれも無理はするなよ」
「はい……」
楓はそのまま霞に背を向けると霞の局から出て行く。伊吹と立ち去る気配がし、霞は体の力を抜いた。楓の真剣な眼差しに伊吹との口づけ……霞は文机にうつ伏せになる。
(ふたりに気を取られてる場合じゃないでしょう……。今は調査に集中しないと。それに勘違いしてはいけない。復讐に執着する女が誰かを想ったり、誰かに想われたりするはずがないんだから……)
今までの浮ついた気持ちを切り裂き、自分の心に鏡を置く。そこに映るのは……化け物を殺さんとするために人に偽りを語ってきた、火傷を負った醜い女がいる。
(……菖蒲様の元へ行こう。原本の情報を手に入れなくては……)
「伊吹。お前に聞いておきたいことがある」
人通りの少ない、紫星殿の前を歩いていた楓が足を止めた。自然と後ろを歩いていた伊吹の足も止まる。
「はっ。如何されましたでしょうか。
その場に立ち止まり、頭を下げる伊吹。活気に満ちたその声に楓は嫌気が差したように深いため息を吐いた。
「お前……
「……!」
ふたりの間にざああっと風が吹き抜ける。思いもしない問いかけに伊吹の目が大きく見開かれる。分かりやすい反応は更に楓を苛立たせた。
霞と伊吹の間で何が起きたのか。楓は理解していた。
「分かりやすい跡を残して……。何のつもりだ。国の大事であり、霞様の敵討ちでもあるんだぞ。余計な気苦労を負わせるな」
楓の冷たく、筋の通った言葉に伊吹は暫し沈黙する。この正論に伊吹が言い返せるはずもない。更に
「蔵人頭殿は霞の恋人役ですよね。何故、俺と霞の関係まで気にするのですか」
そう言って正面から楓の視線を捉える。その大きな目がどことなく霞に似ていて楓は腹立たしく思った。つい、口調がきつくなる。
「国の命運が掛かったお役目なんだ。当然だろう。お前の小さな恋情とは比べ物にならない」
「俺も蔵人頭殿以上に命懸けで霞を愛しています」
はっきりとした霞に向けた好意の言葉に楓の表情が固まる。自分が口に出せない思いを堂々と語る伊吹のことを憎らしく思った。
(本当にこの男は……単純で羨ましいな)
「お前と私を同じにするな。そもそもお前と霞は同じ一族の者だろう。想いが結ばれることはないはずだが?恋情を抱いてどうする?」
秀麗な顔で残酷な言葉を吐く。その姿は恐ろしくもありながら美しかった。
そんな神秘的な楓の雰囲気にも動じることなく、背筋を正して伊吹は楓と対峙する。
「なれば……楓様は恋人役を続けてどうなさるのですか?化け物退治が終われば霞は用無しですか?」
伊吹の鋭い指摘に楓は瞳孔を開く。伊吹は賢い男ではない。だが武人らしく一撃で相手を制する力は持ち合わせていたようだ。それは一番楓が突かれたくないところだった。楓が動揺するのを見て伊吹は子供のような、得意げな表情になる。
「俺は今養子に出されています。霞と同じ一族じゃない。だから霞と生涯を共にすることだってできるはずなのです」
「……調子の良いことを言うな。そんな子供の屁理屈が通用すると思うのか?霞がそんなこと望むわけがない。霞は……誰の愛も受け入れないだろう」
自分でそう言っておきながら楓は虚しくなった。伊吹を牽制するつもりが自分の想いまで封じてしまう。
「であれば、霞の心を開くことができるのは霞のことが好きな俺達しかいません!俺達で霞を復讐の炎から救うんです!」
「は……?」
伊吹の理解しがたい発言に楓は肩を揺らした。伊吹は楓と同様、霞との関係を牽制していたのではなかったのか。それが何故、協力関係になろうと言っているのか理解できない。
「だからと言って霞を譲るつもりはありません。堂々と勝負しようと申し上げたまで!どうもこそこそしているのが
(この男は……どこまでも明け透けで、馬鹿みたいに真っすぐで腹が立つ。こういう男はすぐに弱みに付け込まれ出世を阻まれる。……俺が一番嫌いな種類の男だ)
楓は腕組をし、爽やかな笑みを浮かべる伊吹を眺めた。
(今は仲間割れをしている時ではない。……こういうところが霞の心を
同じ女子を好く者同士、協力しながらも競い合うという奇妙な関係性が生まれた。楓はため息をついた後で伊吹に負けじと宣戦布告を返す。
「俺も引くつもりは無いからな」
「承知しております。なれば、物語の最終巻を手に入れるべく他の女子の元へ急ぎましょう!」
「……お前、わざと俺が怒りそうなことを言っていないか?」
「はて?そんなつもりは無かったのですが」
伊吹が再び子供のような笑顔を見せるので、それ以上楓は何も言うことができなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます