第25話 承(3)

(この状況……どうしましょうか)


 狭い部屋に男と女。ただならぬ空気を振り払いたいかすみは頭の中で盤面をにらんでいた。

 伊吹が霞のことをこれほどまでに気に掛けているのは火事のためにたった一人の親族になってしまったからで、それ以上の感情は何もないと思っていた。

 それが今、目の前の伊吹の反応を見るに色恋いろこいの方の好きであったとは。想像もしていなかったし、そんな風に考えることこそ伊吹に失礼だと思っていた。伊吹の熱い視線に霞は思わずたじろぐ。伊吹の視線に負けて、地面に視線を落とした。


「私も……伊吹のことは大切に思ってる」

「それは同じ一族として、だろう!」


 簡単に言い負かされてしまい、霞は言葉がでない。


「俺が言っているのは違う。一族としてじゃない。頭の良い霞なら意味は分かるよな?」

「……」


 霞はまだ伊吹の顔を見ることができないでいた。勿論、伊吹の言わんとしていることは分かる。


(伊吹は私のことをしたってくれている。それも色恋の方の意味で……)


「俺は蔵人頭殿くろうどのとうどのが霞の恋人役だと聞かされた時、本当は嫌だったんだ。お役目ならば仕方ないと思っていた……。だけどふたりが口づけをしているのを見て、分かったんだ。蔵人頭殿と霞は本当に恋人なのだと。その時、初めて……身がけるような思いをした」


 伊吹は淡々と話し続ける。感情的な伊吹にしては珍しい、少し不気味にも感じられる話し方だった。

 霞は見られていたのかと、心の中でため息を吐く。自分でも解釈しがたいあの楓の行動を思い出し、赤面しそうになるのを着物の袖で口元を覆って誤魔化した。


「あれは楓様の行き過ぎた演技というか……たわむれというか……」

「霞がそう思っていても蔵人頭殿はそう思っていない」


 反論を許さない伊吹の力強い声に霞は一瞬だけ黙り込む。


(何を言ってるの。ふたりは勘違いしているだけ。私はふたりが思っているような女じゃない。人を盤上の駒としか思わない……腹黒くて汚い女なんだから。楓様の腹黒さは宮中を守るという大義があるけれど私のは……ただ個人的な復讐のため)


「伊吹も楓様も勘違いしてるのよ……。無意識のうちに私に対して責任を感じているだけ。それは楓様も同じ。今は特別な女に見えているかもしれないけれど実際は美しくもなんともない。少し知恵の回る、捻くれた女なの」


 霞も負けじと伊吹を説き伏せようとする。どうか自分のことなど好きにならないで欲しいと切に願う。身内である伊吹なら尚更、別の姫君と結ばれて幸せになって欲しいと思った。


「私のことは気にしなくていいから。身内だからって無理に側に居ようとしなくていいのよ。本当は伊吹が養子に行った時、地方官になってどこかの姫と結ばれて……新たな一族を築いて欲しいと思って……」

「違う!」


 霞は伊吹に両腕を掴まれて、肩を揺らした。強制的に伊吹の真っすぐな瞳と視線を合わせられ、逃げ場を封じられてしまう。


「責任を感じてるわけじゃない。俺は、ずっと前から霞が好きだった!出会った時からずっと……!」

「伊吹……」


 伊吹の必死な形相ぎょうそうに霞は呆然ぼうぜんとする。その顔は苦しそうで今にも泣きだしそうで……。幼い頃の伊吹と重なった。思わず手を伸ばしてしまう。

 その勢いのまま伊吹の腕の中に引き寄せられる。霞よりも大きく、がっしりとした体つきから伊吹はもう幼い頃とは違うのだと嫌でも思い知らされた。


「だから、そんな風に自分のことを言わないでくれ。また俺を遠くにやらないでくれ……。俺は霞の側にずっと居る!」


 伊吹の悲痛な叫びが体全体から伝わって来る。

 霞は伊吹の思いを一身に受けて頭の中が混乱した。どうすればいいのか分からない。ここで伊吹を拒絶すれば伊吹を大きく傷つけることになる。逆に受け入れてしまえば……もう元には戻れなくなる。

 伊吹の好意に喜んでいる自分がいることも分かっていた。このまま誰かに寄りかかることができればどれだけ楽か……。霞を突き動かすのはやはり、復讐の炎だった。


(私は化け物に復讐するまで歩みを止めることは……できない)


「伊吹。あなたの気持ち、とても嬉しかったわ。だけど私達には血のつながりがある。思いが結ばれることは……ない」


 伊吹の腕の中で霞は残酷な言葉を吐く。伊吹の腕が震えているのが分かった。霞の心にチクチクと針が刺さるが、耐えながら続ける。


「それは……」

「だけど血のつながりというのは男女の関係よりも強いものだと私は思う。伊吹とはこれまで通り変わらずに側に居るから」


 力の弱まった腕から霞は抜け出すと、伊吹の右手を両手で包んだ。これで何とか霞の思いは伝わっただろうかと伊吹の様子を伺うが、伊吹の瞳は仄暗ほのぐらかった。


「そう言って……結局、蔵人頭殿の元へ行くのか」

「え?」


 伊吹の顔を覗き込んでいた霞をそのまま開いた左手で霞の後頭部を引き寄せる。霞は伊吹と口づけを交わしていた。一瞬、時が止まったかのように感じられて霞は慌てて伊吹から距離を取ろうとするのだが伊吹の左手がそれを許さなかった。右手が霞の手から逃れ、肩に伸びてくると霞は頭の中で本能的に身の危険を察知する。

 パンッというくうを切るような音と共に伊吹と霞の距離が開く。それは霞が伊吹の頬を払った音だった。

 伊吹は予想もしていなかった反撃に目を白黒させている。


「伊吹……これ以上は怒るわよ。私は一族の復讐を終えない限り、止まることはできないの。私と共に宮中に居たいのなら今の関係を維持しなければならない……。分かるでしょう?」


 霞は口元を拭う。頬が微かに朱に染まっているのを見て伊吹の心を波立たせた。落ち着かない気持ちのまま、伊吹は霞の目を見て息を呑んだ。

 その瞳には炎が燃えていた。煌々と燃え上がるその炎に魅入ってしまう。一族を滅ぼした恐ろしい炎のはずなのに、霞を通してみるそれは美しく見えるから不思議だ。


「私には伊吹の力が必要なの。伊吹が大切な存在であることも変わりはない。楓様のことは……何とも思ってないわ。今はそれで許してくれない?」


 伊吹は霞の言葉のひとつひとつを胸にしまい込む。

 「自分の力が必要」、「大切な存在」、「楓のことは何とも思っていない」……。どれも伊吹が欲しかった言葉だがまだ足りない。霞が本心で言っているとも思えなかったがそれでも今はここまでで我慢することにした。


「分かったよ……霞。手荒な真似をして悪かった」


 いつもの明るい笑みを浮かべる。本当は言わずにいようと思っていたのだが、打ち明けることにした。伊吹の性質上、隠しごとをしているのはしょうに合わないと思ったのだ。


(霞への思いを押さえていたのが今こうして裏目に出たんだ。下手な小細工なしでいこう。それが俺の強みだから)


同じ一族の者として、蔵人頭殿の護衛として。いつも通りの俺でいよう」


 霞がほっとした表情をするのを見て、伊吹は悲しいのやら嬉しいのやら分からない表情を浮かべる。


「俺は養子で霞と一族の縁は切れているんだ。……いつまでも同じ関係でいられるとは限らないからな!」

「ちょっと、伊吹。それって……」


 霞が目を見開くのを見て、伊吹は愉快な気持ちになる。久しぶりに霞を驚かせることができて嬉しく思ったのだ。

 襖を開け放つと、眩しい日差しが霞達を出迎えた。


「そろそろ霞のつぼねに戻ろう。蔵人頭殿が水仙様の情報を手にしているはず!早い所化け物の足を掴むぞ!」


 まるで先ほどの出来事がなかったかのようないつもの明るさを取り戻した伊吹に霞は戸惑った。伊吹のことだから、色々と打ち明けられてスッキリしたのかもしれないと、勝手に納得しておくことにする。終わった話を再び蒸し返す気にもなれないので霞も何もなかったかのように返事をした。


「そうね……。戻りましょうか」


 透渡殿すきわたどのを渡っていくふたりを眺めていた者がいた。その存在にふたりは気が付かない。

 それは……水葵の局にいた少女だった。

 










 


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