第4話 疑惑の矢(1)

かすみ、観念して教えて頂戴。昨夜、どんな殿方とのがたと一緒に居たの?」

「はい?」


 菖蒲あやめからの突然の問いかけに霞は思わず、くしかす手を止めた。菖蒲の美しく、長い髪が揺らめく。


「聞いたのよ!霞のつぼねの方から殿方の声がしたって。昨日は添い遂げる殿方なんていないって言っていたのに。嘘をついていたのね」


 霞はすぐに昨夜のかえでとの会合かいごうに思い当たって、心の中で頭を抱える。


(こんなにすぐ噂になるなんて……。流石は後宮ね。確かに、昨日腕を捻ったから声が響いてしまったのかも)

「まさか!昨夜は誰にも会っておりませんよ。女房達の聞き間違いでしょう?昨夜はぐっすり眠っていましたから」


 笑顔で菖蒲を制する。


「本当に本当?」

「本当に本当でございます」


 振り返って霞の顔をじいっと見つめた菖蒲は表情の変わらない霞を見て、追及を諦めた。


「ふーん。なんだ、つまらないの。あ!おおやけにしたくないのなら私にだけ話してくれてもいいのよ!」


 そう言って可愛らしく耳に手を添える素振りを見せる。


「菖蒲様、そろそろ前を向いてくださらないと髪を整えられませんよ」

「……はーい」


 浮ついた話を教えてくれそうもない霞に菖蒲は不満そうに正面を向いた。


「そう言えば、そろそろ野行幸のぎょうこうにございますね」

「楽しみですね!着飾った殿方達が見られるんだもの!」


 同じく菖蒲の身支度を手伝っていた他の女房達が上擦うわずった声を上げる。

 霞は『野行幸』という言葉に反応する。

 帝が鷹狩たかがりを見るための行事で、都に程近い山で行われた。当然第一妃である菖蒲、世話役である霞も参加することになっている。

 皆が浮かれている中、霞だけ嫌な予感を感じ取っていた。


(もしかして……。野行幸で『化け物』が動き出すかもしれない……。これだけ大きな祭事だもの。何も起きないはずがない)


「霞?どうかしたの?」


 髪を梳く手が止まったので、異変を感じた菖蒲が声を掛ける。


「いえ、少し考え事を」


 霞はにこやかに答えると菖蒲の美しい髪を解き始め、再び思考する。


(もし化け物が動き出すとして。次に狙われるのは誰になるのかしら……)


 霞の心の中で盤上が浮かび上がる。

 霞は頬杖をつきながらその上に並ぶ宮中の人々……駒を眺めた。





「失礼致します」


 襖越しに声が聞こえて、霞は弾かれたように切燈台きりとうだいに照らされた文机ふづくえから顔を上げた。


(いけない。もうこんな時間だったのね)


 霞は咳払いをして「どうぞ」と小さく返事をする。

 入室してきたのは、紺色の狩衣かりぎぬに身を包んだ男だ。

 その人物は……かえでだった。

 文官の象徴でもある黒い装束ではなかったが右目の泣きぼくろがあることから、目の前の人物は間違いなく楓だと分かる。


「どうだ?お望みの通り、目立たぬ格好で来てやってぞ」


 楓が得意そうに地味な色の狩衣かりぎぬを引っ張って見せた。実は昨夜の別れぎわ、今後は変装して来るようにと霞が密かに伝えていたのだ。そんな姿を見て、霞はくすくすと笑う。


「はい。あとはその泣きぼくろを取れば完璧にございます」

「取れる訳ないだろう!」


 楓が鋭い突っ込みを入れる。

 霞に腹黒さを見破られてから、楓の物言いは砕けたままだった。当初の柔らかで紳士的な様子は欠片かけらもない。演じられるよりも霞はこっちの方が気楽だと思い、特に指摘しなかった。


「そんなことより。楓様はどうお考えですか?七日後に行われる野行幸について……」


 霞の真剣な眼差しに、正面の置き畳に座りながら楓は答えた。


「ああ。化け物が動き出すいい機会だろうな」

「やはり、貴方もそうお考えになりますか。どなたが狙われているのか、目星めぼしは付いているのですか?」

東宮とうぐう様だ」

「え?もう狙われている者がもうお分かりなのですか?」


 目を丸くする霞に楓がにやりと笑う。

 霞は眉を顰めた。楓は霞が驚くのを楽しんで、得意がっているのだ。何だかいけ好かない。霞は慌てて表情を引き締める。

 東宮というのは帝の弟のことだった。本来であれば皇太弟こうたいてい様と呼ばれるはずだが、帝にまだ男子が生まれていないことから皇太子の呼び名として用いられる『東宮様』と呼ばれていた。


「ああ。何せ東宮様に脅迫状が送られてきたのでな。東宮様のお部屋の前に文が落ちていたんだそうだ『鷹の獲物は帝の近くにあり』と。血のようなもので書かれていたらしく、女房達が呪いだ!と騒いでおったわ」


 楓が自身の膝の上で頬杖をつきながら呆れた様子を浮かべる。


「脅迫状ですか?今までと随分手法が異なりますね……」


 霞は顎の下に手を当てて考え込む。


「東宮様は帝に一番近いお方だからな……。それに、今まで亡くなって来た者達には共通点がある」

「共通点?」

「全員、帝が目を掛けていた優秀な人材だということだ」

「何ですって?だとしたら……『化け物』の狙いは権力じゃないということ?」


 顔を青ざめさせる霞に楓はため息を吐いて頷いた。


「ああ。この国を崩すつもりなのかもしれない……」


 霞は顔を俯かせる。そのせいで横の髪が垂れさがり、霞の表情が良く見えない。

 楓は流石に霞のことを気の毒に思ったのだろう、眉を下げて霞の様子を伺っている。


「大丈夫か?恐れるのは無理はないな……。何せ相手の目的が凶悪で強大すぎる……。俺も嘘だと思いたいぐらいだ」

「いいえ、恐れてなどおりませぬ。寧ろ、私の両親の仇が大駒おおごまだと知って感動しておりました。これは……かなり取り甲斐がありますね」


 霞は顔にかかった髪をかき上げながら答えた。その眼には恐れなどない。瞳の中で炎が燃え上がっていた。

 楓はその様子を見て思わず息を呑んだ。この状況を遊戯盤のように捉える霞の強さに恐れを抱く。

 己の未熟さを誤魔化すように咳ばらいをすると腕組をして答えた。


「……それぐらい強気でいてもらった方が助かる」

「はい。それでこんな状況でも野行幸は行われるのですか?私も楓様も参加致しますが……」

「ああ、予定通り行われる。東宮様は気にしておられぬし、陰陽師たちの占いにも吉日と出ているそうだ。だから、いつもより警備を増やして行うことになった。厳重に皇族方をお守りするんだ」

「なるほど……。となると私と菖蒲様も多くの近衛府の者達に囲まれるということですね」

「ああ。そういうことになる。いつもより大所帯おおじょたいになるな」


 霞は何か考え込む素振りを見せた。


「だから霞様には皇族方を見守るだけでなく周辺の不審人物に目を光らせて欲しい。俺は鷹狩の参加者として会場周辺を馬に乗って回る。何かあれば使いの者を走らせるからそのつもりでいて欲しい」

「承知しました。では……私も大事だいじに備えて準備させて頂きます」

「備える?何をだ?」

「秘密です」


 楓がいぶかしそうに見ると、霞は裾で口元を隠して優雅に微笑んだ。今度は楓が分からないでいる状態を霞が面白がっている。

 自分が遊ばれていることに気が付いた楓も負けじと反撃に出た。


「秘密って……教えぬか。俺達、協力者だろう?」


 

 そう言って楓は文机に置かれた左手の上に己の右手を重ねた。霞の小さな手が覆い隠されてしまう。顔を上げれば楓の秀麗な顔があった。

 女子おなごであれば誰でも赤面しそうなこの状況に霞は張り付いた笑みを浮かべる。


「だから……。私にはその手の色仕掛けは効かぬと申しておりましょう」


 両手で楓の手を持ち、ひねろうとする仕草を見せたので、楓は慌てて手を引いた。


「ちっ……駄目か……って悪かったから!捻るのはやめろ!」

「野行幸は敵を炙り出す好機。気を引き締めて参りましょう」

「全く……恐ろしい女子だな。くれぐれも油断するなよ。野行幸では何が起こるか分からないんだからな!」


 楓はぶっきらぼうに言うと、辺りを気にしながら霞のつぼねを出て行く。


(さて。相手はどう動くかしらね)


 霞は楓が立ち去るのを見送ると、再び自分の脳内にある盤上に向かい合った。















 





 



 






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