第2話 探り合い

(まさか宮中一の色男いろおとこと対面するとはね)


 かすみは深いため息を吐いた。

 蔵人頭くろうどのとうというのは帝の秘書官の長官のことだ。二十三という若さでその地位に登りつめた青年、かえでは出世の筆頭候補として注目を集めている。

 女官達の人気も高く、女子おなごの噂が絶えない。彼が通り過ぎただけで女官達は黄色い声を上げ、その姿に釘付けになる。かと言ってだらしないわけではなく、職務を粛々とこなすその仕事ぶりは帝のお墨付きだという。

 影で動く霞とは正反対の光輝く眩しい存在。宮中にいくつか存在する強いこまの1つだと霞は考えていた。


(強い駒というのは沢山の人に影響を及ぼす。下手をしたら戦況がひっくり返るような力を持つ者。その代わり扱いは難しい……)

「隠れて待ち伏せなんて酷いことをおっしゃいますね。偶然ここに居合わせただけなのに」


 悲しそうに目を伏せる楓。右目の下にある泣きぼくろが見えてた。この場に他の女官が居たのなら、両手を合わせて歓喜するだろうが、霞は張り付いた笑顔で指摘した。


「お気を悪くさせたのなら申し訳ございません。お勤めが終わる時間ですし、文書殿ぶんしょどのの奥から現れるなんて……。まるで誰かを待ち伏せるために隠れていたみたいだなと思いまして」


 霞の指摘に楓は目を丸くする。その後で声を上げて笑った。


「霞様こそ。こんな時間に1人で……。まるで誰かに隠れて何かを探しに来たようではないですか?」

「私は女房の身。文官の方のご迷惑にならぬようこうして時間をずらして参ったのです。それに、私の目当ては物語の巻物ですよ」


 そうして二人は微笑みあう。霞は楓が自分に探りを入れているのを感じ取っていた。


(この人、私と同じ種類の人間ね。他人の思惑を探り、自分のにしようとしてる)


 やがてらちが明かないと察したのか。楓はため息を吐くと頭を掻いた。


「……ああ、もう面倒だ。貴方あなた下手へたな芝居は通用しないのは分かった。単刀直入に聞く。ここに何しに来た?」


 先ほどの物腰柔らかな青年はどこへ行ったのか。乱暴な物言いに驚きながらも霞は慎重に言葉を選ぶ。


「何のことでしょう?私はただ巻物まきものを……」

「とぼけても無駄だ。貴方は四年前の火事の真相を探しに来たのだろう?」


 霞の息が止まった。自分の思惑を言い当てられた霞は押し黙る。


(何故それを……この人が知ってるの?)


 背中に冷や汗が流れるのを感じた。霞が動揺するところを眺めると、楓は腕組をしながら続けた。


「やはりな。俺の読みは当たっていた。だとしたら恐ろしい方だ……。己の復讐のためにその地位まで登りつめたんだからな」

「……!」


 霞は楓を睨みつけた。どうやら菖蒲を利用した霞の行動は楓に気が付かれていたようだ。衝撃でよろめきそうになるのをなんとか両足を踏ん張って耐える。

 やり遂げなければならないこと。それは四年前、霞の両親を奪った者への復讐だった。霞はあの火事を事故ではなく、宮中の権力争いに巻き込まれたせいだと考えていたのだ。


(落ち着くのよ。私の両親のかたきならこんな風に姿を現すはずがない)


「だとしたら貴方はどうなさるおつもりですか?私を後宮から追放する?それとも罪として表沙汰になさいますか?」


 楓に向かって、霞は力強く問う。

 小賢しい女、意地汚い女と罵られるかと思ったが、楓の口から出た言葉は意外なものだった。


「いや、その手腕しゅわんを見込んで頼みたいことがある。俺と宮中のを狩るのを手伝って欲しい」


 黒い瞳に鋭い光が宿る。普段と大きく異なる雰囲気に霞は息を呑む。楓の美しさに妖しさが加わって、色っぽさが増しているように思えた。そんな雰囲気をもろともせず、霞は自分の手をぎゅっと握りしめながら問いかける。


「化け物?一体何のことです?」

「ここで立ち話は危険だ。場所を変えよう」

「場所を変えるって……」


 霞は嫌な予感を感じとる。いつの間にか楓が霞の正面にやって来ていて、目を細めて見下ろしていた。思わずその黒い瞳に吸い込まれそうになる。


「霞様のつぼねにございます」


 そっと耳元で囁かれ、思わず心臓が脈打った。同時に腕にぞわりと鳥肌が立つ。


(やっぱり、そう来たか!)


 男子が女子の部屋を訪れるのは女官達の中で多々あることで、色事いろごとの基本だった。この場合、男女の逢瀬おうせを装った方が自然に話をすることができる。それは霞も重々承知していたのだが……。


(楓様を連れ込んだら、確実に女房達の噂になってしまう。これからの行動のためにも私が目立つのは避けたい)


 霞が考え込んでいると楓が勝ち誇った笑みを浮かべているのを見て唇を噛み締めた。やがて、羽織っていた小袿こうちきを1枚脱ぐと、霞は楓の胸に押し付ける。

 楓は瞬きをして霞の小袿を見下ろした。


「これを頭からかぶって他の者に顔を見られぬようにしてください。それから付いてくる時は少し距離を取って付いてくるように」

「……随分と念入りだな。そんなに俺と噂になるのが嫌か?」

「貴方は困らぬでしょうが私が困ります。人の目があってはこれからの行動にさわりますので」


 霞の真剣な表情に押されたのか、楓はため息を吐くと小袿を頭から被った。霞が身に付けている時は地味な小袿も楓が手にしただけで華やかに変わるから不思議だ。

 霞と楓は文書殿を出て、後宮にある霞の居室に向かった。





 


 







 


 




 

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