スメル・マイン

めんつゆた

第1話 目覚めると鼻栓

ーーおひょうさま。


私は夢をみている。


ーーおしょうはま。目を覚ましてくらさい。


水面に浮かぶ枯れ葉のように、ゆらゆらと夢の世界を漂っている。

輪郭のはっきりとしない言葉は、水中を逃げ回る稚魚のように散り散りとなって聞き取れない。

けれど、誰かが私を呼んでいる。それだけは自覚した。

夢見心地の私は、肩を揺すられる刺激によって覚醒を強いられる。


「お嬢様。気が付かれまぢたか?」


目を覚ますと、そこにはユウリがいた。私の護衛騎士にして、お父様の領地を警護する騎士団期待の若手。顔もそこそこに整った美男子である。

しかし、ユウリが居るのは不自然だ。寝ている私を起こすのは侍女の役目であり、ユウリが無作法に寝室に入ってくることはありえない。だからこそ、これは非常時だと悟り、寝ぼけ眼を擦りながら上半身を起こした。

「ーーユウリ? どうしたの。貴方が寝室に入ってくるだなんて……」

目覚めた先は馴染みのベッドの上だ。愛くるしい動物のぬいぐるみ達が、いつものように私を取り囲んでいる。

変わりない朝のように思えたが、窓から差し込む紅色の光は夕暮れを示していて、いつもと違うことだけは直ぐに理解できた。

「お嬢様。お加減はいかがでずか? 痛いどごろや、気分が優れないなどの違和感はないでじょうか?」

「……ええ。特になにも。強いて言えば、なんだか、ユウリの声色が変に聴こえるかしら。風邪をひた時のようなーーそう、鼻声に聴こえるのだけれど。一体、どうしてそんな喋り方になっているの?」

 主の娘の部屋ということもあってか、ユウリは私が状態を起こすと同時にベッドから離れ、膝をついたまま頭を垂れ、私と目を合わせようとはしなかった。

 薄手のネグリジェから覗く私の柔肌にみとれないよう配慮しているのかもしれない。けれど、いつの間に寝間着に着替えたのだろうか。少し記憶が曖昧だ。

さすがに着替えさせたのは侍女達だと思うのだけれど、その侍女達は今も部屋の片隅に身を寄せるように立っている。こちらに背を向けているの何故だろう。会話を聞かないように配慮しているのだろうか。

「覚えておりまぜんか? お嬢様は私どもが依頼を受けた魔物退治に同行され、その際、呪獣を攻撃したことで、気を失われていたのでず」

「魔物退治? ……そうでした。貴方との稽古の成果を自分で確かめたくて、それでーー」

徐々に記憶が甦ってくる。

切っ掛けはそう、こんな依頼が領主である父親の元に持ち込まれたことにあった。


『このところ、郊外に多数の魔物が出現する。流通の妨げになるので、排除して欲しい』


 領主としてその依頼を引き受けたお父様は、普段は私の護衛を第一任務としているユウリを含む討伐隊を派遣することになった。

その話を耳にした私は、興味本位から魔物と相対してみたくて、勉学のためと建前を使い同行することにした。多少なりとも武芸の習い事をしていた私は足手まといにはならないだろうと根拠のない自信を持っていた。

概ね掃討された魔物の集団の中で、取りこぼされた小さくか弱いスライム状の魔物を見つけると、自分にも倒せる相手と判断し、模擬刀で斬りかかった。

『お嬢様! その魔物は倒してはなりません! その魔物は――』

 護衛騎士の言葉を最後まで聞き届けるよりも先に、私はその魔物を倒してしまった。模擬刀で一太刀。あまりにも脆すぎる。まるで、倒される為に生まれてきたような、そんな脆弱さだった。

 討伐された魔物は、身体を形作っていた外郭が消失することで、核となった魔石だけがその場に残る。しかし、不思議なことに私が倒した魔物は黒いモヤに変貌し、私に襲いかかってきたのだ。

 瞬く間、黒いモヤに包まれた私は気を失い、そのまま自宅に運ばれたーーというのがことの顛末だった。


あのモヤは一体なんだったのか。そして、もう一つ、気になる点が。

「ところで、さっきから気になっていたのだけれど

ーーみんな……。どうして、鼻を塞いでいるの?」

「「「っ!?」」」

 侍女達は肩をびくっと跳ねさせた。恐る恐る、こちらに顔を向けてくる。

やはり、鼻を手で覆っていた。

 モヤのことも気がかりではあるが、それよりもこちらの方が気になる。

こちらに背を向けている侍女達も揃い踏みに鼻を押さえているようだ。

「ユウリも。さっきから顔を下げたままだけれど、顔を上げてもいいのよ。私に見惚れることを許可します」

「そ、それはーー」

「もう。私の寝巻き姿が恐れ多いからって、遠慮しなくていいのですよ。ほら、顔を上げて」

「ーーーーっで、では、失礼して」

ユウリは抵抗を示しながらも、垂れていた頭を上げる。

そこには、鼻栓があった。

布を丸めただけの簡易的な鼻栓だ。いくら、ユウリの美形をもってしても、変顔になってしまうくらいの歪さだった。

「ぷっ。あなた、それ、どうしたの! せっかく美形が台無しよ」

ユウリの話し声が曇りかかった声だったのは、鼻を塞いだまま話をしていたからだった。しかし、どうして鼻栓などしているのだろう。鼻血でも止めているのだろうか。

まさか、私の寝巻き姿で興奮してーー。

「ぞ、ぞれはーー」

 私が照れながら身をよじっていると、ユウリは罰が悪そうに顔を背ける。

「どうしたの? はっきりいってくれないとわからないわ。大丈夫。安心して。本当のことを言ったとしても処罰の対象にはならないわ。罪作りな私に責任があるのですから」

ユウリの口から私のスタイルを褒め称える言葉か出るのを今か今かと待っている。

そんな私の浮かれた様子とは裏腹にユウリの表情は暗いままだった。

「……承知しましたお嬢様。大変、申し上げにぐいのですがーーーーーーー“くさい”のです」

「え?」

 くさいーー聞きなれない単語だった。やはり、自分の耳が変になっているのかもしれない。

『素敵だね。綺麗だよ。魅力的だ』美辞麗句を湯水のように言われ続けてきた私は、その単語を向けられたことなど、一度たりともなかった。

「もう一度言って貰えるかしら? 私が、その、なんですって?」

 ユウリは、魔物の首を撥ね飛ばそうとも崩すことがなった涼やかな顔を酷く歪ませ、額に汗を滲ませながら口でのみ呼気し、言葉を絞り出す。

「お嬢様が、とでも、臭いのですぅぅ!」


……くさい? クサイ? 臭い?


「えええええええ!?」

その日ーー、私は当たり前にあった自分の匂いを失った。

そしてーー世にも恐ろしい、悪臭を放つ腐女子になってしまったのだ。

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