第1話 憧れの彼女

 俺、神岡龍一かみおかりゅういちは寝ている間に、学生時代に憧れた女性と付き合っていた。

 いや、普通に考えたら「憧れた女性の夢を見ていた」と言うべきだろう。だが違うのだ。そうではないのだ。


 いわゆる思春期の夢想なら分かる。しかし大学を出て八年だ。もういっぱしの社会人となった俺が、今更こんな夢を見るのかと驚いた。

 学生時代の夢を見ることはある。もっと違った学生生活を送れたように思ったりすることもある。どこかで納得していないのかもしれない。そんな夢を見ることがある。

 だが、彼女の事は違う。正直忘れていた。まぁ、楽しい夢なのでいいのだが。


 しかし、次の日も彼女の夢を見た。この時も、ちょっとラッキーなどと思っただけだった。けれど、仕事がきつくなって来たせいかも知れないとも思った。こんな風に楽しい夢でも見なければやってられないのかも。もしかすると、これは心の自己防衛反応なのかも知れない。ちょっと、危ない気がした。


 そして三日目も同じ女性の夢だった。しかも、次第にリアルになっていく。俺はおかしくなったんだろうか? 直ぐに病院へ行って医師に相談すべきなんだろうか?

 俺が、そうしなかったのは、単純に夢が夢でなくなって来たからだ。一週間も過ぎると、夢の中で普通に会話が出来るようになっていた。俺の中では現実になってしまっていた。つまり俺は夢の中で「生活」していた。


  *  *  *


「ねぇ。最近の龍一ってちょっと変な時あるよね?」上条絹かみじょうきぬが言った。


 上条絹は俺の彼女で、大学に来て知り合った。絹はちょっと不思議そうな顔をしている。


「そうか?」


 俺は絹が作ってくれた夕食を美味しく食べ、満足した顔でソファにもたれ掛かっていた。小さな俺の部屋だが、絹がいれば天国だ。


「うん、なんか、妙に私を見つめることがあるよね?」


 上条絹は、食後のコーヒーを小さいテーブルの上に置きながら俺を覗き込むようにして言った。俺はちょっとどぎまぎして、彼女が淹れてくれたコーヒーを一口飲んだ。


「惚れてるからな」ちょっと言い訳めいた言い方になったか?

「嘘ばっかり」


 そんなことを言って、絹は俺の横にぽとんと座った。見ると、ちょっと照れているようだ。


 もちろん、嘘なんてことは無い。上条絹は俺の憧れの女性だ。付き合えなかった雲の上の女性だから思わず見つめてしまっただけだ。

 ただ、もうすぐこの時間も終わってしまうだろう。何故なら、俺が目覚める時間が近いからだ。消え去る前に、俺は彼女を抱き寄せた。


  *  *  *


 俺は目を覚ました。いつもの、朝だ。そそくさと出勤の準備を始める。

 俺に問題があるんだろうか? 一応、睡眠は取れているようで、体に異常は感じられない。もちろん誰にも迷惑はかけていない筈だ。ただの夢だからな。だが、もし仕事に支障が出るようなら病院へ行こうと思う。ただ、今のところは大丈夫だ。決してあの夢を止めたくないからではない。


 そんなことを考えながら会社に出勤した俺は愕然とした。俺の務めていた会社が倒産していたからだ。俺が呆然としていると、同僚に小突かれた。今後について、説明会があると言う。倒産に至る経緯と今後について詳しく説明してくれるらしい。

 こうなってしまっては、あまり意味のある話が聞けるとも思えなかったが、俺達一般社員に出来ることは、そうあるわけではない。俺は素直に説明会に出席した。


 倒産に至った理由は、要するに多角経営で手を出した事業に失敗したということだった。素人が手を出すべきではない投機をしていたようだ。中堅どころの企業だったのだが、投資家としては三流だったようだ。そして、そのダメージは大きかった。


  *  *  *


 俺は、再び夢の世界へ戻っていた。

 もう、やってられないと思ったのだろうか。寝てるときくらい安らぎがあってもいいとも思った。これは、逃避行動なんだろうか?


 俺の隣には上条絹が寝ていた。相変わらず素敵な女性だ。思わず見入ってしまった。


「龍一、おはよう」


 俺が動いたせいか目覚めた絹が、俺を見て柔らかく笑って言った。


「おはよう、絹」


「早いのね。あぁ、そうか、今日は会社訪問の日だっけ」そんなことを言った。


「そうだっけ?」

「そうよ。昨日言ってたじゃない。ほら、案内があそこに」


 絹が言ったように脇の小さいテーブルには会社訪問の案内が置いてあった。それは、倒産した俺の会社だった。


「気が変わった。この会社には行かない。今日はお前といる」


「ダメじゃない。そんなこと言っちゃ! 私は嬉しいけど」

「いいんだよ。あの会社は危ない投機に手を出してるって情報を貰ったんだ」

「本当? いつ?」

「さっき、知り合いから聞いた」嘘じゃない。知り合いの『未来の俺』だけどな。


「そう。わかったわ。じゃぁ、大好きな公園でピクニックしましょう」


 俺は、彼女を抱き寄せた。今日は休みだ。


 そこで、ふっと意識が途絶えた。


  *  *  *


「お帰りなさい」


 俺のベッドの横には上条絹ではなく、同級生の今宮麗華いまみやれいかがいた。

 そして、全てを思い出した。そうだった。上条絹のことで少し混乱していたようだ。あれは予想外だった。


  *  *  *


 少し話を戻そう。一週間前だ。

 俺は、就職先に迷っていた。それで今宮麗華に相談していた。そして俺は彼女から驚くべきことを打ち明けられたのだった。


「将来性なんて言っても、分かったもんじゃないよな? 内情なんて明かされないし、今の時代、いつ倒産してもおかしくない」


 会社案内のパンフレットを放り出して、俺は言った。


「ふふ。そうね。せめて十年くらい勤めた人に話を聞きたいよね」


 麗華もパンフレットを手に言った。


「十年勤めた先輩?」

「そう。さすがに十年も内部にいたら、将来どうなるか分かるんじゃない?」


「そうかな? でも、そんなこと教えてくれる先輩いないしなぁ」

「だから、そういう知り合いを見付ければいいと思うの」

「見つける? どうやって?」

「聞きたい?」

「言ってみろよ」


「そうね。私とちゃんと付き合ってくれるなら、とっておきの情報を教えてもいいわよ?」

「なんで、そんな条件なんだよ。もう付き合ってるだろ」ちゃんと?

「もっとはっきりと」なにこれ、逆プロポーズ? 同棲したいの?

「まだ、早いんじゃないか?」学生だけど?

「じゃ、だめね」

「なんだよそれ」

「ふふ。実はね私、予知能力に近い事が出来るのよ」


 麗華は、いきなり怪しいことを言いだした。こんな奴だったっけ? もっときっちり付き合えとか言いながら、こんな怪しい事言い出すか普通?


「いま、怪しい奴だと思ったでしょ」

「怪しいだろ」

「じゃ、そうじゃないって証明してあげる。えっとね」


 そう言って麗華は付けっぱなしのTVを見た。いつの間にか始まった競馬中継が流れていた。


「このレースはキタノコンゴウが優勝するよ」


 もちろん、レース結果のことを言っているのは分かる。そのレースは今始まったところだ。


「何言ってんの?」


 俺も麗華も競馬はやらない。つまり馬の名前さえ知らない。なんでいきなりそんなことを言い出したのか分からなかった。

 そんなアホなと思って見ていたら。本当にその馬が勝ってしまった。


「ほらね」

「た、たまたまだろ? それだけ自信があるなら馬券でも買っとけよ?」

「うん、買ってるよ。ほら」


 何故か、麗華は馬券を持っていた。そのほかにも何枚も。既に、結果は出ているものもあった。つまり、今気まぐれで言っているわけじゃないってことだ。

 それから数レース、彼女はことごとく優勝馬を当てた。よく分からないが万馬券とかいうものも含まれていた。換金すればかなりの金額になるだろう。驚くことに十枚全部当てたのだ。そうなる確率は、どれだけあるだろうか。


「お前こんな事やってたのか!」

「やってないわよ。これは、私を信用させるために買って来ただけ。換金する気は無いわ」

「いや、そこは換金しとけよ」

「ふふ。そういう訳にはいかないの」と言って、麗華は馬券をびりびりと破いた。


 彼女は、こんな話をするために、わざわざ馬券を買ってきたのか? 彼女の能力を証明するために? 普通じゃないってことは分かった。

 ちぎれた馬券を見て俺はもったいないと思った。でも、こんな未来予知のような能力が本当にあるとしたら、いつでも稼げるってことか?

 だが、これが本当なら簡単には教えられない能力だろう。普通、秘密にする。他人に知られるわけにはいかない筈だ。それを彼女は俺に教えたことになる。ちょっと付き合ったくらいじゃ教えられない内容だ。そういうことか。

 俺は信じられない思いで改めて今宮麗華を見た。


  *  *  *


 こうして俺は彼女、今宮麗華の能力を知ることになった。

 麗華の能力とは、意識を未来へ飛ばす力だった。タイムリープに近いと思う。この力を使って、競馬の結果を知ったのだと言う。

 そしてさらに驚くべきことは、彼女のこの能力は他人に貸し与えることが出来るということだった。つまり今回俺は彼女のこの能力を借りて未来へ飛んだという訳だ。

 未来に飛んだからこそ会社が倒産するのを知れたのだ。


 もちろん、未来を知った俺はこの会社に就職しない。つまり、俺は未来を変えたことになるだろう。

 ただ一つ気になることがある。上条絹といた夢の中でも俺はこの会社に就職するのを止めたってことだ。

 学生時代に上条絹と付き合っていて、同じように未来を知ったため就職するのを止めた。あれは本当に夢だったんだろうか? さすがに麗華に話すのはマズイ気がした。そもそも、うまく説明できない。


「確かに、あなたの未来は変わったけど世界が変わったわけじゃないわよ?」麗華はそんなことを言った。

「うん? どういうことだ?」


「ええと、その倒産する会社にあなたが就職する世界は今でもあるのよ」事も無げに言う。

「えっ? でも、俺は別の会社に行くぞ」

「そうね。あなたは別の会社に就職するわね」

「じゃ、俺があの会社に就職する世界は消えたんじゃないか?」俺は絶対行かないからな。


「違うのよ。あなたの選択で世界が出来たり消えたりするわけないでしょ? どっちの世界も初めからあるのよ。あなたが、倒産する会社にいく世界と、倒産しない会社にいく世界は両方あるの。あなたの意識が移動しただけ」麗華は難しいことを言った。


「世界は変わらずに、俺の意識だけが移動するのか?」

「そう」

「二つの世界は初めから両方あったのか?」

「そうね」そんな馬鹿な。


「それ、俺が選択したことになるのか?」

「なるわよ。どっちの世界のあなたもそれぞれで選択してるのよ」

「両方に俺がいるのか?」

「両方と言うか、選択肢の数だけいるのよ」

「俺が分かれるのか?」

「そうなるわね」


 いろんな世界が同時に存在すると言われても簡単には信じられない。


「ただし、未来を見たあなたが行く世界は一つだけど」

「うん? ひとつ? 未来を見た俺だけか?」

「そう。当然私もそこにいる。だから付き合う以上の関係が必要なのよ」


 それは沢山の俺がいて、そのうち今宮麗華が自分の能力を教えたのは、この俺だけだということか。運命共同体ってことか? うん? 付き合う以上ってなんだ? 麗華は分かったような分からないようなことを言った。

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