第18話 獅子の国 危機

 初めてティタンの来ない朝を迎えた。


「今までなら一度は顔を見せに来てくれたのに……」

 昼も過ぎ、夕刻が迫る時間だ。


「ミューズ様、よかったら気晴らしにお散歩でもいかがです?」

 侍女のタニアに初めてそのような事を言われ、びっくりした。


 今まであまりいい反応をされてなかったから、てっきり嫌われているのだと思ったのだ。


「でもここからあまり出てはいけないって」


「それはティタン様がいらっしゃるからですが、ティタン様はもう来ないようようですし、少しくらいなら良いのではないでしょうか? もうすぐここを発たれると聞きましたもの、記念に温室でも覗いてみませんか?」


「温室」

 その言葉にミューズはときめく。


(温室ってあのガラス張りでお花がいっぱい植えられるあれの事? それがあれば薬草などの栽培もし易そう)

 残念ながらコニーリオにはない設備だ。


 お金もかかるし、維持できるような職人もいない。


 何よりそんなお金があれば、仮にも王女のミューズが身分を偽り、隣国まで商いになんて来ない。


「ミューズ様はお花が好きなようですし、ぜひ我が国自慢の温室を見てもらいたくて。暗くなってきたこの時間なら、バレずに見に行くことが出来ますわ」


「ありがとうございます、タニアさん」

 ミューズは深々とお礼を言う。


 その様子にタニアは笑顔を強くした。






「わぁ」

 暗くなりかけではあるが、微弱な光が温室内に灯り、淡くて幻想的な雰囲気を出していた。


「ここでは城内に飾るお花などを育てています。高貴な身分の方がいらっしゃった時に、すぐ飾り付け出来るよう大事に育てているのです」


「そうなのですね」

 時折ティタンが見舞いと称してお花を持ってきてくれていたが、ここからだろうか。


「ティタン様は随分とミューズ様を大事にされておりましたね」

 にこにことそう言われ、ミューズは居た堪れなくなり俯く。


「そ、そんな事ないと思います。子どもだから、優しくしなくてはと思ったのではないでしょうか」


「本来とてもお優しい方ですが、あそこまで献身的になる事はそうないですわ。それに今はあなたが国に帰るという事で、意気消沈していらっしゃいますし」

 会えない、というのはそういう理由なのだろうか。


「そんな事ないです。きっと国にようやく帰るからと、せいせいしているはずですよ」

 そうは言いつつもタニアの言葉に嬉しくなる。


(本当にティタン様は私が帰国することを寂しく思っているのかしら? そうだとしたら、嬉しい)

 内心で歓喜の声を上げながら、口を押える。うっかり言葉にしてはならないからだ。


「んっ」

 思わず興奮したからか、また鼓動が早くなり、顔が熱くなる。


 急いでミューズは薬を取り出し、飲もうとするがそれを横から奪い去られる。


「えっ?」


「随分と病弱なのですね、コニーリオの者は」

 タニアが笑顔のまま、ミューズを見下ろしている、


 その手にはミューズから奪い取った薬瓶があった。


「返して! それがないと困るのです!」

 無理矢理薬を奪われ、ミューズは焦る。


「やはり命に関わるものなのね、いい気味」

 タニアがミューズの体を押し退け距離を置く。

 体は熱くなる一方で、取り返す力もなくなってきた。


 そもそも非力な兎獣人だ、獅子の国の女性に力で叶うはずはない。


「何度も言ったのに、早く出て行かなかったあなたが悪いのよ」

 ティタンがあぁも本気になるなんて信じられなかった。


 婚約者も持たずに体を鍛えることに明け暮れていたティタンが、ただの庶民、しかも隣国出自のみすぼらしい少女を連れ帰ってきた時は驚いた。


 しかも自分がその世話を命じられたのだ。あり得ない。


「私はずっとティタン様を側で支えてきたの。それが薄汚い兎の世話なんて……あり得ない。しかもティタン様から直接世話を受けるなんて。どこの馬の骨とも知らないものが図々しいのよ。身の程を弁えなさい」


「あうっ!」

 頬を打たれ、くすくすと笑われる。


 痛みと衝撃で地面に倒れたミューズは、嗅ぎ慣れない匂いがするのに気が付いた。


「誰ですか、あなた達は」

 見慣れない男達がいつの間にか集まっている。


「私が呼んだ人たちよ。女なら誰でも良いっていうね」

 ぞわりとした。


「わ、私は明日にはこの国を出るわ。なのに何故こんな事を」


「決まっているわ。あなたが嫌いだからよ」

 嫌な目つきに悍ましい匂い。


 ミューズは痛む足と怠い身体に鞭打って逃げ出す。


 温室の入り口にはタニアがいるから、奥へ奥へとなってしまう。


「逃さないで!」

 男達もまた追いかけてくる。


(いや、助けて!)

 命と、そして別な恐怖にミューズは震える体を懸命に動かす。


 だが、鈍くなった体で逃げ切れるはずもなく、あっという間に捕らえられてしまう。


 温室の入り口から遠ざかったことで、更に人に見つかりにくくなってしまった。


「大丈夫、全てが終わったらそのまま外まで送ってあげるから。まぁ馬車もないし、見送りもないけど路上で寝ても構わないでしょ? どうせ汚れるんだから」

 ミューズを掴む大きな手はティタンとはまるで違う。

 思いやりも温かさもない。


(ティタン様!)

 思い浮かぶは優しいあの人の顔。ミューズは声なき声で叫んだ。




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