第21話

 入学当初から仲が良かった自分を含め、笙子、雄二も、健吾との仲を取り持ってもらおうとする女子たちに、何度か声を掛けられた。


 見た目が変わっただけで近づいてくる人間は信用できないと、三人とも角が立たない程度に断っていた。


 入園チケットを買って中に入ると、獣の匂いが漂ってくる。


「何年ぶりかな。動物園」

「僕も」


 健吾は首からぶら下げているカメラで、空を撮っていた。

 園内マップを見ながら、書かれたコースを順に回っていくことにした。


「天気もいいし、なんかいいね」

「そうだね」


 二人の間を、暖められた風が我が物顔で通り抜け行く。

 サバンナエリアに着くと、定番の象やキリンの草食動物が、目的もなくゆっくりと徘徊している姿は、何もかも諦めてしまって、食べること以外の関心を無くしてしまっているように見えた。


「あれ? 真奈美」


名前を呼ばれて振り向いた。驚いたことに、颯太と笙子が腕を組んで立っていた。


「――笙子ちゃん?」


 真奈美は現状が掴めなかった。


「成海さん。こんにちは」

「ああ健吾くん。久しぶり。かなり雰囲気が変わったね」

「はい。このままじゃ駄目だと思って」


 颯太と健吾は男同士で話し始めてしまった。目が合った笙子は、どこか勝ち誇ったような、真奈美を頭から抑え込むような顔で悦に入った笑顔を向けてくる。


 敗北感のような感情。なぜ笙子と颯太が二人きりでいるのか。そして健吾と二人でいるところを見られたという後ろめたさ。

 

 真奈美は笙子と合っていた目を反らさずにはいられなかった。それなのにそれを許さないというように、颯太が真奈美の名前を呼んだ。


「真奈美ちゃん」

「は、はい?」

「健吾くんとデート?」

「あ、え? あの」


 颯太はいつもと変わらずにこやかな顔だ。


 颯太と真奈美の関係は恋人同士でもなんでもない。ただのご近所に過ぎない。なのに上手く言葉を出せずにいた。


「そうなんです。今日は真奈美ちゃんとデートなんです」


 助け船をだしてくれた健吾の言葉に、息を吸うのも忘れるほど驚いた。

 真奈美の中でデートとは、恋人同士がするものだという認識がある。なのに健吾がデートだと言った。


 反論しようとして見た健吾は、今まで見たことがないような強い瞳をしている。それは草食獣がライオンに勝負を挑んでいるようにも見えた。


「そうなんだ真奈美ちゃん」


 返事が自分の方に向けられ動揺した。答えは否定なのに、そう返答することによって健吾が傷つくかもしれない。折角、変わった彼に水を差すようなことはしなくない。


 考えれば考えるほど、どう答えていいのか分らなくなってきた。どうして健吾は自分を追い込むようなことをいったのだろうかと、恨めしい気持ちになってきた。


「真奈美。実は私たち、付き合うことになったんだ。今日会って、返事をもらったの。今度遊ぶときは、ダブルデートしようね。颯太。邪魔したら悪いから、私たちは移動しようよ」

「そうだな。じゃあ二人も楽しんで」


 笙子の言葉が、真奈美に嵐を巻き起こした。

 颯太は笙子のことを苦手だと言っていた。だから笙子を応援しつつも、二人が付き合うことがないと心のどこかで思っていた。それに颯太とは毎日顔を合わせ、メールで笙子が颯太さんと煩いんですよと送っても、困っている風にしか思えなかった。何より笙子が彼を呼び捨てにしていることが胸を掻き毟る。


 背中を向けて歩いていく二人が徐々に小さくなっていくのを、ただ見ていることしかできない自分が、なぜか虚しく感じた。


「真奈美。僕たちも行こうか」


 不意に握られた手は、真奈美の手を逃がさまいとする強い意志があるような気がして、胸が痛んだ。


 別れてから健吾は、写真を撮っては真奈美に画像を見せてくれた。しかし頭と心が別行動をしているかのように距離が縮まらず、そこか夢見心地な気分だった。



 閉園時間近づき、健吾が駅まで送ると言ってくれた。でも心は一人になって考えを纏めたいと思っているのに、頭では彼の申し出を了承する返事をしていた。


 最寄駅のホームに着くころ、重い雲が空一面に広がっていた。健吾は電車を乗り換えるために一度、真奈美とホームに降りた。

 電車が湿った空気を裂くように走り去っていく。同じ駅で降りた乗客達は、足早に改札へと行きホームには健吾と真奈美、電車待ちをしている人だけになった。


 早く家に帰りたいのに、臓器が一つ一つが鉛になったように、体の中から重さを感じる。だから自然と歩くのも遅くなった。


「真奈美」


 正面に回った健吾が進路を突然塞いだ。


「話があるんだけど」

「どうしたの?」


 健吾は急に自信を落として、昔に戻ったようになった。

 空は夜が近づいてなのか、ただ機嫌を損ねるだけなのか分からないが、さらに薄暗くなっていった。


 健吾は、なかなか話を始めない。


「どうしたの?」


 もう一度聞いた。健吾は何か重大な決心をしたように、一人で頷くと、


「好きです。僕と付き合ってください」


 遠くで何かが小さく弾けたようなに光った気がした。






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