第15話

 それにしても、堂々とした彼の姿は健吾にはなく、動きに無駄がない。彼がいなければこのような店に一人で入れる気がしなかった。


「真奈美ちゃんはまだ、二十歳じゃなかったよね?」

「え? はい」


 颯太は食事に合う飲み物を、ギャルソンと相談して決めてくれているようだった。


「それではご用意させていただきますので、少々お待ちくださいませ」


 学校の話をするにも場違いな気がして、何を話せばいいかわかなくなってしまった。


「こんな店は初めて?」

「初めて、ではないですが……メニューに金額がないのは初めて、です」

「気にしなくていいよ。多分、真奈美ちゃんの行った事がある店と、変わりはないと思うから」

「はあ」

「それで学校はどう? もうだいぶ慣れたんじゃないかな?」

「はい。気持ちにも余裕ができて、やっと周りが見えてきた感じです」

「サークルはどう?」

「たまに連絡メールはくるんですが、誰も行っていないみたいです。なんだか飲み会ばかりの連絡で」

「まあその傾向が強いからね。行かなくてもいいと思うよ」

「颯太さんも、あまり顔を出さなかったんですか?」

「そうだね。暇潰しにって感じだったな」


 真奈美はそんな風には見えなかったが、たまに顔を出すだけでも、人から信頼されるというのは、颯太がそれだけの器を持った人間だと思えざる得なかった。


「それより真奈美ちゃんは、買い物をしてないの?」

「え?」

「いや、荷物、鞄だけだったから」


 颯太が入口で預けた鞄の方を小さく差している。


「はい。今日は健吾の付添で。それに夏用の為にも、お小遣いを取っておきたいから」

「そうなんだ。健吾君とは仲がいいの?」

「そうですね。健吾と雄二。あと笙子ちゃんと四人でよくいます」

「そうなんだ。そういえば今度会う時、その雄二君の名前は出なかったけど?」

「笙子ちゃんが、雄二には秘密だって言って。何かのけ者にするみたいで嫌なんですけど、笙子ちゃんが言うなら仕方がないなって」

「二対二だね」

「え?」

「男女でって事。で、真奈美ちゃんは健吾君の事をどう思ってるの?」

「どうって?」

「どうって……友達以上に見ているかって事だよ」

「え? ええっ?!」


 自分の声の大きさに驚き、思わず両手で口を押えた。颯太は笑いをかみ殺している。


「ごめん。そんなに慌てるとは思わなかったから。でもそのリアクションは、真奈美ちゃんの中で何かがあるってことだろうね」


 自分の中に何があるのか、わからない。


「真奈美ちゃんって、今まで彼氏とかいたことある?」

「え? あの……ないです」

「好きな人とかは?」


 小学生の頃から思い出しても、いいなあと思うだけで好きだと感じたことはなかった。

 よくよく考えれば初恋がないことに気付く。だから女の子の一大イベントだったヴァレンタインも、浮足立っている同級生をぼんやりと眺めていた。


 真奈美の年まで恋をしたことがないという事が、急に残義にたえない気分にさせた。自分が他の子とは違い、かなり不完全だとひしひしと感じた。きっとそれが自分の垢抜けない原因じゃないだろうか。真奈美は考えを巡らした。


「真奈美ちゃん?」


 自分が作り上げた、暗い思考の渦潮のような世界に落ちていたが、颯太の声で我に返った。


「すみません」

「いいよ。もしかして初恋もまだとか?」


 真奈美は恥じらうように頷いた。


「いいんじゃないかな。もしかして真奈美ちゃんって、悪い方へと考えちゃうほう?」


 笙子の事や健吾、今までの事を振り返ると、いつも思い悩みながら後ろを見ることが多かった。


「――はい」

「そうか。でも、別に初恋がまだとか、彼氏がいなかったとか気にすることはないよ。周りはそうかもしれない。でもそういう気持ちを大人になって体験できるってことは、宝物だと思うから」

「宝物?」

「あまりにも早い初恋は、どういう気持ちだったかは覚えていても、どこか霞がかってはっきりとは覚えていない。だから俺は真奈美ちゃんが羨ましけどね」

「羨ましい?」

「そう。羨ましい」


 人間的に男性的にも魅力的な颯太に言われると、首の後ろがくすぐったいような気恥しい気持ちになる。でもそれは決して不快なものではなかった。


「料理が来たね」


 颯太の冷え込んだ体を包み込んでくれるような温かい笑顔に、真奈美も自然と笑みがこぼれた。




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