第10話 白竜の誘惑
見上げる青空には白い雲と――白い竜が浮かんでいた。雄大な巨躯と気流を操る幅広の翼、長めの首、顎裏、いつも地面に接地してるだろう強靭な脚部と足底部と太い爪など。竜の裏側が余すところなく披露されていた。
「うわっ」
私の反応を見て、シウも素早い動作で空を確認する。馬を走らせている状態でよそ見はよくないから、ほんの一瞬だけど、それでも私たちの頭上にいるものが何か、判断するには十分だったようだ。
「嫌だな、何でこんなやつが……」
こんな低い声が出たのかと驚くくらい、シウは低く呟いた。普段私に話しかけるときはもっと明るい響きだからドキッとする。もちろん、良くない意味で。
「竜だった前世の知り合いか?」
「知らない、無視しよう無視」
「見ちゃったし」
「目が合わなければ大丈夫。もう見ちゃダメだからね」
シウは手綱を操り、森の方へと進路を変えた。木々の枝葉に隠れたいのだろう。
「おい、止まれ」
風が吹き付け、頭上からこれまた低音の声が降り注いだ。真上を飛んでいる白竜の声だと思われる。人間への興味を持って言語を習得した竜は、喉の辺りに自ら発声器官を作り出す。その声は任意だが、この白竜は渋い男性の声がお好みのようだ。雄なのかもしれない。
しかし、シウは突然口笛を吹いて聞こえないふりをする。
「無視するんじゃない。私はその少女に興味があるんだ。止まれ」
――少女って、私のことか。ギョッとするが、この辺りにほかに該当者はいなかった。シウは美青年だし、メリッサは白馬だ。
それにしてもこの白竜はきっと権力者にでも人語をならったのだろう、威厳ある話し方をする。人のイメージする白竜そのものという感じだ。まあ、少女に興味がある発言は常識を欠いてはいるが、竜だから仕方ない。
シウは黙ったまま白竜の呼びかけを無視して、メリッサに駆け足になるよう合図をした。私たちは速度を上げて原生する森の中へと突入する。
一切人の手が入っていない森は、鬱蒼という言葉がぴったりに薄暗く、日光を求めて植物の熾烈な争いが行われていた。つまり、植物の無法地帯だ。蔦や草、ほかの木に寄生して絡み付く木、あるいは高所に営巣する鳥類の巣で頭上は覆われた。
「無視するなら地の果てまで追いかけるぞ。お前たちは捕捉したからな」
姿の見えない白竜は、空から粘着宣言を投げかけてきた。白竜ってしつこいやつばかりなのかな。
「くっ……何だよ! 言っとくけど、サミアは僕のものだからな!!」
「勝手にシウのものにしないでくれないか?!」
シウが感情を乱して声を荒らげるが、私もびっくりして大声になる。
「いいから! 今はそういうことにしておいてよ」
「いやだ」
今度は小声でごちゃごちゃ押し問答になるが、そうしてる間にもメリッサは足を緩めず、器用に木々の根を避けて先へ先へと進んだ。
ここは山あいなので緩やかに標高が上がり、少しずつ木の間隔が広くなる。なぜかは知らないが、あまり高いところで木は成長しない。徐々に開けた場所になり、ぽつぽつと小さな草や白い花があるだけとなってしまった。
頭上に姿が見当たらないので撒いたのかと一瞬思ったが、キンと耳鳴りするような突風が私たちを襲った。メリッサが嘶き、急停止するように、後ろ足で立ち上がる。私はメリッサの首にしがみつき、落とされないように必死になる。舞い上がる土埃に顔をしかめながら、薄目を開けると白竜が進路を塞ぐように着地していたのだった。
「そんなに逃げずとも良いではないか。少女よ、なぜ逃げる」
この白竜の目は赤かった。ギラッと瞳孔を縦に細くして私を見つめてくる。
「うるさいなあ、僕たちの邪魔をしないでよ! さっさと退けろよ!」
一方、シウは話もろくにしたくないようだ。
「なあ、シウは何でそんなに怒ってるんだ? この白竜は私たちに手出しする気はないようだし、話くらいしてやればいいのに、珍しい」
「だって……」
シウは後ろからぎゅっと私を抱き締めた。苦しいくらいに。
「この白竜は、サミアに引き寄せられてるんだよ。サミアがすごく強くなったから。でもまた白竜が仲間になったら、僕なんて要らなくなっちゃうでしょ? 白竜なら戦いのときの壁役として十分大きいし、空だって飛べる。魔王が復活してるかもしれないこの状況じゃ、人間になった僕より白竜の方が役に立つもんね」
「私を何だと思ってるんだ。そこまで冷徹な人でなしじゃないぞ」
あまりにひどい認識のされように、私はやれやれと首を振った。
「とりあえず、放せ。そして降ろせ」
「うっ……わかった」
話がしづらいので、私は馬上から降ろしてもらう。まずシウが降りて、それから抱き抱えられて地面に降ろされた。でこぼこの道を邁進したので、お尻が少々痛かったのもある。シウはメリッサが駆け足のとき、太腿で馬体を挟み、中腰でいられるが私にはそれができない。
「シウ、私は自慢じゃないが人見知りなんだ。仲間が誰でもいい訳じゃない。それにこの白竜だって、別に仲間になりたがってるとは限らないだろう」
「いや、僕にはわかる。こいつはサミアの今の魔力を嗅ぎ付けて、自ら志願してるんだよ」
私は大人しく犬のように座って待っている白竜を、横目でちらっと見た。落ち着いた性格のようだ。それにシウの前世、千年生きた伝説の白竜ラーズには及ばないがやはり白竜ってだけでかっこいい。
「そこの青年の言うとおりだ。私は、お前の持つ強い気に惹かれている。戦わずともわかるくらいにお前は強い。お前となら契約しても良いぞ」
「むむ……」
私は白竜の誘惑に、少しぐらついた。白竜と契約してその背に乗れば、シウの国クロドメールまでひとっ飛びだ。契約すると魔力が結び付くので寝てても振り落とされることはないし、お尻も絶対痛くならない。
だが、裏切るんだね僕をとでも言いたげなシウの紺碧の瞳が怖かった。しかもシウに合わせて、メリッサまで真っ黒な瞳で睨んで歯を剥き出している。私の背中に乗るだけ乗って、もっと速いやつが現れたらすぐに乗り換えるのかと言いたげだ。
「……は、白竜、悪いが私はお前とは契約しない。ほかを当たってくれ」
「む、そうか。久しぶりに強いやつに出会えて嬉しかったのだが、仕方がないな」
白竜は話のわかるやつらしく、残念そうに翼を動かした。飛び去るのかと私はしばらく待ったので沈黙が訪れる。だが、白竜は待てども待てども、尊大に翼膜を見せびらかすだけで飛び立ちはしなかった。
「……どこかに行くんじゃないのか?」
「うむ、翼を伸ばしてのんびりしてるだけだ。気にしなくていい」
「しつこいやつ」
絶対に人のことを――いや、ほかの白竜のことを言えないはずのシウが憤慨したように拳を握る。
「でも追い払おうと痛めつけると懐かれるんだよね。ほんと、白竜ってどうしようもないよ。こんなやつ放っておいて、出発しよう?」
「いや、ちょっとここで休憩しよう。私はお、お腹が空いたんだ。メリッサもそうだろ?」
お尻が痛いとは流石に言いたくないので、私は休憩を提案した。メリッサの陰に隠れて、素早くお尻に回復魔法をかけた。
「そっか、そうだよね。ごめん」
シウはアイテムポーチから、メリッサの飼い葉や水、それから焚き火セットにお菓子など色々を取り出し始めた。その様子を白竜は大きな瞳でシウを観察する。
「青年よ、よく見たらお前は我が仲間に近い雰囲気があるな。何故だ?」
「だって僕は千年生きたラーズの生まれ変わりだからね。ほんとは君みたいな200歳くらいの小僧と話したくもないんだよ」
「おお、何と……」
白竜はのしのしと歩き、シウに近づいた。
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