前世で仲間だった竜が王子になって求婚してくるけど今度こそ静かに生きたい

植野あい

第1話 前世なんて知らない

 香ばしい小麦の匂いが、人でごった返す会場いっぱいに漂っていた。今日は収穫祭の日であり、領主から無料でパンが配られる。それを求めて、私は孤児院のみんなと行列に並んでいた。


「まだかな」

「まだかな」


 みんな、パンへの情熱を滾らせてただただ並んでいる。私も同じように飢えていた。でも、私は意味不明の焦燥感にも悩まされている。こんなことをしてていいのかな。何か大事なことを忘れているような、やらなきゃいけないことがあるような。


 私がどこでどう生まれたかは、記憶にない。赤子のときに森で拾われた私は、サミアという名前を与えられ、10歳になった。視界に映る荒れた小さな手足にはなぜかいつも違和感がある。


「すみません! 通して下さい!」


 祭りの人混みがさっと割れて、中央を走る美しい青年が目に飛び込んできた。さらさらと流れる白銀の髪に、紺碧の瞳をした青年は、信じられない身軽さで私の前に到達した。


「我が主……!! やっと見つけた」


 美青年は、白い高そうな服を着ているのに、私の前にひざまづく。私は後ろを振り返った。私じゃない誰かがそこにいないかな、と思ったけどそれらしき人は誰もいなかった。


「ああ!! こんなに小さくなっちゃって。髪なんて桃色で、女の子なんだ?! あんなに格好良かったのに!! 信じられない」


 固まっている私の手を青年は愛しげに取り、うっとりとした眼差しで見つめてくる。恥ずかしいから逃げ出したいけど、おっとりして優しい物腰からして、今すぐに危険ではなさそうだった。平民ではなくいいとこの坊っちゃんだろう。


「手を放して下さい。あなたは誰ですか? 何のご用ですか?」


 冷静に事態に対処しようと、私は質問した。私は、年齢の割には落ち着いているとか、大人のようだといつも言われている。


「わからない? 僕には確かにわかるよ。君は、セシオン・ブロヴィッツという伝説の勇者だったんだ」

「は?」


 紙芝居や絵本などで人気の勇者の名前を、それこそ大事な人を呼ぶように青年は口にした。セシオン・ブロヴィッツはめっちゃ強くて、めっちゃ強い竜を使役して魔王を倒し、世界を平和に導いたと有名な人だ。


「冗談はやめて下さい。いくら私でも、そんなことあり得ないってわかります。お金持ちの大人にからかわれるのはうんざりです」


 手を振り払い、私は拒絶を表した。孤児でもプライドはある。からかわれて、おもちゃにされたくない。


「ああ、やっぱり主だ! 滲み出る知性!! 傲岸不遜な態度!!」

「ち、違いますって。人違いです」

「ううん、僕はこう見えて、前世でセシオンに支えた竜、ラーズだったから。名乗りが遅れてごめんね」


 私は改めて青年を観察する。短い人生ながら、今まで見たことないくらい美しい人だ。眉がきりっとして、鼻がすっとして、口元が引き締まっていて、端正ってこういう顔のことを言うんだろう。でも前世が伝説の竜には見えない。私はついため息が出た。


「何て言われても私には記憶がありません。私はパンをもらわなきゃいけないので離れて下さい」

「パンなんて、僕がいくらでもあがなうよお。だからお願い、僕と一緒に来て。もう離れたくないよ。ね?」


 白銀の睫毛に囲まれた瞳を潤ませ、竜というより子犬みたいに小首を傾げてお願いをされた。大人の男の人に、優しくお願いされたのなんて初めてだ。命令ならいくらでもあったけど。


「パンを買ってくれるなら……」

「良かった、それでこそ我が主! ありがとう!!」

「主はやめて下さい、サミアでいいです」

「サミア……すっごくかわいい名前だね」

「普通です。ちょっとここを離れましょう」


 いい加減、周囲の視線が痛くなってきていた。ぐるっと取り囲むように人だかりが出来ている。パンの列は別に進んでいた。孤児院のみんなは、薄情にも私よりパンを優先したようだ。


 人混みを避けて、私は適当に歩き出す。広場の片隅の、通行の邪魔にならず適度に人目があるところで私は青年を見上げた。


「ところで、あなたのことは何とお呼びしたらいいですか?」

「な、な、名前を呼んでくれるの? 僕の?」


 青年は一気に顔を紅潮させた。私が名前を呼ぶかどうか程度で興奮するなんて、ヤバいんじゃないかな。


「そうです」

「アンブロシウスと両親は名付けてくれたけど、主が新たに名付けてくれるのなら光栄だな。ラーズでも良いよ」

「うーん」


 アンブロシウスは長い。かといってラーズは伝説の竜だ。頭のおかしいこの青年の妄想をこれ以上進めないためにも、本名に近い名前で呼ぶべきだろう。


「じゃあシウと呼んでいいですか?」

「うん!! 嬉しい」


 最上のご褒美をもらったみたいにシウは笑顔を輝かせた。大人の男性なのに、かわいく見えてくる。


「シウは何歳ですか?」

「17歳。サミアは?あっ、僕に敬語はやめてね」

「思ったより若い……私は、10歳」


 顔面が整っているのと、背が高いことでシウはもっと大人だろうと思っていた。それでもすごく歳上だけど、敬語をやめてと言われたので私は気軽に話すことにした。


「一緒に死んだのに、主が生まれ変わるまで僕より7年も遅かったんだ。しかも何だか苦労してたっぽいよね。こんな痩せてて……ごめんね、見つけるのが遅くなって」


 シウは突然泣き出した。笑ったと思ったら泣き出すし、情緒不安定な人だ。パンを買ってもらったら早く別れたい。


「ちょっと、泣かないで」


 両頬を涙が伝っているのも構わず、シウはまた膝を地面につけた。


「ううっ主……!! ごめんね! もう離れないよ!! 結婚しよう!!」

「何で?」


 意味がわからない。出会ったばかりで結婚なんて、シウの思考回路はどうなってるの。そもそも、10歳少女に結婚を申し込む17歳はやばい。


 ちらっと周囲を振り返るけど、見物人たちは素早く視線を逸らす。野次馬根性はあっても、こんな変な人に関わりたくないんだろう。


「何でって、人間同士がずっと一緒にいるにはそれが一番でしょう? 僕は主を愛してる。ただ、前世では僕は竜で、主は人間。それに雄同士だったので難しい問題だったけど、今は何とかなるよ。僕の国に一緒に行って結婚しよう」

「嫌です。お断りします」


 拒絶の意味で、敬語が復活した。シウは外国人らしいが、胡散臭いし絶対についていきたくない。面倒そうだ。


 ――私は、静かに生きたい。


 心の奥底から、どろっと強い願望が湧き上がった。


 ――ああ、そうだ。私は静かで平和な暮らしを望んでいたんだ。田畑を耕し、おとなしい猫でも飼って。構ってと自己主張の激しい竜とは距離を置きたい。彼の望むものを、私は絶対に与えてやれないのだから。


「…………サミア!」


 強烈な頭痛に襲われ、私は意識が混濁した。シウが私を支えようと手を伸ばしている。


「やめろ……」


 自分の幼くて高い声が頭に響いた。そう、セシオンの低い声とは真逆の――ラーズに見つからないように、ラーズに好かれないように、女にまでなったのにどうしてこいつは私を見つけるんだ――



 ◆



「はっ」


 目を覚ますと、知らない場所だった。豪華な天蓋つきのベッドに寝かされている現状に、シウに連れてこられたのだと推察する。


「くそ、気絶したのか」


 私は頭を抱える。しかも忌々しいことに、眠っている間に前世の記憶の封印が解けてこの小さな頭にしっかり刻まれた。あいつが勝手にごちゃごちゃ抜かしたせいだろう。そうだ、私はセシオンだった。それであのキャンキャンうるさい野郎は間違いなくラーズだ。


 ――逃げよう、そう思ってベッドを降りた途端、残酷にも部屋の扉は開かれ、笑顔のシウが姿を見せた。


「起きた?」

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