第三十一話 夢の終わり

 


「ここまでは良いか? 

 では問おう。お主たちはどうしたい?」


 呆然とした頭の中に、マハタ様の声が響く。

 それに私は答えを返せないでいた。突然告げられた事実に情緒が追い付いていなかったしーー何よりどちらの道も痛みを伴うものだったから。


「……まあよい。手遅れ・・・になるまでに3日程度の猶予はある、その間にゆっくり決めればいいのじゃ。

 最も、それを過ぎると本当に戻れなくなるがの」


 恐ろしい言葉を零して、粛々と席を立つマハタ様。

 部屋の中にとり残されたのは、青ざめた表情で座る私とアネットの二人。


 アネットは、私の妹は、目を数度瞬かせた後に緊張した様子で聞いてきた。

 

「お姉ちゃんは、どうする? どっちを選ぶ?」


「私、は……」


 どう、したいんだろう?


 地球に戻るか、リリストアルトに残るか。

 ここでの幸せな生活を考えれば、大好きな両親や村人たちのことを思えば、後者を選びたいのが本音だった。

 でもそれが今世限りで終わるとなれば話は別。どうしても尻込みしてしまう。


 死ぬのが怖い?

 そうだよ、怖いのだ、自分という存在が消えてしまうのが。


 今までは死後について何も知らなかったからまだよかった。次の人生らいせは今よりもましになっているはずだ、と好き勝手妄想出来た。

 だけど今は違う。その答えを、ここでの生活に未来がないことを知ってしまった。マハタ様の言い方的にここでの転生は望めないだろう。


 可能性がなければ、死んだ先にあるのはただの無だ。何かを見ることも感じることもできない、文字通りの無。

 今の私には、それがものすごく怖かった。

 なにせ身を以て知ってしまったから。一つの人生が絶望で終わっても、それが次に持ち込まれるわけじゃないことを。地球に戻りさえすれば、永遠に幸せを求め続けられることを。

 それに例え前世と同じような目に合おうと、リリストアルトさえあればーー


 ……あ、そうだ。

 もしかして戻った後に改めて穢れを受けたら、もう一度ここに戻ってこられる……?

 

 一抹の希望に突き動かされ、急いでマハタ様を追いかける。

 同じ疑問を目を丸くした彼女に投げかけると、マハタ様は神妙に頷いた。


「ふむ。原理で言えば可能じゃな。

 その身に秘めた穢れが規定以上であれば、何度でもこちらに戻ってこられる」


「そっか」


 それならあっちも戻ったとしても、もう一度会える。お母さんたちと完全に離れ離れになるわけじゃない。

 それは……うん。すごくうれしいな。

 

 胸に広がる安堵と歓喜。

 そんな甘い蜜を打ち砕くように、マハタ様は「ただしじゃ」と続けた。


「一度歯車に戻った時点でここでの記憶は完全に消される上に、稀人はその魂の願いを応じて形を変える。

 それにここは途方もなく広いからの、もし流れてきたしてもカタリナおぬしではない誰かとして、何も知らぬの状態でここのどこかに、という形でじゃろうな」


「っ、そん、な……」


 あんまりな事実に、目の前がくらくらと歪む。


 今ここにいる彼女たちに抱いてる感情は、間違いなく私の記憶に基づくものだ。もしそれが無くなってしまえば、どうしてここに来たかったすら忘れてしまう。


 互いに記憶がない状態での再会。

 果たしてそれに何の意味があるんだろう? 永遠の別れと何が違うんだろう?


「ど、どうにか向こうに行った後も覚えていることはできないんですか?

 ほら、魂?の奥に刻み込めるとかなんとかしてーー」


「ーー無理、なんじゃよ。

 お主も前世でここの存在など露も聞かなかったじゃろう?

 地球に生きる彼らとリリストアルトで暮らす儂らの人生が交わることは永遠にないのじゃ。

 ……その意味でお主のタブレットとやら特別だったんじゃよ。まあ稀人の帰還と共にその依代も消失するゆえ、それももう終わりじゃがの」


「っ」


「……お姉ちゃん」


 マハタ様の言葉により、最後の希望すら打ち砕かれる。

 ただ暗然と立ちすくす私の手を、追いついてきたアネットが優しく握りしめた。

 

「まあ悔いのないよう、とくと考えると良い。

 もし質問等があれば、儂やタニアたちに聞けば答えてくれようぞ」


 ひらひらと手を振って、踵を返すマハタ様。

 彼女の姿が廊下の奥に消えると、アネットはおもむろに話し始めた。彼女と繋いだ手からは、湿気を含んだ肌と冷たい体温が伝わってくる。


「私はね、地球に戻ろうかと思ってる。

 みんなのおかげで久々に笑えたから。ここのおかげで人生だって捨てたもんじゃないって思えたから」


「っ、……」


 アネットが笑う。悲し気な、どこか清々しい顔で。

 私はそれに一瞬だけ息を呑み、すぐに目を逸らした。


 俺だって同じだ。リリストアルトのおかげで救われた。

 俺の自尊心が回復したのはみんなが優しくしてくれたからだ。人間不信にならなかったのは俺の性格を周りが受け入れてくれたからだ。


 でもっ、それを選んでしまえば大事な人たちへの気持ちを永遠に失ってしまう。彼らは俺を覚えているのに、俺は彼らとの記憶をさっぱりと忘れて全く別の人生を歩んでしまう。

 貰ったものを何も返せぬまま、リリストアルトのみんなが顔も知らない誰かに思いを馳せているのを眺めることすら出来なくてーー


 ーーそんなの、あんまりじゃないかっ……。


 目尻が熱くなり、透明な何かが瞳からこぼれてくる。

 アネットはそれを一つ一つ丁寧に拭うと、一瞬の逡巡の後に頬を緩めた。彼女の顔に優美な微笑が浮かぶ。


「きっとね、泡沫うたかたの夢みたいなものだったんだよ。

 だからーーカタリナお姉ちゃん。私と一緒に地球に戻ろう? 私、お姉ちゃんがどこかにいると思えば、向こうでも頑張れると思う」


「っ……」


 アネットの、この世界の妹の言葉に曖昧に頷く。

 胸に募った感情を代わりに吐き出すかのように、両目からは涙が何処までも流れていった。


 

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