10 言えない
「っ……あ! 芹沢くんー!」
意味ありげな笑みを浮かべて手を振るゆうくんと別れ、短い電話で待ち合わせしたその場所で、背の高い彼が待っていたのを見つけた。さっき擦れ違った女の子に舌打ちされてしまったのは、もう気にしない。
なんで、シンプルな白シャツと青いジーンズ着てるだけなのに、こんなに格好良いの? 本当に意味がわからない。
急に駆け足になった鼓動は置いといて、手を振りながら駆け寄ろうと思ったんだけど、床に軽く躓いてしまったので照れ笑いしながら彼に近付いた。
「……大丈夫?」
真面目な性格の芹沢くんは、私がドジしても心配そうにするだけで笑わない。こういうところも、好き。
「うん。ごっ……ごめん。変なとこで躓いて、すごい恥ずかしい……芹沢くんも、大学に来てたんだね? 昨日まで大変そうだったから、今日は家に居て来てないのかと思った」
現在は夏休み中なので、講義などもない。
ゆうくんと話したかった私が彼が今日大学へ来るとわかったのは、経済学部で何かあったらしくて、彼氏から何かを聞いた美穂ちゃん情報なので詳しくは知らない。
目線がかなり上の方にある芹沢くんの整った顔を見上げて微笑めば、何故か彼は複雑そうな表情をして頷いた。
「……うん。あの……俺もテラスに居たから、佐久間に水無瀬さんが話し掛けられていたのを見たんだけど……もしかして、さっき。佐久間から、何か言われた?」
「あ。あの時に、芹沢くんも居たんだ! あ。だから、私に電話してくれてたんだ……うん。そうそう。そうなの。ゆうくんにっ……」
私はそこまで言ってから、慌てて両手で迂闊でお喋りな口を覆った。
誕生日を教えてくれたゆうくんが、きっと芹沢くんは付き合い始めたばかりだからと遠慮して、自分から誕生日を言い出さないと思うから、サプライズプレゼントにしようって言われたのだ。
だから、誕生日当日まで、芹沢くんにプレゼントを用意しているのは内緒にする予定だった。
それなのに、サプライズする相手本人に、ペラペラと何もかもを喋ってしまうとこだった。本当に私は、割と友達なんかにはなんでも話しちゃう派だし。秘密を持つとか、ぜんぜん向いてない。
芹沢くんの所属する秘密主義イケメン集団には、絶対に入れない。いや、そもそも大前提であるイケメンでもないから、問題ないんだけど。
「は? ……え? ちょっと、待って。水無瀬さん。もしかして。それって、あの佐久間悠一のこと?」
明らかに怪しい様子を見せる私を見た芹沢くんは、怪訝そうに眉を寄せつつそう言った。
これまで見たこともない剣呑な雰囲気が芹沢くんの身体から出た気がして、私は不思議に思った。
あのって言うか……ゆうくんって名前の人、共通の知り合いに他に誰か居る?
「うん。ゆうくんって、なんだか……本当にすごいね。私のこと今日が初対面なのに、みーちゃんって呼んで来たの。それでゆうくんって呼べって、半強制だったの。私。あのくらい押しが強くなれれば、これからの人生なんでも出来ちゃいそうな気がする」
ゆうくんはあの押しの強さと、頭の良さでこれからも自分の好きなことをやっていくんだと思う。
自分が押す推しは芹沢くんで良いタイプの凡人の私から見れば、羨ましいような……けど、頑張っても自分には絶対に無理だなと思ったりもする。あれは、ゆうくんだからこそ周囲に許されてるんだと思うし。
「いや、それは……うん……そっか……うん」
「……芹沢くん?」
何度か小さく頷きつつ彼の声が不機嫌そうに低くなったような気がして、私は首を傾げた。
ゆうくんのノリの軽い傍若無人振りは、きっと友人の芹沢くんの前でもいつものことで。見るたびに一緒に居る関係性の彼なら、あんな感じにも慣れているだろうと、そう思っていたのに。
「うん……まあ、これは良いや。あの、この前に付き合ったばっかりなのに。今まで、あんまり構えてなくてごめん。俺も、やっと時間に余裕が出来たから、今週末デートしない?」
これは、芹沢くんからの!! デートの誘い!!
私は自分の頭の中に、赤い薔薇が咲き乱れたような錯覚がした。薔薇色……人生薔薇色って、多分こういう意味だと思う。
「いっ……!!」
食い気味に行くと言いかけたところで、ゆうくんに日雇いバイトを紹介して貰い、この一週間はバイトで働くことをさっき決めていたのを思い出した。
何故なら、芹沢くんの誕生日は来週末だから、もう時間がない。
芹沢くんと、今週末デートしたい。けど、来週末に芹沢くんが喜ぶ顔を見たい。
だって、推しの喜びは、私の喜び。
ただ姿を見ているだけで幸せな完璧なる推しが彼氏になるというスーパーミラクルを引き起こした私には、自分なんかより推しの芹沢くんの幸せを優先するという絶対的な義務があるのだ。
「ごっ……ごめんなさい。ちょっと、今週末は……無理。行けないかも」
まさか断られると思ってなかった様子の芹沢くんは、一瞬呆気に取られたようだった。うん。行きたかった……私も本当は、行きたかったんだよ。
「え? ……あ。そっか。ごめん。誘ったのが急だったから、もう予定入ってるよな。なら、平日の夜にどこかで会える? 俺の部屋で、二人でゆっくり過ごそう」
この前、灼熱地獄から避難させて貰った芹沢くんの住む部屋は、めちゃくちゃ快適だった。出来るなら、私は一週間全部そうしたい。
けど、今週一杯はゆうくんからバイトを紹介して貰うことになっているし、そのバイトの時間帯も未定で終了時間なども決まってない。だから、終わってからなら会うという選択肢も、まだ取れない。
「……行きたいけど、行けない……ごめん」
しょんぼりして様子で芹沢くんを見上げたら、彼は私の言ってることが良く理解出来ないと言わんばかりの渋い表情になってしまった。
それも、そうだと思う。一週間丸々都合悪くて会えませんなんて、普通なら有り得ない。
しかも、私たちは付き合い始めたばっかりで、付き合おうと言ってくれたのは芹沢くんだけど、前々から私の彼に対する好きアピールは割と凄かった。
そんな好きのベクトルが強すぎる私が推しの彼と会うことを拒否してしまうなど、意味がわからないと思ってしまっても無理はない。
けど、私には彼に詳しい理由を、説明することだって出来ないのだ。驚かせて、喜ばせたいから。
「は……? なんで? ……何か、俺に事情を言えない理由でもあるの?」
ええ。そうなの。貴方にサプライズで誕生日プレゼントをしたくて……は、言えない。
「なっ……内緒、なの。芹沢くんに、言えない」
「内緒? 俺に、言えない? ……どういうこと?」
「ごめんなさい……それも、言えない」
上手く誤魔化せそうもない私は、芹沢くんの顔を潤んだ目で見上げるしかない。とても優しい彼は何か事情があると察してくれたのか、それ以上は私を問い詰めたりせずに、一回だけ大きく息をついた。
「……そっか。うん。いや……全然、謝らなくて良いけど……残念だけど、仕方ないな。俺は、忙しいのが終わったら、水無瀬さんとゆっくり過ごせると思って楽しみにしてたから。なんか、残念……」
私も尊い推しに後で喜んで貰うためとは言え、ここでそんな風に残念そうな様子をさせてしまうのは、本当に不本意なんだけど……仕方ない。
一週間みっちり働いて、バイト代で良い感じのプレゼントを買って、ゆうくんお薦めの美味しいレストランだって予約するのだ。
絶対に、絶対に。誕生日は、喜んで貰うからね!
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