02 扇風機の向き

「ねえ。水無瀬さん。いつも、俺と話したそうにしてるのに。なんで、今日はそんなに避けるの?」


「じゃあ。いつも相手にしてくれないのに、なんで今日に限ってしつこいの?」


 とても人気の芹沢くんは自分の周りに居る女の子なんて、適当に挨拶する程度だ。大学で会話が成立しているのを見たことがあるのは、何人かいる仲良しの男友達だけで。取り巻きの芹沢ガールなんて、居ないものとして扱い、相手になんてしない。


 そんな人に追いかけられるという、今こうしている状況が信じられない。


「そんな風に思っていたなんて、なんか心外だけど。俺だって、別に好きであんな風な態度をしている訳じゃないけど」


「……どういうこと?」


 私は顔を手で押さえつつ、彼の顔を見た。頼りない街灯の光の下でも、芹沢くんの顔が整っていることがわかってしまう。本当に、綺麗な顔をしている。


「高校の時に何も考えずに仲良くしていた女の子が、虐められて学校来なくなったんだ。俺だって、話したい子はいる。けど、そうやって誰かを選ぶと、その子の居る集団から爪弾きに遭う。俺だって、別にそんなことしたい訳じゃない。けど、大勢居る自分のことが好きそうな女の子を、全員平等に扱える訳なんてない。だから、全員平等に話さないようにしてる。それだけ」


 いきなり飛び出した、今まで思ってもみなかった芹沢くんの本音に、私は驚いて目を瞬いた。だって、あまりにモテ過ぎる彼は、周囲に居る女の子のことを対等な存在だと思っていないと、ずっと思っていたからだ。


「じゃあ、なんで……今夜は、話してくれるの?」


 そう言えば、芹沢くんは今まで見せたことのない悪戯っぽい笑顔を見せた。


「だって、今は俺と水無瀬さんしか居ないし……それに、これって本当にただの偶然だし。二人だけの秘密にしてたら、大丈夫だよ」


「……私が誰かから虐められるかもって、心配してる?」


 こんな風にほんの少しだけ、話しただけだというのに芹沢くんは何かを心配しているようだった。


「正直言えば……うん。そうだよ。どんなに理不尽な理由だったとしても、自分より得をしているだけの人間に難癖を付けて、容赦のないことをする人間はいくらでも居る。それにそういう集団になったら、怖いから。俺が庇ったら、また変な事になる。だから、慎重にもなる。前例あっての、自己防衛方法」


 芹沢くんの淡々とした口調は、彼が生きて来た中でそういうことが何度もあったことを教えてくれた。


 これだけ何もかもを持つモテる人にも色々悩みがあるんだなと、未だかつてモテたことのない私は不思議に思ったりもした。


「そっか……芹沢くんも、なかなか大変なんだね」


 ようやく歩く速度を緩めた私に続きながら、彼は苦笑した。


「そうなんだよ。気になる女の子に話し掛けるのも、慎重になる。利害の一致した女の子の集団って、本当に陰湿だから。だから、秘密にして欲しい。俺と、こうして会って話したこととか……うん」


「そんなにも心配なら。決まった彼女、作ったら良いのに」


 芹沢ガールとして、純粋に彼の幸せを願うファンとして、私は心からそう思った。決まった正式な彼女なら、ファンとしても文句の付けようがない。推しが独り身で居るのも不安になってしまう、複雑なファン心。


「……好きな人以外と、付き合いたくないんだよね」


 芹沢くんの言わんとしていることは、わかる気がする。


「付き合ってたら、好きになるかも?」


 なんて、初めての彼氏と別れて長い私が言っても、あまり良いアドバイスとは言えないかもしれない。けど、恋愛上手な友達の美穂ちゃんだって、前にそれっぽいことを言っていた気がする。


「それって……相手を好きになることは、未確定だよね。そんなことに、時間を割きたくない」


「……付き合う前に好きになってから、付き合いたい?」


「うん。だって、好きじゃない人と付き合っている間に、好きな人が出来たら? そうしたら、どっちにも失礼なことをすることになる。だとしたら、好きな人と付き合いたい。そうしたら、自分が好きになったからと、何があっても選んだ答えを後悔しないと思う」


 私は真面目な芹沢くんらしい恋愛観に、ほーっと感心してしまった。


「芹沢くん。すごいね。私だったら、きっと……誰かに告白されたら、きっと舞い上がって付き合っちゃうかも」


 思わぬ本音を聞いてしまったことで、心の距離が近付き、気安くなっていた私は彼のファンである芹沢ガールの一員であることも忘れ、ふふっと微笑んだ。


「……うん。誰かに好かれて告白されると、嬉しいよね。気持ちはわかるよ」


 どこか複雑な表情を浮かべつつ、そう言った芹沢くんを見て私は不思議に思った。我が大学のミスターコンの優勝者は、色んな人に好かれている。はず。


「芹沢くん。好かれているのに」


「うーん。好意を持った人に好かれると、絶対嬉しいよね。けど、あまり決め付けられた理想を押し付けられるのも、しんどいけど。でも、誰かに好かれていると思うと、嬉しいよ」


 そんな話をしていたら、あっという間に私の住むマンションの前まで来た。芹沢くんと話しながら来ると、なんだか私の時間の感覚が狂ってしまうようだった。


 どうしよう。まだまだ、彼と一緒に居たい。そう思ってしまっても仕方ないと思う。まるで映画の出来事のようなひと時は、いずれ時が流れても良い思い出として残るはずだ。


「あっ……あの、送ってくれてありがとう。ここが家だから」


「うん……その、短パンで夜は、もう歩かない方が良いよ。本当に。約束して」


 心配して忠告するようにそう言ったので、私はどうしても我慢が出来ずに、次の一言を言ってしまった。


「もし、良かったら……家に寄る?」


 私が蚊の鳴くような声でそう言うと、てっきり断って帰ると思っていた芹沢くんは、意外なことに大きく頷いた。


「うん。じゃあ、お邪魔しようかな……マンションの中にも、不審者が居たら困るからね。エレベーターとかで不審者と一緒になったら、どうするの?」


 どうも心配性な兄弟のような芹沢くんの言いように、私はムッとしてしまった。


「いないよっ……オートロックだし。後、言っておくけど私の家、エアコン壊れてるから、とても快適な環境だとは言えないからね。このアイスで、おもてなしするね」


 そう言って顔を隠していた手とは逆に持っていたコンビニ袋を揺らすと、芹沢くんはふっと笑った。


「はは。それで、こんな時間にコンビニに来てたんだ。納得出来た……大変だったね。こんなに暑いのに」


 誰かが道を歩く音が聞こえたから、芹沢くんはさりげなく私の肩に手を掛けてマンションに入ろうと促した。


「……部屋の中の温度、尋常じゃないからね。覚悟してて」


 エレベーターに乗り込む前、脅すような私の言葉に芹沢くんは微笑んだ。


「うん。心してる」


 どうせエアコンも壊れているし、きっと彼は暑さに音を上げてすぐに帰ってしまうはずだ。けど、もう少しもう少しだけ。この奇跡のような時間を、少しでも長引かせたかった。


 本来なら手の届かないものに憧れて、少しだけの時間を求めて足掻いているだけだ。私にだって、それはわかっていた。


 でも、うだるような暑さの中で、アイドルのような存在と蜃気楼のような儚い時間を過ごしたって、別にバチは当たらないはずだ。何の罪も犯してないもの。


「すごい。扇風機だけで、この暑さを凌いでた」


 扉を開き途端に立ち込めた熱気が溢れて、何故か芹沢くんの笑いのつぼに入ったみたいで部屋に入るなり、けらけらと笑い出した。


「えっ……なんで、服脱いでるの?」


 私はごく当たり前のように黒いTシャツを脱ぎ始めた彼に対して、あわわと戸惑った。


 芹沢くんの身体は細マッチョのように見せ掛けて、ガッチリとした筋肉がついていて、どうも着やせするタイプのようだった。


 推しの半裸姿を目に焼き付けるようにして、私は心の中で何度もシャッターを切った。

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