第30話 ミネルバ・マリエージュ

「ミネルバ、頼みがある」


 ジロンドの言葉に、ミネルバは見えない目をパチパチと瞬かせた。


 さもありなん。ジロンドと彼女が言葉を交わすのは、これが二度目なのだから。

 ジロンドは幹にしわを寄せ、苦笑いを浮かべた。


 マンドレイクもどきでは、表情一つ変えるだけで引きつれるような痛みを覚える。

 この姿はあまり得策ではないな、とジロンドは苦い顔をした。


 ジロンドが初めてミネルバと言葉を交わしたのは、彼女が地下墓地の守護者になって間もなくのこと。

 数日おきに墓地へやって来る者がよほど珍しかったのか、彼女の方からジロンドへ声をかけてきた。


「こんなに頻繁にいらっしゃる方は初めてですわ。それほどまでに大事な方だったのですね」


 もちろんその通りだったから、「そうだ」と答えた。

 だが、その後が良くなかった。


 のちに、魔塔の魔法使いたちは語る。

 ミネルバは絶対に声をかけるべきではなかった、と。


 なにせジロンドは、ミネルバのその言葉をきっかけに、き止められていた水が猛威を振るうがごとく、愛しのマンドレイクについて語り出したのだ。

 聞かれてもいないのにペラペラと、地下墓地を訪れた昼前から真夜中まで……。

 時間の経過がわかりづらい地下だったためか、ジロンドは魔塔の魔法使いが迎えにくるまで止まることなく話し続けた。


 お心静かに、と看板が立てられたのはそれからだ。

 もっとも、ジロンドはそれがきっかけだと知らないようだが。


(ミネルバと言葉を交わした時はまだ、コルテと出会っていなかったから……)


 だが、今はどうだろう。

 あの頃のような気持ちはすっかりと消えうせた──とまではいかないが、ごまかしようのないくらい薄らいでいるのは確かだ。


 現に今、あの頃のようにマンドレイクの話をしたいと思わなくなっている。

 それどころか、マンドレイクの話をすることでコルテに前世の記憶が戻ってしまったら、自分のもとを去ってしまうのではないかと、恐怖すら覚えた。


(ここへ来たのは早計だっただろうか)


 しかし、ここ以上に安全な場所を、ジロンドは知らない。

 一週間という短い期間で用意できるもっとも安全な場所は、ここしかなかった。


 この地下墓地には、前世のコルテ──マンドレイクの墓がある。

 戦争が終わってすぐに、ジロンドはここを用意した。媚薬に使用しなかったマンドレイクの一部を、埋葬したのだ。


 頻繁に会いに行っていたのは、埋葬した実から芽が生えて、それが転生したマンドレイクになるのではないかと淡い期待を寄せていたからだった。

 時間の経過とともに転生が期待できなくなってくると、ともに眠りにつけないことに対する贖罪しょくざいとして、会いに行っていた。


 不老不死の研究の末に不老長寿となってしまったため、予想よりもはるかに長く彼女を待たせてしまっていたが、いずれは一緒に……と決めていた。それなのに。


 コルテと出会ってからは、すっかり忘れていた。

 今となっては、行く意味すら見いだせない。


 コルテとマンドレイクは、同じであって違う生き物だ。

 一緒くたにするのは、間違っている。


(この胸にある重苦しい気持ちは……罪悪感、なのだろうな)


 それも、マンドレイクに対してではなく、コルテに対して。


 なんて薄情な、と思う。


 だが、仕方がない。

 少なくとも今のジロンドは、そう思う。

 気持ちの整理がつかず、自棄になっている部分もあるが。


 マンドレイクだった頃も愛らしかったが、コルテにはマンドレイクだった頃と比べものにならないくらい心を持っていかれている。


 いつから、どのタイミングで、なんて明確には覚えていない。

 気づいた時にはもう、手遅れなほどに、コルテへの思いでいっぱいになっていた。


 掃除が得意で、料理が上手。

 ジロンドが誉めると、「大袈裟おおげさですよ」と言いながら、はにかむように笑う。


 マンドレイクだった頃の彼女に、不満なんてなかった。

 しかし、いざ転生した彼女と生活してみると、いかに以前の生活が足りないものだらけだったか思い知ったのだ。


 つまるところ、欲がわいたのだ。

 触れたいし、触れてほしい。見つめたいし、その目に自分を映してほしい。


 純愛だった気持ちは、コルテと出会って恋愛へと昇華した。 


 振り返ってみると、コルテに誉めてもらいたいと、対価を願った時が分岐点だったのかもしれない。

 気づかないまま今に至り、現在進行形でおとなげない独占欲は増すばかり。


(気づいていたら、止められたのだろうか)


 答えは“いいえ”だ。


 ジロンドはずっと、死んだも同然の日々を送っていた。

 何の楽しみもなく、やりがいもなく、惰性で生きているに過ぎなかった。

 コルテと出会わなければ、今だって棺おけに片足を突っ込んだような生活をしていただろう。


 偉大なる魔法使いの、老いらくの恋。

 失うものがないジロンドの恋は、危険すぎる。なまじ、力があるだけに。


 ルベールがコルテを奪いに来た時なんて、怯える彼女には申し訳ないが、好機だと思ったくらいだ。

 コルテはヴィラロン家を、ルベールを恐れている。

 彼を完膚なきまでにつぶしたら、自分が上等な男であることを彼女に示せるのではないかと考えたのだ。


 結果として、コルテをさらなる危険にさらすことになってしまったのは、阿呆としか言いようがない。

 自己嫌悪に畑へ埋まって肥料になってしまいたいくらいだが、そんなことをしても何にもならないと、経験上わかっていた。


(済んでしまったことを引きずっていても、仕様がない。今はコルテの安全を確保することが第一だ。…………というのは建前で。本音としては、制御もままならない理性を取り戻すための冷却期間がほしいだけなのだろうな)


 コルテが近くにいるだけで、ジロンドは冷静さを欠いてしまう。

 偉大なる魔法使いという呼び名も魔塔主という肩書きも木っ端微塵になり、コルテに認められたいと、そればかりを考える愚者に成り下がる。


 おそらく……いや、きっと。ジロンドは同じことを繰り返すだろう。


(そういう予感がひしひしと……する)


 ここへ来たのは、ヴィラロン家の者なら絶対に思いつかない場所だと思ったからだ。

 魔塔にいるよりは、見つかる確率が低いと判断した。


 そして、ミネルバを頼ったのは、彼女が無効化魔法を得意とするからだ。

 グランベル王国において、彼女ほど強力な無効化魔法を使える者はいない。

 なにせ、偉大なる魔法使いと呼ばれるジロンドさえ、手を焼くくらいなのだ。


 地下墓地の守護者。

 その名を聞けば、事情を知らない者はみな、墓守をイメージする。


 暗くて、ジメジメしていて、下っ端がするようなこと──グランベル王国の墓守のイメージは、そういうものだ。

 それゆえに暗い印象を抱きがちだが、実際には優秀な聖女しかなれない、非常に重要な役目なのである。


 聖女の中で、もっとも強力な無効化魔法を使える者。

 選ばれし聖女だけが、地下墓地の守護者となれる。


 厳しすぎる修行は、さまざまなリスクを覚悟しなくては挑むこともできず、ミネルバも視力を失ったくちである。

 それゆえに、彼女らは敬意を持って聖女や魔法使いからこう呼ばれる。

 地下墓地の守護者、と。


 コルテを安全な場所へ、尚且つジロンドは冷却期間を持てる。

 その間にミネルバがコルテに無効化魔法を教えてくれたら、コルテはジロンドのストッパー役として魔塔から離れられなくなる──というのが、ジロンドのもくろみである。


「あらあら、ジロンド様からお願いだなんて。それほどまでに大事な方なのですね」


 見えない目は、しっかりとコルテを見据えている。

 口元が引きつっているように見えるのは、決して錯覚ではないだろう。


 ジロンドへの恐怖か、それともコルテへの同情か。

 あるいは、厄介な面倒ごとを押し付けられたと億劫に思っているか。


(全部か)


 どんな対価を求められようと、受け入れてもらわなくては困る。

 我ながら大した執着だと自嘲の笑みを浮かべながら、ジロンドは願いを申し出た。

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