第5話 ジロンド・フェラン

 令嬢を見た瞬間、ジロンドは雷に打たれたような衝撃を覚えた。

 どんなに難しい魔法を成功させてもニコリともしなかった唇が、勝手にゆるゆると弧を描く。


(妙な気配を感じると思ったら……)


 ポケットに忍ばせていた小さな球体を大事そうに握り締め、ジロンドは感じ入るように目を閉じる。

 まぶたの裏に映るのは、土の匂いをまとう一株のマンドレイクの姿。

 青々とした葉に赤紫色の実を持つマンドレイクは、赤いリボンでポニーテールを結っているようにも見えてかわいらしい。


 若くして魔塔の主となり、以来グランベル王国にいるすべての魔法使いの頂点に君臨し続ける偉大なる魔法使い──ジロンド・フェラン。

 彼はこの日はじめて、これまで鼻で笑ってきた運命というものを信じるに至った。


(なるほど。どうりでこの依頼を受けようと思ったわけだ)


 魔塔には、毎日数多くの依頼が舞い込んでくる。

 魔塔の魔法使いにしか解決できないような難しい問題から、簡単だけれど確実に成功させなくてはならないものまで、それはもうさまざまな依頼がひっきりなしにやってくるのである。

 共通しているのは、【絶対に失敗は許されない】という点のみだ。


 ジロンドは、魔塔の魔法使いの仕事の傍ら、魔塔の魔法使いたちへ仕事を割り振る作業も兼任している。

 日々増えていく依頼を精査し、嫌がる魔法使い部下たちの尻をたたきながら仕事をさせることは、魔塔の主上司である彼の腕の見せ所であり、ささやかなストレス発散法でもあった。


「横暴だぁぁぁぁ!」


 扉にしがみつく魔法使いを引き剥がし、容赦なく転移魔法を発動。


「パワハラはんたぁぁぁい!」


 部屋全体に防御魔法をかけようものなら、聖獣ドラゴンを召喚して魔法を破壊。

 そして、容赦なく転移魔法。


「はい、いってらっしゃい」


 リナローズ男爵家から依頼の手紙が届いたのは、魔塔に残っていた魔法使いの最後の一人を依頼先へ転移させた蹴り出したあとのことだった。


 出不精で面倒臭がりで有名な魔塔の魔法使いが全員出払うなど、何年振りの快挙だろうか。

 あまりに嬉しくて清々しくて、ジロンドの判断基準は大いに緩んでいた。


 正直に言って、リナローズ男爵家からの依頼は魔塔向けではなかった。


 ──悲鳴を好むことで有名な、ヴィラロン伯爵家の嫡男ロベールとの婚約を迫られている。回避するため、令嬢の声を封じてほしい。


 難易度や事情をくむに、神殿に属する女性魔法使い──聖女と呼ばれる者たちが好みそうな案件である。


 しかし、ジロンドは気分がよかった。ものすごく。

 ここ何年かは事務仕事ばかりで、魔法使いらしいことも久しくしていなかったこともあって、彼は珍しくもやる気を出した。


 数ある依頼の中で、どうしてこの依頼を受けたのか。

 机の上にはもっと重大な問題が山となっていたのに、だ。


(運命としか、言いようがない……!)


 外はまだ冬になったばかりだというのに、ジロンドは一人、春の訪れを感じていた。

 感情がないガラス玉のようだと称されるはしばみ色の目が、とろけるように甘く細められる。


 魔塔の魔法使いたちが今の彼を見たら、笑い転げながら天変地異の先触れを出すだろう。

 それほどまでに、今のジロンドはなかった。

 まるで初恋相手に再会したかのように、彼の視線は熱を帯びている。


暗い黄緑色エルムグリーンの髪に、果実のような赤紫色の目。姿は異なるが、名残なごりはあるな)


 ああ、どうして忘れていたのだろう。

 懐かしさを噛み締めるジロンドの胸に、もう忘れたと思っていた愛しい日々が去来する。


 四肢をバタつかせながら上げる、個性的な叫び声。

 ジロンドの手を跳ね除け、大地を駆ける力強い根。

 調薬中の鍋を興味深そうに覗き込む、シワだらけの顔。


(ああ、なんて愛しい……)


 かつてジロンドは、一株のマンドレイクを大切に育てていた。

 はじめは慢性的なマンドレイク不足を解消させようと始めた実験に過ぎなかったが、手をかければかけるほどわがままに育っていくマンドレイクにだんだんと愛着が湧いてきてしまい……その執着ぶりは、戦争で物資不足になってなお手放すことができないほどだった。


「ジロンド。分かっているだろう?」


「嫌です。わかりません」


「媚薬さえあれば、戦争が終わる。マンドレイクはもう、おまえが持っている一株しかないのだよ」


「わかって、います」


 師匠に説得され、泣く泣く魔法薬にしたのはもう何十年も前のこと。

 最後の足掻きに研究途中だった転生魔法を使ってみたが、待てど暮らせどマンドレイクは生えてこなかった。


 マンドレイクの夢だった不老不死の薬を研究する過程で不老の身になった時は、これでいつまででも待てると喜んだものだ。

 しかし、そうこうしているうちに任された魔塔の仕事が忙しくなってしまい、今の今まですっかり忘れていた。


(なんということだ。まさか、人として生まれていたとは予想だにしなかった)


 嬉しい誤算だ。

 師匠からは「マンドレイクに恋する変質者」と白い目を向けられていただけに、今世の彼女なら何の問題もないことが打ち震えるほど嬉しくてたまらない。

 ジロンドの頭の中はあっという間に、いかに彼女へ奉仕するかということでいっぱいになった。


(令嬢の名前はたしか、コルテ・リナローズといったか)


 さっさと用事を済ませて帰るつもりで話をしていたせいで、名前をきちんと聞いていなかったことが悔やまれる。


 長らく病に臥していたせいで、世情に疎いところがある。だから彼女が何を言おうと耳を貸してはいけないし、筆談なんてもってのほか──などとリナローズ男爵は言っていたが、おそらくうそだろう。

 手折れそうな貴族令嬢と違い、コルテは畑でのびのびと育った根菜のようにしなやかな体つきをしている。


(実に好みだ)


 スカートの裾から見えるキュッとしまった足首が、特に好い。畑を徘徊はいかいしていた、泥まみれの彼女そのままのようで。

 サイズが合っていない窮屈そうな靴を脱がせて、やわらかな土の上を歩かせてあげたら喜ぶだろうか。


(彼女の喜ぶ顔が見たい)


 いつの間にやら、喜ばせたいという目的が喜ぶ顔が見たいという願望にすり替わっている。

 なんだかおかしくて、こらえきれずクッと笑い声を漏らすと、令嬢は怯えた表情でジロンドを見つめてきた。


 守ってあげたい。

 沸々と湧き上がる保護欲に身を任せ、ジロンドは声を上げた。


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