第3話 マンドレイク令嬢
コルテ・リナローズが抱える、重大な問題。
それは、彼女の呼び名が全てを物語っている。
「マンドレイク令嬢」
リナローズ男爵邸の使用人たちは、コルテのことをそう呼ぶ。
貴族令嬢として不名誉なあだ名だが、しかしコルテは否定しない。
理由は二つあって、一つは訂正する機会がないこと。
本館の使用人たちはコルテのことを化け物のように扱っていて近寄ることはまずないし、別館の使用人たちは耳が遠くて話にならない。
そしてもう一つは、その通りだと自身が納得しているからだった。
コルテには、前世の記憶がある。
生きづらい男爵邸でうまく立ち回れるような知識を持っていれば良かったのだが、残念ながらない。
なにせ彼女の前世は、植物なのだ。
かつてコルテは、人のように動き、引き抜かれると悲鳴を上げ、完全に成熟すると自ら地面から這い出し、あたりを
その姿を目撃した者の反応は、大抵があまりの醜さに恐れ慄くか、あるいは嬉々として捕まえにくるかのどちらかだ。
古くから魔法薬の材料とされてきた、奇怪な植物。茎はなく、紫色の釣り鐘状の花弁と赤い実をつける。幾枝にも分かれ絡まった根茎は人型をしているが、ゴブリンやコボルトのように醜い──ナス科マンドレイク属マンドレイク。
将来の夢は、不老不死の薬の材料になること。
それが、コルテの前世だった。
(残念ながら最期は媚薬の材料にされてしまったけれど、その媚薬のおかげで政略結婚がうまくいって戦争が終わったようだし、そもそもすでに終わってしまったことだから特に思うことはないわ。でも、問題は……)
人として新たな生を受けたのなら、前世のことなんてすっきりさっぱり忘れてくれば良かったのだ。
うっかり覚えていたせいでマンドレイクだった時の感覚が抜けず、コルテは十八歳になった今も、マンドレイクの悲鳴のような声しか出せなかった。
どんなに努力しても──文字通り血のにじむような努力をしても──悲鳴以外の声を出すことができない。
口の形を真似ることも、言われた言葉を理解することも、書くこともできるのに。ただ話すことだけが──幼い弟や妹さえできることなのに──コルテはできなかった。
だからコルテは真実、“マンドレイク令嬢”なのだ。
発言することができないコルテは、意見したい時は筆談をするしかない。
許可をもらおうと手を上げると、父は拒否するように手で制してきた。
(……んん?)
よく見ると、向けられた手のひらにはびっしりと文字が書かれている。
(カンニング……ッ!)
吹き出すべきなのか、ドン引きするべきなのか。
一瞬で判断がつかず、コルテは困惑の表情で静かに父を見つめた。
「言わずともわかっている。おまえの声についてだろう?」
当主の威厳を示したいのだろうが、手のひらが全てを台無しにしている。
思わず「ば」から始まって「か」で終わる言葉が出かかったが、コルテは飲み込んだ。
(この際、カンニングについてはとりあえず脇に置いておくことにしましょう)
そうでもしないと、話が進みそうにない。
コルテがうなずくと、父はチラリと自身の手のひらを盗み見た。
「お相手はおまえの声を楽しみにしているだろう」
一言一句間違わないように、父は一生懸命読んでいる。
聞いているのがコルテではなくキティラだったら、「お父様、がんばって」と無邪気に声援を送るのだろうが、あまりにひど過ぎて見ていられない。
コルテは耐えきれず、目を逸らした。
(一体わたしは、何を見せられているのかしら)
自分のことなのに、どうにも集中できない。
聡明さを買われて商家から嫁入りしたという母に似て本当に良かったと、コルテは心から思った。
「しかし、お聞かせするにはおまえの声はあまりにも……ひどすぎる」
コルテはこくりと、うなずいた。
(ええ。あんな悲鳴では、興奮するものもしな……いえ、それは願ったり叶ったりですけれど)
「そこで、だ。魔塔の魔法使いに、協力を仰いだ」
魔塔に、魔法使い。
その二つの単語を聞いた瞬間、コルテは不意に前世のことを思い出した。
畑の真ん中を徘徊していたコルテを捕まえたのは、魔法薬を洗い落としたせっけんくさい手。
うわっと顔をしかめた時にはもう、視界いっぱいにコルテを観察する男性の顔があった。
まじまじとコルテを見つめる目は緑に金色をちりばめたような不思議な色合いで、目のふちにはアッシュブラウンのまつ毛。スッと通った鼻梁の下には少しカサついた形のよい唇があって、完熟マンドレイクとの遭遇に緊張しているのか、彼は何度も唇を舐めていた。
(マンドレイクだった時は気にもとめなかったけれど……今思うと、端正な顔だったわ)
人同士だったなら、キスでもしそうな距離感。
前世のこととはいえ、鮮やかに思い起こされた記憶に、コルテは羞恥を覚えた。
(あんなに綺麗な顔をした人と恋人になれたら、人生薔薇色でしょうね)
拍車をかけるように唇を舐めるしぐさと熱を帯びた視線も思い出して、コルテは落ち着かなげに体を揺らした。
その様子を見て、コルテが逃げようとしているのではと不安を覚えた父は、手のひらを素早く確認する。そして、場の空気を変えるように咳払いをして、
「もう二度と声を出せないよう、封じてくださるそうだ」
まるでそれが彼の慈悲だと言わんばかりに、優しげに言った。
(…………は?)
父の言葉に、コルテは一気に現実へ引き戻された。
(そんなの、あんまりじゃない?)
家族から弾かれても。
使用人に蔑ろにされても。
別館へ追いやられても。
コルテは何もしなかった。
ただおとなしく受け入れた。文句も言わずに。
誰にも迷惑なんてかけていなかったはずだ。
別館でひっそりと生活していただけなのに、まさかこんなことになるなんて。
(ルベール様と婚約して、結婚するなんてことになったら。万が一の場合、声を使って逃げる時間を稼ぐことくらいはできるのに……!)
唯一の武器である声を奪われていたら、コルテに抵抗できる術はない。
喉を押さえ、イヤイヤと首を横に振るコルテ。しかし無情にも、
「ニノス様、魔塔から魔法使い様がお越しです」
扉の向こうから、魔法使い到着の知らせが届いてしまったのだった。
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