第14話 罪の告白



 魔王は言った――いずれ世界は滅びると。


 魔王は言った――だから私が世界を救うと。


 だが魔王はその言葉とは逆に、世界の破壊を目論んだ。その破壊が世界を救う為に必要だったことなのか、それは今となっては分からない。


 分かっていたのはただ一つ、魔王の行いは同族以外を滅ぼすことだった。


 魔族の王として君臨し、世界を構成する七属性の魔力を全て操って何かを探していた。世界の支配は、その何かを見付ける為の手段だった。


 何かを見付けたその先に、魔王の言う救済があったのかもしれない。だがあったとしても、魔族以外は全て滅んでいた。それは救いにはならない。


 それを魔王は理解していた。理解していたからこそ、俺達を育てた。


 勇者の予言を調べ上げ、人族の捨て子を集めて篩に掛けた。各属性の魔力に適応する七人の子供だけが生き延び、魔王は己の全てをその子供達に授けた。


 そして魔王が破滅の道を選んだ時、彼らは立ち上がり、武器を握り、勇気と覚悟を持って魔王に挑んだ。


 その果てに、魔王は死んだ。七人の子供達の手によってではなく、篩にすら掛けなかった一番最初の子供に。


 なぁ……どうして俺を育てたんだ。勇者として育て上げた訳でもないのに、どうして最期は俺だったんだ。どうして俺に父親殺しをさせたんだ。


 答えてくれ……答えてくれよ!


「親父ィ!」


 気が付けば、ベッドの上だった。伸ばした手が宙を切り、力なく垂れ下がった。


 凄い汗だ。シーツがもの凄く湿っている。


 頭痛が酷い頭を抱えながら身体を起こす。


 いったい何があった……確か試練をクリアして、それでエリシアに後を頼んで……。


「……気を失ったのか。なら此処は……リィンウェルか?」

「そうよ」

「……エリシア」


 声を掛けられるまで気づけなかった。エリシアが部屋の隅でリンゴを囓っていた。


 どうやらリィンウェルに戻ってきてしまったらしい。だが気を失わなかったとしても、ララの容態や俺の状態でそのまま魔族の大陸に向かうことはできなかった。少し時間を消費してしまったが、こればかりは仕方が無い。


 とりあえずベッドから下りようとして、違和感に気が付く。


 やけに身体が開放感に包まれている。ペタペタと身体を触って見れば、何も着ていなかった。いつも首から提げている指輪とアイリーン先生から貰った御守りの緑の宝石以外、何も纏っていない。そしてその開放感は下半身にもある。


 おそるおそるシーツを捲ってみると、そこには立派な男の象徴が。


「……俺に何をした?」

「ちょっと!? 変な誤解しないでよ! 何もしてないわよ!」

「良かった……」

「……手ェ出しときゃ良かった」

「え?」

「何でも無いわよ。ほら、そこに着替えがあるから」


 ベッドの脇には部屋着が置かれていた。黒のズボンに灰色のシャツと、落ち着く色をしていて実に好みだ。


 エリシアが背を向けている間に着替えを済まし、状況を確認する。


「それで? ララは? 俺が気を失ってからどれぐらい経った?」

「……少しは落ち着きなさいよ。あれから一日も経ってないわよ。ただ今日出発するのは無理ね。夜だから、日が昇ってからよ」

「……ララは?」

「……」


 エリシアは口籠もった。


 その反応はララに何かあった証拠だ。もしかして暴走で悪い影響でも受けてしまったのか?

 有り得る。魔力の暴走はその殆どが悪影響を身体に及ぼす。気を失っただけかと思ったが、やはり何か体内で起きていたのか。


「ララは何処だ?」

「その前にルドガー……確認しておきたいの。あの子に……魔王のことは話してたの?」

「……何でそれが今関係あるんだ?」

「……話してないのね? アンタが魔王を殺したこと」


 急激に、魂が凍て付くような感覚を味わった。動悸も激しくなり、視界がグラつく。


 どうして……どうしてその話が出る。俺は一度もエリシアにそのことを話していない。なのに、どうしてそれをお前が訊くんだ。


「……アンタが目を覚ますよりも先に、ガキんちょが起きたのよ。それで、起き抜けに訊いてきたのよ……魔王を殺したのは誰なんだって」

「――まさか、話したのか?」


 我ながら、口から出た声はもの凄く冷たい印象だった。

 その証拠にエリシアがビクッと怯えた。エリシアは首を横にブンブンと振った。


「は、話してないわ! ホントよ! でも……様子がおかしくて。あの顔色は……たぶん……」


 どうして知られた……何が切欠で……!


 俺はララの魔力が流れ込んできた時のことを思い出す。あの時、俺の魔力もララの中に流れた。まるで混ざるようにして魔力が溶け合ったのを覚えている。


 魔力は生命の源でもあり、今まで生きてきた記録のような物が刷り込まれていると聞く。だからエルフ族は魔力からあらゆるモノを読み解くことができる。


 もし仮に、俺の魔力がララに流れ込んだ際に俺の記憶を垣間見たとすれば。

 その記憶が魔王を殺した時のものだったら。


 その考えに至った時、俺は全てが終わったと感じてしまった。力なくベッドに座り、何も考えられなくなってしまった。


「……ルドガー、大丈夫?」

「……ララは父を殺されたことを恨んでないと言った。恨むには父のことを知らなさすぎると」

「そ、そう。なら、大丈夫なんじゃないの?」

「だけど母親は別だ。母親が死んだ切欠は、俺が父親を殺したことだ。精神的な拠り所を俺が奪ってしまったが故に、母親は生きる力を失ったんだ。ララは母親を愛してる。きっと俺を恨んでる」

「ルドガー……」


 エリシアが俺に近寄り、俺の頬を伝うものを指で拭う。


 涙を流す資格など俺には無いと言うのに。嘘つきで裏切り者の俺が慰められるのは間違っている。

 それでも涙が止まらない。ボロボロと涙が流れ落ちる。


「俺は……俺はララを守りたい。罪滅ぼしのつもりなんかじゃない。本心から守りたいと思ってる。でも、俺にララを守る資格があるのかってずっと考えてた。ララを裏切るような嘘を吐いて、真実を隠して……どんな顔をして守れば良いんだって……!」


 守りたい気持ちに偽りは無い。あの子は守られるべき存在だ。聖女であることなんてどうでも良い。あの子はまだ十六歳で、両親を失って、立場のせいで辛い目にあっている。教師としてもあの子を守りたいと思う。他の生徒達と一緒に学んで育ち、いずれやりたいことを見付けて大人になっていってほしい。


「俺とララの間には縁がある。守護の魔法が俺達を結びつけた。今なら分かる……俺とララを結びつけたのは親父だ。魔王が、俺とララを出会わせた」

「……だったら、やるべきことは一つじゃない」


 エリシアの両手が俺の顔を包み、顔を上げさせた。


「あのクソ親父がアンタに任せた最後の頼み、責任持って最後までやり遂げなさいよ」

「……俺は怖い。ララに……親父の子に恨まれるのが。親父に恨まれるようで……怖いんだ」

「へぇ? アンタでも怖いものってあるんだ」


 俺の気持ちを知っても尚、エリシアはカラカラと笑う。


 エリシアは俺の頭を抱き締め、子供をあやすように頭を撫でてくる。不思議と、気分が落ち着く感じがする。


「安心しなさいって。恨まれたとしても、一緒に恨まれてやるわよ。そもそも、魔王の敵は勇者なんだし」

「……お前は……強いな。やっぱ勇者だよ」

「えぇ? 知らなかったの? 私って雷の勇者なんだよ?」


 バシンバシンと、俺の頭を叩いたエリシアは俺を強引に立たせ、部屋の出入り口へと押し出した。


「ガキんちょは城の屋上よ。モリソンが見ていてくれてるから」

「……何だよ。一緒に来てくれねぇのか?」

「アンタ……ったく、私はアンタの母親でも姉でもないの。最初は一人で行ってきなさい」

「……そうだな。サンキュ、ちょっと行ってくるわ」


 涙でぐしょぐしょになった顔を袖で拭い、部屋から出て行く。


「……はぁ、ガキんちょが羨まし」

「あ、エリシア」

「ふぇい!? な、何!?」


 言い忘れたことがあって戻ったのだが、どうしてかエリシアは慌てふためいた様子を見せた。

 気になったが、訊いても教えてくれないだろうと思い、用件を済ませることにした。


「お前に助けを求めて正解だった。ララの言う通り、俺にはお前が必要だったみたいだ」

「――」

「それだけ。じゃ、また後で」


 それだけを伝えて、今度こそ部屋を後にした。


「……そう。それは……嬉しいわね……え? ララの言う通り? ちょっ、それどう言う意味!?」




 城の中を走り回り、やっとこさ屋上に辿り着いた。

 屋上の入り口では、モリソンが煙草を口に咥えながら外を眺めていた。

 外、と言うよりも外にいるララを眺めていた。


「モリソン」

「……随分とまぁ酷い顔じゃねぇか。目が腫れてんぞ?」

「久しぶりに泣いちまったからな」

「そいつぁ見たかったぜ」

「……いつから此処に?」

「かれこれ二時間以上。まぁ、詳しくは聞かねぇが……言葉は慎重にな」


 モリソンは俺の肩を叩き、屋上から消えていった。


 俺は一度大きく深呼吸してから、屋上のベンチに座っているララの後ろ姿を見る。


 月明かりに輝く銀髪はこんな時でも美しく思えてしまう。


 彼女は白いワンピースを着て星空を眺めていた。

 意を決して足を進め、静かにララの下まで歩み寄った。


 ララの隣まで来ると、いつもならセンセと呼んでくれる筈が、何も反応しない。


 それが酷く不安に思えて仕方が無い。


 だがいつまでも黙ったままでいる訳にはいかない。

 俺は口を開いてみせた。


「……ララ。身体の具合は……どうだ?」

「……何ともない」


 返事を返してくれた。それだけでも俺は嬉しさと安堵を感じた。

 だがララは体調面に関して返事をくれただけで、これから話す事とは関係無い。今のは義務的に返事をしただけかもしれない。


 魔王との決戦前よりも恐怖と緊張を覚え、本題に入ることにした。


「その……ララ。俺は……お前に言わなきゃならないことがある」

「……」

「お前の……父親なんだが……」


 何て、言えば良いのだろうか。そのまま素直に俺が殺したと言うべきなのだろうか。だがいきなりそんな言葉を投げ掛けるのは如何なものか。


 しかし他に言葉が思い付かない。そもそもな話、殺した相手の家族に向かって殺したことの告白をするなんて場面はそうそう無い。辞書にだって適切な言葉は載っていない。


 相手はまだ十六歳の少女だ。聡明であり大人びていても少女だ。信じていた相手が実は父親を殺した人であったなんて事実は、俺でもショックが大きいと思う。


 それでも、言わねばならない。ララを傷付けることになるとしても、これ以上ララを裏切り続けたくない。


「お前の父は――――ヴェルスレクス・エルモールを殺したのは俺だ」

「……」


 ララの息を呑んだ声が聞こえた。口は固く閉ざされ、スカートの裾をギュッと握り締める。

 俺は此処で言葉を止めてはいけないと思い、胸の内を全部打ち明ける。


「俺はお前の父を殺し、母の死の切欠を生んだ男だ。今まで黙っていて……悪かった」

「……何で今になって話したんだ?」


 ララは消沈したような声でそう訊いてきた。


「この旅の中で、お前に話す時が来るとは思っていた。だけどその……話す勇気が無くて……。見たんだろ? 俺の記憶を……」

「……じゃあ、やっぱりアレは父だったんだな」


 やはりララは俺の記憶を見ていた。


 こんなことでララに話すつもりなんて無かった。自分から話を切り出す腹ではいたのだが、俺の臆病さがこんな結果を招いてしまった。


 いや、今更そんなことを言っても俺がララを裏切って傷付けたのは変わらない。それに例えどんなに場を用意して話したとしても、ララを傷付けていたに違いない。


 俺はララの正面に移動し、膝を着いてララと視線を合わせた。

 ララは泣いてはいなかった。ただ悲しみの色を灯している。


 俺は首から提げている金の指輪を外し、ララの手に持たせた。


「これは……お前の父の指輪だ。盗ったんじゃない。訳あって、彼から渡された物だ……お前に返すよ」


 ララは指輪を手の上で転がした。何の変哲も無い金の指輪だが、俺にとってこれは彼の形見であり、ララにとっても父の形見だ。なら、本当の娘であるララの手元にあったほうが良い。


 そう思って返したのだが、ララも自分の首に提げている物を取り出した。

 それは銀の指輪であり、見た目は色以外金の指輪と同じだった。


「それは……?」

「……母の形見だ」

「……」


 その時分かった。この二つは結婚指輪で、ララの両親を繋ぐ大切な物だ。

 なら尚のこと、この指輪はララに返したい。彼も妻と娘の下にあることを望む筈だ。


「……ルドガーはどうして……この指輪を貰ったんだ?」

「……前に言ったろ? 俺と勇者達は同門の出だって。俺達を育てたのは魔王だ」

「……何で、そんなことを?」

「詳しくは知らない。だけど魔王は……お前の父は自分を殺す存在を欲していた。自分が世界を滅ぼしてしまうことを知っていたんだと思う。そしてそれを自分では止められないことも。俺は幼い頃に戦場で魔王に拾われた最初の子供だった。魔王が望んでいたのは勇者だったのに、勇者じゃない俺を最後まで育ててくれた」

「なのに、殺したのか?」


 ララの言葉が重くのしかかる。言い訳はしないしできない。


 俺達が彼を父として見ていたのは事実だ。残酷な試練を与えて乗り越えられなかった者達の命を捨て置いたとしても、彼を父として尊敬していた。


 その父を、俺はこの手で殺した。それが父の望みだったから。


「……そうだ、俺が殺した」

「……勇者達は?」

「一緒に戦った。だけど心臓に剣を突き立てたのは俺だ」

「……父のことについては何とも思ってない。私が生まれる前に母を置いて消えた奴だ。最初に会った時に言った通り、私は父を知らない」


 だけど、とララは一言置き、涙を堪えながら俺の目を見つめる。


「母は別だ……。母を悲しませ、母から生きる力を奪ったことは許せない」

「……ああ」

「ルドガーには言わなかったけど……そいつを見付けたら殺してやろうと思ってた。勇者に会いに行くと聞いた時、父を殺した勇者だったらどうしようと思った。でもルドガーだった……お父さんを殺してお母さんを死なせたのはセンセだった!」


 ララから魔力が漏れ始めた。負の感情に反応し、ララの魔族としての力が表に出かけている。

 黒いオーラが身体から滲み出し、屋上にある花壇の花が全部萎れ、そして枯れて土塊に変わった。

 魔王ヴェルスレクスと同じ死の魔力をララはその身に宿している。


 その力の矛先が、俺に向けられた。


 この場でララに殺されたとしても恨みはしない。ララには俺を殺す権利がある。


 復讐は何も生まないと言うが、それは確かではない。生まないかもしれないが、少なくとも過去との因縁に決着を付けることができる。過去から解放され、未来へと足を進めることができる。此処で俺を殺し、その一歩を踏み出せるのなら、俺はララに殺されよう。


 死の魔力を滾らせるララの手を取り、その手を俺の心臓の位置に置いた。


 こうやって触れているだけで、俺の手は激しい痛みを感じている。すぐに死なないのはヴェルスレクスの時と同じだった。ナハトの力で守られているが、いつでも破れる程の力しか出していない。


「俺を殺したいなら殺しても良い。誰にも咎めさせない。お前には復讐する権利がある」

「……」

「でも……良ければもう少しだけ待ってほしい。せめて戦争を止め、お前の安全が確保されてから殺してほしい」

「……何でセンセは私を守るの? 罪滅ぼしのつもり?」

「……いいや。俺がお前を守りたいと思ったからだ。勉強好きで、心優しくて、勇敢な少女を……俺と同じ半魔のララを。お前にとっての勇者になりたい、そう思ったからだ」


 最初は逃げたかった。関わりたくなかった。父を殺した過去から離れたかった。ララから憎しみを向けられると考えた時、同時に父の顔が浮かんだ。殺して止めるのではなく、生きて止めてほしかったと恨み言を言われているような気になる。


 ララの信頼を得ていくにつれて、その恐怖心は強くなっていった。父だけじゃなく、その娘であるララを裏切るような行為が、心を押し潰してしまいそうになった。


 だが同時に、ララに物を教えていく内にララの存在が大きくなっていった。


 俺と縁が繋がった子、俺の大切な生徒、俺と同族の子、ヴェルスレクスの娘。


 守る理由が増えていくに連れて、本心からララの勇者になりたいと思い始めた。


 だから殺されるとしても、もう少しだけ待ってほしい。

 ララを守る務めを、一度で良いから果たさせてほしい。


「校長先生が言っていた……私とセンセの間には縁があると」

「ああ……」

「……それは父が繋いだのか?」

「……俺はそう思ってる。俺とお前を知るのは彼しかいない」


 ララの目を見つめ、ララも俺の目を見つめる。


 どれ程長い、または短い時間だったかは分からない。沈黙が続き、ララは俺の胸から手を離した。感情が落ち着きを取り戻したのか、死の魔力も形を潜めて消えた。


 ララは持っていた銀の指輪を襟の中にしまい、金の指輪を俺に突き返した。


「これはセンセの物だ。私はこれだけで良い」

「……いや、だが――」

「その代わり約束してくれ。父がお前を選んだのなら、父の代わりに――いや、父以上に私を守り続けろ。この指輪と私の指輪に誓え」


 ララが差し出す指輪が月明かりに照らされて輝く。


 まるで契約魔法だ。この指輪を受け取ったその瞬間から、俺はララを守る為だけに生きることになる。俺と言う個を捨て、ララという個を守る為にその身を捧ぐ。


 捉えようによっては呪いなのかもしれない。

 だがこの呪いは同時に俺にとって心の救済になる。


 狡い魔女だ。こんなにも断れない契約を持ち掛けるなんて、将来が心配になる。


 俺はララの手から指輪を受け取り、首に提げた。


 これで契約は結ばれた。俺は今日この時をもって、ララを守るララだけの勇者になった。


「……これでセンセの命は私の物か?」


 ララは涙を拭い、不敵に笑って見せた。

 その笑みに呆気に取られ、そして俺も笑ってしまう。


「ああ、そうだよ。ったく、そんな所は父親に似なくて良いのに」

「……センセ、良かったら……センセの知ってる父について教えてくれないか?」

「……長いぞ? 悪いところも良いところも沢山知ってる」

「私達は寝なくても問題は無い」

「……そうだな」


 俺はララの隣に座り、そのまま日が昇るまで魔王ヴェルスレクスについて語り聞かせた。


 魔王との出会いから終わりまで全て。


 思えば、こうして親父のことを誰かに語ったことは無かった。親父のことを知っているのは勇者達しかいないし、後は魔王としての側面しか知らない人達だ。俺達が魔王に育てられたなんて知られたら、立場は無くなってしまう。


 ララに親父のことを話していると、エリシア達と話している時とは違う感覚を抱く。勇者達以外の者に親父のことを話せて嬉しく思っているのだろうか。ずっと打ち明けられなかったことを話せて、何だか不思議な気分になる。


 嗚呼、そうか……ララだからだ。親父の実の娘であるララに、親父のことを教えられるのが嬉しいんだ。とんでもなくクソッタレな親父だったけど、どうしてこんな良い子を娘に持てたのか不思議でならない。きっと母親が素晴らしい女性だったんだろう。


「ララ、母親の名前を教えてくれないか? お前のような子を産んだ偉大な母の名を知りたい」

「……マーテル。マーテル・R・エルモール。ミドルネームの意味は教えてくれなかったけど」

「……」


 マーテル・R・エルモール。Rか……大方の予想は付く。


 親父は魔王の癖に案外女々しいと言うか、未練がましいというか、人臭い所があるものだ。


「ララ、親父はきっとマーテルさんのことを愛してたと思う。捨てた訳じゃない」

「どうしてそう思うんだ?」

「でなきゃ俺に託すまで大事に指輪を持ってたり、お前と俺を縁で結ぶ理由が無い。俺は終始親父のことを理解できなかったが、アレでいて割と面倒くさい性格ってのは知ってる。それに、誰かを愛する心を俺達に教えた。そんな奴がどうして世界を滅ぼそうとしたのかは知らないが……少なくとも俺達の親父は愛を知っていた」

「……そうか。ならまぁ……あの世で母と暮らしてるだろ」

「ああ……しっかりと送ってやったよ。最期に何て言われたのかまでは思い出せないけど」


 きっと謝罪や感謝の言葉なんかじゃなかったと思う。あの男はどんな時でも無茶な要求をしてくるような奴だ。今際の際にふと思い出したことを口にしただけかもしれない。


 でもその内容が、ララを俺に託すものだったかもしれない。そうであればもしかしたら、俺とララはもっと早くに出会っていたかもしれない。そうなっていれば、今の俺の生活はガラリと変わっていただろうか。エルフ族の学校で教師なんかしていなかったかもしれないな。


「……ところで、センセ」

「ん?」

「日が昇ってきたからそろそろ部屋に戻ろうと思うんだが……後ろのアレは何だ?」

「んー……たぶん、俺の所為?」


 俺達は屋上の入り口へと目をやる。そこにはバチバチと雷を漏電させながら、此方を怒りの形相で睨んでいるエリシアが立っていた。両手にはカタナが二本抜き身で握られている。


 そう言えば、話しに行くと言ったきりで何も連絡してなかったな。


 頭を抱えてどうしようかと嘆いていると、エリシアがドシドシと近付いてくる。


「ねぇ……こっちは寝ずに待ってたんだけど……? 何……? 心配して見に来たらどうしてイイ感じの空気が流れてんの……?」

「よーし落ち着けエリシア。寝不足で苛々してるだけだ。だから仮眠を取ろう。良い霊薬があるから、な?」

「ええ、ええ、良いわよ、そっちがその気なら容赦しないわ……雷神の試練を乗り越えたんなら私で試しなよ」


 目がマジだった。殺す気と書いてマジと読むぐらいのマジだった。


 その後、エリシアと命を懸けた追いかけっこを演じ、リィンウェル中を駆け回ることになった。都市中を雷が縦横無尽に駆け回る光景を見たモリソンからは、魔族が攻めてきたのかと思ったと言われ、俺とエリシアは深く反省することになった。


 だがこれで俺の中の葛藤は消え、ララとの関係も決裂することなく済んだ。エリシアの力も借りられ、いよいよ魔族の大陸に乗り込む準備が整った。


 あとはウルガ将軍から穏健派を解放し、戦争が起きる前に止めるだけ。

 これが最も難しく、危険なものである。


 しかし、新たな謎も生まれた。


 雷の神殿で試練を受けること担ったのは俺とララであり、成り行きで雷神の力を手に入れてしまった。ララは聖女が関わっていると予想が付くが、俺については謎だ。


 俺は勇者でもなければ聖職者でもない。教師ではあるが。ただの半人半魔で、力もナハトが無ければ勇者と渡り合えないような奴だ。


 これが校長先生が言っていた、俺とララに関わる予言なのだろうか。


 いずれ大いなる選択を迫られる時が来ると言っていたが、それはまだ何のことか分かりそうにない。今は目の前の戦火に意識を向けておくべきだ。


 そして、その時は来た――。


 リィンウェルで北大陸に向かう準備をしていた頃、俺の下に一羽の鳥が飛んできた。

 その鳥はフレイ王子から使わされた精霊だった。


 精霊は俺の腕に降り立つと、俺の中に入って王子からの知らせを伝えた。


『――魔族の軍勢が侵攻を開始した。ルドガー、すぐに戻ってくれ』


 それは最悪な知らせであった。


 戦争が、起きてしまったのだ――。

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