第4話 変化した日常


 校長室からララを連れて出た俺は、重い足取りで私室へと戻った。


 ララを私室に入れ、俺は椅子にドカリと座って天井を見上げた。


 何てことだ。ララと関わるのは極力避けられると思っていたのに、まさか避けるどころか面倒を見ることになるとは誰が予想できたか。


 もうすぐ授業が始まるが、俺の頭の中はそれどころじゃない。

 これからどうララに接していけば良いのか、不安が殆どを占めている。


「……迷惑だったか?」


 そんな声が、ララから聞こえた。

 ララは積み上げられた本を手に取り、パラパラとページを捲っていた。


「……そう言うわけじゃない。事態を飲み込むのに頭と心が追い付いていないだけだ」

「私も守護の魔法や予言のことは知らなかった。ただこの国に身を隠すことが唯一の道だと、私を守ってくれた爺やが言っていた。私はそれに従っただけだ」


 淡々と物語るララだが、その赤い瞳は揺れていた。

 何も知らない場所でただ一人、何も知らないまま置かれてしまった。

 抱く不安は大きいだろう。その不安を取り除いてやるのが、大人の役目でもあるか。


「それにしても、お前も半魔なのだな? 私と同じ……」

「そうだ。どっちがどっちなのかは知らん。両親を全く覚えてなくてね」

「……私も父のことは知らない。物心ついた時には、母と二人だけだった。半魔であることは教えられていたが、魔王の娘だと知ったのは父が死んでからだ。魔族の迎えが来て、城で暮らすことになった」

「……母はどうしてるんだ?」


 ララの手が止まる。目を伏せて表情に暗い陰を落とす。


「元々病弱だった。父が死んだと知り、心を病んでそのまま衰弱して死んだ」

「――そう、か」


 パタンッ、とララは本を閉じた。


 そして俺を真っ直ぐ見つめる。

 俺の心は凍て付きそうだった。


「お前は英雄と呼ばれていたな? なら、人魔大戦に参戦していたんだろう?」

「……ああ」

「なら、魔王と戦ったか?」

「……」


 何と答えたら良いのか分からない。

 俺が殺したと言えば良いのか、それとも知らないと嘘を吐くべきか分からない。

 鼓動が激しくなる。焦点が定まらなくなる。呼吸が浅く荒くなるのが分かる。


 ララはそんな俺を見てフッと冷ややかに笑う。


「安心しろ、ルドガー。私は別に父を殺された復讐がしたいわけじゃない。復讐心を抱くには、私は父のことを知らなさすぎる。だから気にするな。お前は昨日言った通り、私に茶でも淹れてくれれば良い」

「……生徒達の前では先生と呼べ」

「分かったよ、センセ」

「……授業の時間だ。教室に案内する。今日は俺に付いて回れ。明日以降のことは放課後に」


 俺は臆病者だ。

 言い訳を並べて問題を先送りにしてしまった。

 ララに告げることができなかった。

 そんな時間があったと言えるわけではないが、時間があったとしても言えなかっただろう。


 ララは口にしなかったが、彼女の目は確かに語っていた。

 父への思いは無いが、母への思いはある。

 母の死の原因を作ったのは俺だ。


 俺はララの両親を殺した――。


 その事実が、俺の肩にずっしりとのしかかった。




    ★




 ララがアルフの都に来てから俺の生活は少し、いや見様によってはだいぶ変わったかもしれない。


 先ず、ララが住む場所は城ではなく俺と同じ寄宿舎である。寄宿舎と言ってもララが来るまでは俺しか使っていなかった。他の先生方は当然持ち家があることだし、態々此処を使う必要が無い。


 ララが同じ寄宿舎で過ごすのは、少しでも守護の魔法を強固にする為の措置である。


 最初は年頃の若い娘がいい歳した大人と二人だけの宿舎で生活するのはどうかと反論したが、エルフ族というのはその辺の価値観というか貞操観念みたいなものが違った。


 ララも最初は難色を示したが、一日二日過ごしたら寧ろ自由が利いて良かったと言い出した。


 この寄宿舎には学校のような魔法は掛けられていない。食事も自分で作らないといけないし、掃除や洗濯等と言った家事も己でする。


 これは俺のポリシーというか、何でも魔法に頼らないようにする為の日課である。

 魔法で全て片付けてしまっていては、いざ魔法が使えなくなってしまった時に何もできなくなってしまう。


 実際、大戦の時に魔力切れや魔法を発動できない罠に嵌まってしまった時、魔法頼りにしていた者達は焚き火すら点けられなかった。


 話がずれたが、俺とララは此処での生活に一つのルールを設けた。


 家事の分担と料理当番だ。朝食と夕食は特別な理由が無い限り寄宿舎で食べる為、七日に五日は俺が担当し、二日はララが担当することに決めた。


 幸い、ララは何でもそつなくこなすことができた。少々面倒臭がりでだらしない所もあるが、それは俺も同じで別段咎める気も無い。


 毎朝洗面所で寝ぼけた顔を合わせ、二人揃って歯を磨いて顔を洗う。当番が厨房で朝食を作り、二人で静かに食事を摂る。その後は授業の準備もあって俺が先に寄宿舎を出て学校に向かい、ララがその後に出る。


 それが毎朝の生活リズムだ。いつも一人だった朝が、少し賑やかになった。


「水族と水魔の見分け方はいくつかあるが、分かりやすいのは人型をしているかどうかだ。水魔によっては人型を模しているモノもあるが、その場合は言語を話すかどうかになってくる」


 学校でのララは不思議な編入生という立場に収まっていた。


 アーヴル学校でエルフ族以外を通わせた事例は無いが、エルフ族ではない俺が教師をしていることもあり、生徒達はすんなりとララを受け入れた。


 ララは魔法の才能に溢れている。


 エルフ族が使う魔法は魔族の物とは違い、精霊を介して発動させる精霊魔法だ。


 精霊とはそれぞれの属性の魔力の集合体であり、ある程度の知性と力を持ち合わせている。

 エルフは精霊と契約を結び、その力で魔法を発動する。


 エルフ族以外の種族が精霊と契約を結ぼうとしても、エルフと魔力の質が違う為に精霊側が契約を結ぼうとしない。


 俺の場合、エルフ族の魔力が込められた触媒を使い、そこに自分の魔力を少しだけ加えて契約を結ぶことを可能にしている。森で使ったあの石がそれである。


 しかしララは精霊を虜にする魔力を備えていた。触媒無しに自分の魔力だけで精霊と契約を結び、エルフ族の魔法を使用可能にした。


「さて、此処で質問だ。ミフィラーという水魔の特徴は? 誰か分かる者は?」


 ララが手を挙げた。


「じゃ、ララ」

「十九本の触手と鋭い二本の牙だろ? 西側の海に棲息する温和しい水魔だ」

「正解。正確には触手ではなく、あれは全部足だ。海底や陸をウネウネと歩く。ララの言う通り、見た目は凶悪そうだがもの凄く温和しい」


 ララは探究心が強かった。


 エルフ族の書物を読み漁り、俺が外界の知識を詰め込んだ本も毎日読み耽っている。

 様々な魔法生物や他種族の生活様式、魔法、歴史等々に興味津々で毎日質問してくる。

 普段は大人びた様子のララも、その時だけは幼い子供に戻ったように目を輝かせる。


 そこまで喜ばれたら、俺も時間をかけて本を書いた甲斐がある。


 外界の本を書いたのが俺だと教えた時の驚き様は今思い出しても笑える。


 エルフ族の図書館には基本的にエルフ族に関する書物しか無かった。ほんの少しだけは他種族に関して書かれた物もあったが、かなり古い物だったから俺が加筆修正した物や新たに書いた本が図書館には並んでいる。


 一ヶ月間もの時間をかけて俺が持つ知識を本に纏められたのは、頭の中で思い浮かべた事を文字にして書き出す文章自動作成魔法があったのが大きい。


 あれは便利だ。複数の羽根ペンが一気に動いて一度に何冊も違う内容の本を書くことができた。学校で使う教材は複製魔法で増やした物を生徒達に配っている。


 それを教えたら、ララは目を丸くして「半魔も見かけによらないんだ……」と感心していたが、あれはどう言う意味だったのだろうか。


 だがあの魔法は便利だが厄介な所もある。

 あれは一度使えば頭の中の情報を一から十まで書き出してしまう欠点があり、他者に教えるべきではない内容も書き出してしまった。


 処分してしまおうと考えたが、王達と協議した結果、禁書として厳重に保管することになった。

 もし今後その知識が必要になってしまった場合、何も残っていなかったらどうすることもできないと考えたからだ。


 ララはその禁書の内容にも興味を示しているが、それは俺が固く禁じた。

 教えるべき時が来たら、或いは学ばせるかもしれないが。


 また話が逸れた。

 ララの学校生活は順風満帆のそれだった。

 既に一ヶ月が経過しているが、魔族の動きも無く、ララは平穏に暮らしている。


「ルドガー先生、今よろしいかの?」


 学校の私室で生徒達が提出した課題をチェックしていると、校長先生が入ってきた。


「ええ、どうぞ。御茶を淹れましょうか?」

「是非お願いしよう。茶菓子はその棚にあるハニーケーキが良いのぉ」


 それは俺が一人で楽しもうとしていたんだが、まぁ仕方が無い。


 ハーブティーを淹れ、隠していたハニーケーキを切り分けて差し出した。

 校長先生は甘いケーキに舌鼓を打ち、楽しそうにホクホクと頬を緩める。


「美味しいケーキじゃ。先生の手作りかね?」

「生憎と菓子作りは苦手でして。それはララが作った物です」

「ほっほ! 随分と仲が良くなったようで安心じゃ!」

「お陰様で。真実を知ったらどんな顔をされるか……」

「……まだ言うとらんようじゃな。君が魔王を討った張本人だと」


 日に日に言い出せなくなっている。


 一ヶ月間共に暮らせば、ある程度の情が湧いてしまう。真実を伝えたら最後、ララが俺に向ける笑みは消え、憎しみに染まった顔を向けてくるかもしれない。


 それが堪らなく、怖い。


「……君は人魔大戦で多くの魔族をその手で斬ってきたであろう。今更何を怖がる?」

「……詳しくは言えません。他の魔族からなら何とも……いや、戦争が終わった今であれば思わないこともない。親を殺された子供達から憎しみをぶつけられでもしたら、少しは心にくるものがあるでしょう。だが、あの子は別です。あの子からの憎しみは……堪らない」

「どうしてそう思うのか、儂は追求せぬ。じゃがいつかは知る時が来る。君の口からでなくとも、何処からか知り得よう」

「俺が魔王を殺したことは、勇者達と人族の王達、エルフ族の王家と校長先生しか知りません。勇者達は人族の大陸にいる。もしララが俺以外から知るとすれば、それは貴方達の誰かが教えたことになります」


 俺は校長先生に睨みを利かせる。

 くれぐれも口にはしないでくれと意を込めた。


「儂から言うつもりは無い。請われても、この口は開かぬ」

「そう望みます……それで、ご用件は何でしょう?」

「おおぅ、そうじゃった!」


 本当に忘れていたのか怪しいものだが、校長先生はポンッと手を打つ。

 一つ咳払いをしてやっと本題に入る。


「この一月、魔族の動きを探っておった。今、魔族の大陸ではララが拐かされたと噂が広まっておる。次の魔王として有力候補であったが故に、ララを奪還しようと戦意が高まりつつある」

「まさか戦争を仕掛けてくるつもりですか?」

「いやいや、まだそうと決まったわけではない。じゃが、このまま放置しておけばそうなっていまう可能性は高いじゃろうな」


 ララが攫われたと噂を煽動したのは、北の森で出会したウルガ将軍だろう。

 ララを奪還する為にエルフ族の大陸へ攻め入る大義と戦力を得ようとしたのか。


 確かに魔族は力を大きく削がれてしまっている。

 だが戦う力を失ったわけではない。個々の力は弱くなったが、数を集めれば一度だけの戦争を仕掛けられる力は残っている。


 しかし戦争を仕掛けて長引いたり負けてしまえば、今度こそ魔族は滅びるだろう。


 ララを奪い返し、魔王に就かせれば状況はひっくり返るのだろうが、そんな危険な賭をするような将軍ではない気がする。


 それにララ自身が魔王になることを嫌がっている。でもそれはララの問題であり、魔族にとっては何ら関係の無いことなのだろう。


「このままでは魔族は存続を懸けた大きな戦いを起こすかもしれぬ。それは儂らエルフ族も望まぬ。前回は人族の大陸が戦場だったが、今度は此処かもしれぬからの」

「それを私に教えて、何をさせようと言うんです?」

「ルドガー……正直に言おう。王は聖女守る為ならば戦争が起きてもそれを良しとしておる。じゃが儂は違う。儂は戦争を望まぬ。子供達にあの地獄を見せてはならぬ。それは聖女を守る代価にはならん」


 校長先生の瞳には力強い覚悟が見えた。


 戦争を望まないことについては同意だ。あんな生き地獄を再び味わうのはまっぴらごめんだ。子供達は当然として、これからの未来がある若者達にも明るい道を歩いてほしい。


 しかし校長先生の仰ることが真実ならば、エルフ王は魔族が行動を起こすまで静観するつもりなのだろうか。


 あり得る。エルフ族の掟は基本的に迫り来る火の粉を振り払うようなものだ。火の粉を起こさないように先手を打つような行動は取らない。大戦の時も勇者達から同盟の声を掛けられて初めて駆け付けてきたようなものだった。


「私に戦争を防げと?」

「君にはそれができると、儂は信じておる」

「ですが、どうやって?」

「今、魔族の軍を統率しておるのはウルガ将軍じゃ。ウルガ将軍は穏健派を力尽くで抑え、政権をも掌握しつつある。戦争を止めるには、穏健派を将軍の手から解放せねばなるまい」

「魔族の大陸へ行って穏健派を解放して来いと?」

「左様。魔族の大陸の案内人にはララを連れて行くのじゃ」

「ララを? それは本末転倒では? 将軍達からララを匿う為に此処へ迎え入れたのでしょう?」

「じゃが、案内人にはララが一番じゃ。それに、君の側にいたほうが何処よりも安全だと儂は確信しておる」


 俺は頭を抱えて考える。


 戦争は止めなければならない。その為に穏健派を将軍から解放して政権を握らさなければならない。

 そこまでは解るし、納得もできる。


 だがララを連れて行くことはどうだろうか。あまりに危険過ぎやしないか?


 あの将軍はきっとララを何としてでも魔王にさせる腹だ。どんな手を使ってでも、ララが拒んでも力尽くで魔王にさせるだろう。今度は心臓を抉り出して別の場所へと隠すかもしれない。


 そんな目にララを遭わせたくはない。

 だけど、魔族の本国へ案内も無しに潜入はできない。それができるのはララだけだ。


 やるしかないのか……。


「……校長先生、この事、当然王は承知ではないのでしょう?」

「うむ。じゃが、この話は王子から持ち掛けられた。ララを都から連れ出す為に手を貸してくれる」

「……わかりました。出立は明朝に。ララには私から。それと王子に伝言を――」


 俺は校長先生に伝言を頼み、それを受け取った校長先生は頷いて部屋から出て行った。


 一人になった俺は溜息を零し、書斎の机の引き出しを開けて一冊の手帳を取り出す。

 この手帳は俺の師が日々の記録を残しておきなさいと言ってくれた物。

 古びた革製の手帳を開き、挟んであった写し絵を手に取る。

 これは模写魔法の一種で、見た物を紙に実物そっくりに写した絵だ。

 その絵には八人の若者が写っている。

 その中の一人に、若い頃の俺もいる。


「……過去のままには、しておけないみたいだよ」


 写し絵を手帳に戻し、来るその時へ覚悟を決めた――。

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