第一葉 4月9日/35歳/男性

 桜が散る頃に死のう。冷たい風が吹き込む晴れた夜に公園を散歩していた時に思った。


 その時に、すぐに死ななかったのは、猶予が欲しかったからだ。もしかしたら、気が変わるかもしれない、そんな言い訳をしたかったのだ。


 本当は、夜空と同化する様な黒い桜の枝を眺めながら感じていたのは、期待だった。もう二度と桜を見なくても良い。そんな気持ちがあった。人類愛を語る御為ごかしの薄ら惚けた言葉は、あと何回の桜を見れるか分からない事を嘆く。もしくは、親と顔を合わせるのは後何十時間なのか、とも問う。どちらにしても、何にしても、飽き飽きしていたのだ。もう、繰り返さなくて良い事が希望と言えた。


 死ぬ決意は幸福だった。始め、どうやって死ぬのかも決めていなかった。それでも、何時か偶然に頼って起こり得る事が、自分の意志で決めた事になり、間違いなく自分が死ぬと言う明確な人生設計が生まれた。


 安い言葉は、生きていれば良い事が有ると言う。もしくは、やっていればそのうち楽しくなるとも言う。終生において、そんな事は訪れ無かった。現実逃避の繰り返しを正当化する言葉は、何の慰めにもならない。ただ、漫然とした、鈍麻した苦痛が在るだけだった。それを誰に訴えても、同意は得られない。彼らにとって、有り得てはならない真実だからだ。それでも良いだろう、気付かなければ無いのと同じなのだから、知らない幸せを享受すれば良い。けれど、現実は何も変わらない。


 思えば生きてきて、これから死ぬ事を除けば、目標が無かった。今の時代では当たり前の労働者でしかない核家族で産まれ、両親から何を望まれるでもなく青年時代を生き、学業による選択を最初に迫られた高校受験から、何も目標とすべき事柄を持ち合わせていなかったのだ。


 猥褻な言葉は、夢を持てと言う。職業選択の自由と個性を尊ぶ事が、最大の幸福だと誰もが正気で宣う。けれど、自分の何処を探しても何も無かった。易い大学を卒業しても、勉学への興味は無いまま、残ったのは理屈よって解決したと言う経験だけだった。


 新卒で就職した仕事は一年で辞めた。馬鹿馬鹿しくなったのだ。そこで生きている社会人達が、あまりにも、学生時代に見た人々と変わらない事が落胆の原因だった。つまり、社会システムは、実に見事なまでに一貫性を保っている。彼らは目的も無く、学校教育で生産され、企業内部で消費され、社会を尋常に構成する。彼らは、私から見れば、生きている様には感じられなかった。


 仕事を辞めた後は、受ければ誰でも採用する様な中小企業に入社し、実家を出て一人暮らしをし始めた。生きる行為を日々の営みだと言うのならば、生存していた。だが、それだけだった。何度か仕事を転々としたが、何処も同じだった。何も変わらなかった。どれも知っていた。


 空虚さを満たそうと奮う想いさえ虚無へと消えていた。人々の愛憎を羨ましく思った。自分には他者を愛したいとも愛されたいとも感じなかった。周囲の人々を、顔も知らない人々を、憎しむ事も無かった。何処かで大量の人々が突然の偶然で死んでいく事も、動揺を起こさなかった。普通の人々が生きている事が、不思議でしかなかったのだ。


 欲望の真似をしても、意味は無かった。まず、食べる事に飽いた。何を食べても味覚による情報にしか感じなくなり、旨いも不味いも等価になった。食事は生存維持をする手段となり、安価と栄養価で評価した同じモノを摂取することにした。


 次に、寝る事に幸せを感じなくなった。睡眠と言う行為は、生存を維持する為に自分の意志を反した労働の果てでしかなかった。入眠は疲労と言う現実が途切れる地点であり、覚醒は命令への恭順を開始する事だった。だから、休日に微睡みと夢見の中にある時だけは現実には無い多幸感があった。ただ、それも意味の無い事だとわかっていた。


 最後に、欲情を喪った。性的快楽に浸る事にさえ、疲れてしまったのだ。勃起不全でも無く、煩わしくなったのでも無く、快感に慣れたのでも無く、ただ疲れた。他者と愛を囁き合う幸せを知ろうとも思わなかった身であっても、性欲はあった。けれど、求めようとする気持ちが擦り切れたのだ。もしくは、満たされてしまった。飢えは消えていた。


 死後に自殺の理由を尋問されれば、答えは「生きる理由が無かったからだ」となる。そして、「死ぬのならばと思えば動けた」と言うだろう。


 桜の散る頃に死ぬと決めた夜の、次の日から部屋の荷物を捨て始めた。本は近くの古本屋に何度も持って行き二束三文にした。本棚が空になると、ああ死ぬんだなと言う実感が無性に嬉しかった。


 次の仕事を探していた頃だったので、社会的な手続きで煩わされる事は無かった。服を捨て、雑貨を捨て、日用品の買い溜めを捨てた。粗大ゴミにしか出せないものは、部屋に残す事にした。終始態度の悪かった管理会社に義理立てをする理由も無い。


 桜が満開になった頃、電気水道ガスの停止を申請した。通信契約は何となく残した。けれど、パソコンはハードディスクを壊した後に分解して燃えないゴミに出した。銀行口座はクレジットの残高の為に解約しなかった。どれも意味は無いが、したかった事をした。


 桜が散るまで部屋の中で待っていた。昼も夜も無く寝て、最低限の飢えを凌ぐ為の食事を何回か取り、暖かい昼間の公園に行くと、地面に桜の花びらが広がっていた。


 家に帰り、最後の食料と生活用品、そして身分証の類をゴミ袋に入れ、服のポケットには現金と携帯電話を仕舞って、支度を終えた。玄関を出て錠を閉じた後に、鍵を郵便受けから入れた。


 電車を乗り継ぎ、今日、ここで死ぬ。高い所から飛び降りて死ぬことは決めていた。ずっと前から、飛び降りたかったのだ。ようやく叶える事が出来る。


 こうして生きる理由が無いままに生きた事実を書き残した後に、携帯は水没させて公衆のゴミ箱にでも捨てる。だから、何も残さない。


 名も無く産まれたのだから、名も無く死ぬだけだ。それで善い。

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