雷の勇者 side①

 ________夢を見た。


 多分、一番大切な私の思い出。他人と壁を作って、いつまでも独りだった私を解放してくれた、たった一人の英雄との出会い。


 きっと私はあの出会いのおかげで自分に自信が持てるようになったし、『人生を楽しむ』事が出来るようになったと思う。


 昔と違って失敗や後悔も沢山あるけれど、私は『完璧』であり続けた私より『理想』を目指し続ける自分の方が案外好きなのだ。


 今でも、もしもあの時あの場所で彼に出会っていなければ、私の人生は昔と変わらず、耐えるだけの辛いものだと言う考えを捨てる事はなかっただろう。


 だから、コレは私の始まりだったのだと思う。





 ______その日は特に暑い日で、ゆらゆらと陽炎が揺らいでいたのを覚えている。


 部活はおろか、休日に遊ぶ友達さえ居なかった中学二年の頃私は毎日毎日家に篭もり、課題をこなし、様々な稽古をこなし、名家の令嬢としての日々を過ごしていた。


 毎日、毎日、同じ事を繰り返している内に、私は段々と現実が現実でないような錯覚を覚えるようになった。確かに私はそこに居たが、味も音も色さえも、全てが褪せて朧気に感じてしまう。


 ずっと夢を見ているような感覚だった。


 ふわふわとして、焦点が定まらない。確かにソコに生きているのに、生きている感じがしない。他人と殆どコミュニケーションを取らなかった私からは、自分の居場所や自分自身が段々と消えていったのだ。


 これを改善するための方法は単純明快で、誰かと会話をすることで、自分の位置を認識し直す必要があったわけなのだが……私にはどうしてもそれが出来なかった。


 屋敷と言える程大きい我が家には、両手で数えるには足りないほどの数のも使用人が居るので、誰かと話そうと思えば幾らでも出来るだろう……しかし、私はこの頃人間不信に陥っており、誰かと関わることに対して異様なまでに怯えていた。


 それなりに有名な名家の令嬢であった私を利用しようとする輩は非常に多かった。私を攫い身代金を取ろうと目論む者も入れば、私を通じて家との繋がりを持とうとする者もいた。


 いつからだろうか、誰も私を見ていないことに気づいたのは。大抵の人間が見ていたのは『最上 天音』ではなく『最上家名家の娘』であったのだ。


 今の私からすれば「それがどうした」と言う話ではあるのだが、あの頃の私からしてみれば、誰も私を見ていないと言う事実は、ただひたすらにズンと胃にのしかかり、酷く重く感じたのだ。


 滅多に顔を合わすことがなかった肉親すらも、いつか自分を裏切るのでは無いかという不安に駆られ、丸二年間、誰かと社交辞令以外の会話をした覚えがない。


 使用人すら信用出来ない私は、家に居ても落ち着けず、夏休みが始まって五日後に逃げ出すように家を出た。……私の地位を知っている人と居るより、一人になれる可能性のある外の方が、僅かではあるが気が楽だったのである。


 かと言って、特ににやることも無かった私は、炎天下の中一人フラフラと歩いていた。


 飲み物すらも持たず、目的もなく亡霊の様に彷徨った。持っていたのは日を軽く遮る程度の帽子だけ。そんな状態で長い時間街を徘徊すればどうなるか。______熱中症になるに決まっている。


 何時もなら腕時計に仕掛けられたGPSが異変を察知し直ぐに迎えが来ただろう。しかし、その日の私は、目に見えない何かから解放されるためにその腕時計を家のベッドに放って外に出ていた。


 味わったことの無い倦怠感に加え、目眩、吐き気がした。覚束無い足取りですぐ近くにあった公園を仕切る金網に手を当て、もたれかかる。


 苦しくて、気持ち悪くて、ただひたすらに辛かった。何も考えられず、動くことすらままならくて、今にも倒れ込んでしまいそうな時_____彼が来た。


『_____大丈夫ですか?』


『………』


 重い頭を上げると、そこには居たのは何処か不思議な雰囲気を身にまとった少年だった。目鼻立ちは整ってはいるし、ある程度体も鍛えられていたが、全身から出ているヘタレそうな雰囲気が全てを台無しにしていた。


 その少年の問いかけに応えようと口を開いたが、既に限界だった私はろくに言葉を発することが出来なかった。


『……うわぁ、思ったよりヤバそうだなぁ……。ちょっと失礼しますね』


 少年は私の状態を見てそう言うと、両手に持っていた野菜などが入っていた袋をどさりと地面に置くと、動けない私へ距離を詰めてきた。


『____やめっ……』


 頭が回っていなかった事もあるが、身体の倦怠感のせいでろくに取り繕うことすら出来なかった私は、失礼にも怯えながら後ずさった。


 本来なら、気分を害してしまうような態度をとったにも関わらず、彼は何故か申し訳なさそうな顔で軽く笑っていた。


『流石にそこまで拒否されると傷つくなぁ……まぁ、英司みたいなイケメンならこんなことも無いんだろうけど。でも、今は将也はいないんで、ちょっとだけ我慢して下さい』


 そう言って、彼は迷うことなく私に肩を貸すと、ゆっくりと私を公園の木陰へと運んでくれた。


『飲めますか?一応、さっき買ってきたので冷えてると思います』


 木陰で横になったまま動けないでいる私に、彼は冷えた飲み物を手渡してくる。


『……これは君が飲む為に買ってきたものだろう』


『別に気にしなくて良いですよ。また買ってくれば良いだけの話だし……此処で倒れられる方が後味悪いです。ほら、早く飲んで下さい』


『……ありがとう』


 私はその飲み物を受け取ると、いつぶりに言ったか分からない、社交辞令では無いお礼の言葉を述べる。私の言葉に軽く微笑んだ彼は、ハンカチを冷えた飲料水で濡らし、寝そべった私の額に乗せる。


『キツそうなら直ぐに救急車呼びますけど』


『それは_____出来れば止めて欲しい。一人飛び出して倒れたなんて知られたら二度と一人で外に出られなくかもしれない。……それは、嫌だ』


 その未来を想像するだけであの頃の私は身の毛がよだった。当たり前と言えば当たり前の結末ではあったのだが、夏休みの期間ずっと監視の目が付くのは耐えられなかった。


『……あー、やっぱりなんか訳ありですか。まぁ、見るからにお嬢様っぽい人が一人で居るなんておかしいと思ってたけど』


『……お嬢様っぽいかな?』


 そう問いた私に、彼は


『何かラノベの金持ちのお嬢様感がめっちゃ出てます』


 と真顔で即答した。


『らのべ……?それは何なんだい?』


『……唯の本ですよ。興味があるなら貸し……ますよ。____あっ、後これ保冷剤です。救急車呼ばれたくないなら、何も言わず脇の下に挟んどいてください』


 彼は迷う様に言葉を詰まらせた後、保冷バッグから取り出した保冷剤を私に手渡してきた。……私としては遠慮したかったのだが、最後に付いていた有無を言わさぬ言葉の性で大人しく聞き入れるしか無かった。


 その後しばらくの間、彼はラノベについて語ってくれた。本人はあの時の事を黒歴史の一つとして居るらしいが、私にとっては二年ぶりに他人との会話を『楽しい』と思い出させてくれた大切な思い出だ。


 此方の容態を伺いながらも面白おかしく語る彼の顔が、興奮すると時々早口なる彼の様子が、そして舞い上がっていることに気づいて顔を僅かに赤くする可愛らしい一面が、何もかもが心地よかった。


 それこそ、ずっと続いてしまえばいいと思うほどに。


 しかし、長々と好意に甘えられるほど私は肝が太く無く、気分が楽になる頃にはこの場を離れることにした。立ち上がれる様になった私は彼にお礼を言おうと彼の姿を探す。


『あれ?もう起き上がって平気なんですか?』


『あぁ、君のお陰で少しだけ気分も楽になった。今日のところは家に帰るとするよ』


 彼は自販機でスポーツドリンクを買っていたところだった。


『立てます?辛いなら送っていきますけど……』


 遠慮がちにそう提案してくる彼に対して、私は横に首を振るとまだ少しだけふわふわする体を叱咤する 


『君のもこの炎天下の中だと傷んでしまうだろう?大丈夫、一人で帰るくらいなら造作もないさ。これ以上君に迷惑をかける訳には行かないしね』


『別にこの位のこと迷惑だなんて思いませんよ』


 さも当然のようにそういった彼は、柔らかな笑顔のままスポーツドリンクを飲みきると、そのゴミを少し離れたゴミ箱に投げて入れてみせ、『ラッキー』と嬉しそうに笑う。


『君が気にしなくても私は気にしてしまうんだ。それと、もし良ければ何だが……今日のお礼がしたいから明日もここに来てくれないかい?』


『お礼なんて要りませんよ。俺が勝手にやったことですし』


 そう言って荷物を持ち直した彼に私は少し残念な気持ちになる。此処で別れてしまえば、立場も何もかもが違う彼とはきっともう会えない気がした。


 それが何だか嫌で堪らないから、僅かしか持たない勇気をだして誘ってみたのだが、あっさりと断られてしまった。二年も人と会話していないのに、食い下がらずにもう一度誘う事など出来るはずもない。


『_____お礼は要りませんけど、俺は明日もここに来ますよ。さっき話したラノベも読んで欲しいですし、貴女の話も聞きたいですから』


 だが彼は、まるで私の気持ちを読んでいたかのようにそう言った。


『_____なら、そうしようか。じゃあ、また明日』


 私は大手を振って喜びたい気持ちを何とか抑えると、平静を装いながら別れの言葉を告げて歩き出す。


 この日から私は少しずつ変わり始めたのだろう。……まぁ、この時は変われたなんて思ってなかったけど。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る