天使たちの夜想曲
観音堂 紅葉
第1話 忘却
「今度僕ね、堕天するんだ」
目の前に座る親友は、そう言った。脳が思考することを許さなかった。彼が何を言っているのかが理解できなかった。
ここは天界である。辺りを見渡せば、純白の服を着た、頭上に光の輪を浮かべた“天使”が沢山いる。
問題を起こしたり、良い仕事ができなかったりすると、神様に堕天させられてしまう。そのことは天使は皆知っていた。しかし、今までに堕天した天使など居ない。彼よりも失敗が多い天使など山のように居るし、僕もその一人だ。
「どうしてだい?君は優秀な天使じゃあないか。そんな君が堕天する理由なんてないだろうに」
その言葉に偽りはなかった。何の罪もなく、幸せに寿命を迎えた人間たちを神様の元へと連れて行く、それが、天使の仕事。彼の評判は天使の中でも特に高い。大きな問題は起こさず、誘導も丁寧。周りから見て、完璧とも言える天使なのだ。そんな彼が何故堕天なんかするのだろう。
「この間、人間を連れて行くときに少々ヘマをしてしまってね。もう僕に天使は任せられない、と神様がおっしゃられたんだよ」
神様からのお告げなんだ、と彼は言った。だが、そんな一度の失敗で、神様がこんな優秀な天使を堕天させることなんてあるのだろうか?
「何故だ!そんな話は聞いていない!君が何かしてしまったのならどこかでその話を聞く筈だ。誰もそんな話はしていなかった」
彼の功績はあまりにも多く、嫌でも耳に入ってくる。だから、今回のことはあまりに唐突で、信じがたくて、何より辛かった。
「そりゃあ、誰にも話していないからね。神様に、誰にも言わないでくれ、とお願いしたんだ。自分の失敗を囁かれるのは気持ちがいいものではないだろう?しかし、君になら、言ってもいいと思ってね」
「君が堕天してしまうのならば、僕は君のことを忘れてしまうじゃあないか。そんなのは嫌だ、僕はまだ君と一緒に居たい」
堕天使になった者は皆に忘れられてしまうという。実際の所、それが本当なのかは分からないが。
「悲しいけれどね。これはもう決定事項なんだよ。変えようがない。神様がそうおっしゃったんだから」
彼は寂しそうに微笑んだ。それを見た瞬間、僕は考えることを放棄して、席を立ち走り出していた。遠くから彼の引き止める声が聞こえたけれど、もう迷うことなどできなかった。
「何故、彼を堕天させるのですか。彼は優秀な天使です。同じ天使として、そう言えます」
僕は、神様の元へとやって来ていた。多少の無理を言って、会わせて頂いた。
「決定事項だ。お前などが口出しできる問題ではない」
「ならば、理由だけでも教えて下さいませんか。私は納得することなどできません」
僕は、噛みつくようにそう言った。
「何故お前なんかに言う必要がある」
「彼の親友だからです。初めてできた、友人なんです」
「そうか」
神様は僕を一瞥して、こう続けた。
「あいつの意向だ」
「……は?」
神様が言っていることが、分からなかった。彼の意向で、堕天させる?
「冗談なんて笑えませんよ。そんなの、彼が望んだみたいじゃあありませんか」
「だからそうだと言っているだろう。分かったのなら、さっさと業務に戻りなさい」
「嘘を付くのはおやめください。彼は天使であることを誇りだと言っていました。ですから、こんな決定は取り消し……?」
その時、脳味噌の中で何かが弾ける音がした。目の前が一瞬真白になった。
「ほら、早く業務に戻りなさい。そろそろ次の人間が待っていますよ」
「……?はい」
そう言って、部屋を後にする。
「何故僕は神様の所になんか来ていたのだろうか」
首を傾げてみても、その答えは見つからない。
「って、まずい、もうこんな時間じゃあないか」
早く戻らなければ。次の人間が待っている。
「……何か、大切なことを忘れている気がするけれど」
頭の中に霞がかかっている様だけれど、きっと考えても時間の無駄だ。次の人間の元に遅れないようにと、僕は駆け出した。
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