G1グランプリ編
第1話 認められない現象
「
物心がついた時から、母は、いつも俺にそう言いきかせてきた。
俺は、恵まれている。
服も食べ物も、欲しい物もーー望めば、大概の物は、手に入るからだ。
「世の中には、明日を生きることすら難しい人達がいるの。その人達に比べたら、冬馬は、とっても恵まれているのよ?」
「お母様ーー何回目ですか? そのお話」
呆れるくらい聞いたよ。
そう言えば、ふんわりと微笑む母。
「そうね。何度も言っているわね。でも、何度でも言うわ。冬馬。あなたは、神様から選ばれたの。たくさんの命の中から、不自由のない恵まれた家庭に」
「選ばれた?」
「そうーー神様が、選んでくれたの。だから、冬馬……多くの人々を助けなさい。あなたには、その責任があるの。恵まれた家庭に生まれたのだから、他の子達に、恩返しをしないといけないのよ」
そう言って、母は、俺の頭を撫でてくる。
……母の手は、いつも暖かった。
その手に撫でられているだけで、俺は、幸せだったんだ。
だから、母の言いつけだけは、守ろうと頑張った。
弱い者いじめをしている奴がいれば、すぐさま助け。
腹を空かせている奴がいれば、一緒にご飯を二人で食べて。
羨ましそうにしている奴がいれば、強引に遊びに引き入れて。
誰であっても、分け隔てなく救ってきたつもりだ。
俺は、恵まれているから……。
だから、多くの人に感謝をして、恩返しをするのだと。
だがーー。
ある日、母が目の前で倒れた。
いつものように、大勢の人達を助ける為にと、身を粉にして働いていた母が……。
「お母……様?」
「お坊っちゃま!」
井上が、俺の身体を抱き締めてくれたのは、今でも覚えている。
だが。俺は、その手を振り払って、母の元へと駆けた。
目の前には、胸から真っ赤な液体を流す母……。
いつも、優しく包み込んでくれていた眼差しが、弱々しく細められーー。
「とっ、冬馬……」
「お母様!」
「冬馬……よく、きいてね」
俺を安心させてくれた手が、俺の頬へと触れる。
暖かった手は、まるでその時だけ、氷のように冷たくてーー。
「…………」
「えっ……」
初めてだった。
母の声が、聞こえなかったのだ。
いや……よくよく冷静に考えてみれば、俺自身が聞きたくない。と拒絶したせいかもしれない。
ともかく、その部分だけが、今でも思い出せない。
何かを俺に伝えた母は、最後だと言わんばかりに、力なく微笑んでその手を落とした。
俺は、泣きながら何度も母の名を呼んだが、一切答えてくれることはなくーー。
かわりに耳に入ってきたのは、一人の声。
ザマーみろと。
俺達を見下した罰だと。
そんな、言葉を大声で叫びながら、多くの人によって、地面へと抑えつけられていた男。
とことん……ふざけている。
母は、お前のような奴でも救うためにと、寝る暇も惜しんで働いていたのに。
俺は、お前のような奴を救うためだと、運動会も発表会も、母が来ないことを我慢していたのに。
これが、その仕打ちなのか?
何が、恵まれた人間の責任だ。
「許さない……」
許してなるものか。
「絶対に、お前らを許さない!」
肩に、小さな違和感がする。
そんな事を思い、右へと顔を向けるとーー生徒会会長である、
「……何です?」
この人とは、古い親戚同士であり、俺が唯一同学年でも認めている人だ。
本来なら、あんなふざけた笑みをしていた時点で、無視を決めこんでやるのだが、この人にだけは、そんな失礼なことなどできない。
だからこそ、仕方なくそう尋ねてみるとーー。
「いえ。何度も呼び掛けたのですが、ずーとパソコンとにらめっこしていたので。珍しいこともあるんだな~て」
……なんだと?
呼び掛けていた?
昔の事を思い返して、意識が逸れてはいたが……身体に触れられるまで、俺が気がつかなかったというのか?
理解し難い状況に、俺が思考に意識をそらしているとーー。
「遠藤さんとのお話は、どうでしたか?」
と、会長が興味深そうに言ってくる。
遠藤六道ーー。
よりにもよって、あの男の話題か。
「そういえば、あの時は、無理に退室していただき申し訳ありませんでした。別段、何もなかったですよ。例の件で、一応釘を刺しておいただけのことです」
あいつには、大海原イルマの件がある。
だからこそ、予め想定していた質問に、淡々とそう伝える。
ーー会長のことだ。
これで、納得するだろう。
そう思ったのだが、意外にも会長は、戸惑ったような表情をする。
「あー。その件ですけど……あまり、掘り返さないようにお願いしますね?」
「意外ですね。お得意の優しさーーであるのなら、今回の件では、大海原イルマの方に向けるでしょうに」
本当に予想外だ。
この人が感情を優先する人間なのは、昔からの付き合いだからこそ理解している。
だからこそ、被害者である大海原イルマを気遣うのは、当然だと思っていた。
がーー。
まさか、
「あははっ。そうですね。彼が心を入れ替えていなければ、僕もそうしていたかもしれません。ですけどーー似ていませんか? 遠藤さんって」
「似ている? 誰にです?」
「愛さんーーおばさんに」
ピタリ。
キーボードを押していた指が、その言葉によって、自然と止まる。
……似ているだと?
母と、あの愚か者が?
「笑えない冗談だな。勘弁してください。世の中広いとはいえ、俺が唯一同学年で認めているのは、あなただけなんだ……あまり、失望させるような発言は、やめて欲しい」
「そうですか?」
「えぇ。第一母は、美しく気高い人物です。あのような男とは、天と地ほどの差がある」
そうだ。
母は、誰にでも優しく、美しい人だった。
容姿だけでなく、その精神までも……。
あんなロリコン男が、似ているはずがない。
不愉快な発言を聞いたことで、作業の手が完全に止まってしまった俺は、日が暮れてきたということもあり、このまま今日は、帰宅しようと立ち上がる。
だが「でも」と、会長が続きをクチにしたことで、その足を止める。
「実は、遠藤さん。僕の正体を知っているんですよね~」
……なんだと?
「バレたんですか?」
会長の正体。
それは、彼が彼女であるということだ。
彼女の鳳凰院家は、古くからある財閥であり、直系の男子が、必ず継ぐという暗黙の了解が現在でもある。
そのせいで、女性の身である彼女は、強制的に男子として育てられてきたのだ。
親戚である俺は、とうぜんその事を知ってはいるがーーこれが世間に知られれば、鳳凰院家の存続事態危ぶまれる程の、ブラックボックスであるのは、確実。
それをーーあの男に知られただと?
……そうか。
それで、あの条件にも食いつかなかったわけか。
「いくら渡したんですか?」
クチ止め料……。
普通なら増額させられ続けるという危険な方法ではあるがーー鳳凰院家にとってみれば、痛くもない方法だ。
一億……いや、あいつなら五億でいいだろう。
所詮人間など、その程度だ。
大金を見せれば、簡単に従う。
そう結論を出し、俺が尋ねると、意外にも顔を横に振る会長。
「では、あの件を揉み消せと?」
「いいえ。提示された物は、香林サクラさんをクラスに溶け込ませる為には、誰と友人になって貰えばいいか? という件です」
「はぁ?」
唖然とは、このことだ。
なんだ、そのふざけた取引は。
自分に絶対的に有利に働く情報を握りながら、他者の友人探しだと?
あり得ない……まさか、そこまでのバカだったのか。
元々、価値がわからない奴に、ダイヤモンドを見せても理解できないのと同じことだったか。
遠藤六道は、真のバカだ。
そんな奴に取引を持ちかけた所で、無駄骨だったということか。
「呆れたな。話しにならない」
「ですが、今も黙ってくれています」
「……」
「それに、僕が秘密を話した後、こう言ってくれたんです。跡継ぎや他の事も、自分の好きにしたらいいーーと。僕の秘密を知って、あんなことを言ってくれたのは、人生で二度目です」
二度目ーー。
嫌という程、覚えている。
会長の境遇を知って、眉間に皺を寄せていたのは、母しかいなかったからだ。
「だから、似ていると思いますよ。六道さんと愛さん」
「似ていません」
「そう思うのは、きちんと彼と向き合っていないからではないですか? 本当に、心の底から彼と向き合いましたか?」
「っ!?」
本当にーーこの人は。
普段は、人情やら何やらに振り回されているくせに、こういう時は、世界でも五本の指に入る財閥の才能を発揮してくる。
だがーー向き合うなど、意味のないことだ。
人間は、どこまで行っても醜い存在。
損や得で動き、自分の理想の為なら、容易く他者を切り捨てられる。
そんな奴と、真剣に向き合ってどうする?
力を入れれば入れるほど、酷い目に合うのは、いつも善人だ。
それならば、深入りをしなければいい。
そして、この世の中には、先人がその最高の方法を作り上げてくれている。
法律……規則。
それを守ることが、己の身を護ることにもなる。
「……先に帰ります。失礼します」
俺がそう言えば、悲しそうに微笑んだ会長は「えぇ。では、また明日」と、それ以上は、俺に話しかけてくることがなかった。
酷い話だ。
会長との会話の後、校門に向かって歩いていた俺は、母とあの男が似ているという話を思い出したことで、一度大きく舌打ちをする。
くそ……。
似ていない。似ているものか。
「……お坊っちゃま」
井上?
そんなことを考えていたせいか、いつの間にか校門までついていたらしい。
それにしてもーー。
「学校内で、その呼び方は……いや。そこは、もう学校外か」
律儀な奴だ。
きちんと、門の外側に立っている。
しかし、何故ここに?
「しばらくは、休むように言ったはずだぞ? それなりに負担をかけたことだしな。迎えなら、他の人物で良いと言ったはずだが?」
「いえ。本日は、お願いがあって迎え役を変わっていただきました」
「ふっ。珍しいな。とりあえず、ここから離れるぞ。放課後とはいっても、まだ、生徒が何人かいることだしな」
と、俺が言いつつ歩き出すと、その横をついてくる井上。
「それで? わざわざ迎えまで来て、お願いしたいことってのは?」
「……お坊っちゃま。遠藤六道に、手助けをしてもよろしいですか?」
なんだと?
「どういうことだ?」
会長とのこともあって、俺が足を止めつつ井上へと問い詰めれば、唇を引き結ぶ井上。
「地球外生命体の二人は、G1グランプリに出場したとしても、間違いなく問題ないと思います。しかしーー遠藤六道は、ただの人間です。それは、戸籍や生い立ちを調べたお坊っちゃまも存じているはず。その遠藤六道が、G1グランプリなどに参加してしまえば、最悪な事態がおきる可能性があります」
「それがどうした? それは、やつ自身が望んだ結果だろう。お前が手を貸す必要性など、どこにもないはずだ」
それほどの覚悟をもって、奴は、俺達の敵になったのだ。
そう伝えれば、大きく首を横に振る井上。
「ですが! 彼もまた、私達と同じ人間です! 多少は、特殊な力があるかもしれませんがーー荒事に対しては、初心者も同然です。そのような状態で出場を強制して、万が一のことがおきては、お坊っちゃまだけでなく、ノーマルコーポレーションにも被害が及びます!」
「そうならない為の手配も、きちんとしている。それに、ルールだって完璧な物を作り上げた」
そうだ。
死傷者を出さないように、きちんとしたルールも作り上げたし、万が一の時も考え、最高の医療チームも揃えている。
何も問題などない。
それは、常に横にいた井上も知っているはずだ。
だというのにーー。
こいつは、何を言い出すのか……。
あまりの呆れた言葉に、俺が大きくため息をつくと、井上が、俺の両肩を勢いよく掴んでくる。
「お坊っちゃま! あらゆることをまとめて、目的を見失わないでください! 我々の目的は、あくまで人類の守護です! 敵対するものを殲滅することが、目的ではないはずです!!」
「っ!?」
井上にしては、珍しいことに、悲痛な顔で俺の肩を強く握り続けてくる。
……井上は、優しい奴だ。
遠藤六道と近くにいすぎたことで、同情心が動いたのだろう。
だから、バカげた提案をしたのだ。
そう、心のどこかで思っていたのも事実。
だがーーたしかに、井上の言う通りだ。
俺達の目的は、人類を地球外生命体の攻撃から護ること。
であるのならば、業腹だが……あの男もまた、俺らの守るべき存在ということ……か。
「……わかった。好きにしろ」
そう、井上へと告げると「お坊っちゃま」と、微笑む井上。
「どちらにしろ、優勝するのは、俺だ。今さら何をしたところで、奴らは、驚異にすらなり得ないしな」
そう言って、井上の手を振り払えば、悲しそうに俯く井上。
チィ……。
どうにも今日は、調子が悪い。
それもこれも、あいつだ。
何故だ……。
会長に言われたからか?
何故、今になって母とあいつの姿が、重なりだしている。
「違う……あいつが、母と同じなど……あり得るものか!」
立ち止まる井上を無視した俺は、何とか頭の中で起きている不愉快な現象を否定するように、そう呟くのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます