短編

chisyaruma

第1話 会合

俺は都会の喧騒をひどく嫌っていた。だからこの静かな土地にお前と移ってきたのだ。


 俺が全盛を生きた時代はまさにバブル真っ只中の時代だった。見渡す限り高層ビルが俺を囲み、まるで隔離するかのように立ち並んでいた。一日の最後には数多くの人を引き連れて一杯飲めば今の俺の懐がむなしくなるような酒を湯水のように彼らと浴びた。そんな都会の喧騒というのだろうか、私には語彙力がむなしいあまり上手い表現をすることはできないがとりあえずそんな時代の都会の雰囲気からどうしても逃げたかったのだ。

 

お前と出会ったのはまさに俺が嫌っていた、しかし俺の全盛でもあったそんな時代であった。俺はこれを胸の内に隠したまま墓の中に入ろうとしていたが、初めてお前をこの腐りきった自分の目で見たとき綺麗だとか、美しいだとか、かわいらしいだとかそんな感情は一切沸かなかった。お前と結婚した理由だって当時ではありきたりな成り行きからであった。お前の父は俺の会社との強い癒着のある大手企業の社長であったのだから当時の俺にとっては結婚の話を出されたとき断る理由はなかった。だがお前と出会い結婚してから俺の予想する未来、実際には眼前に光は全くと言っていいほどなく閉ざされたような暗い未来であったかもしれないが、まるっきり変わってしまったように思える。初めに俺の会社は倒産した。原因はたった一つのミスであった。しかも少しでも気を張り詰めていたのなら未然に防ぐことなど非常にたやすいことであった。寝る前になると当時のことを回想することが頻繁にあった。俺はいったいどこで選択を間違えてしまったのか、何が俺の判断を狂わせたのかを。当時の、お前と結婚するまでの俺は仕事に人生のすべてをささげ、俺の頭の中には仕事以外のことなど空気に過ぎなかったのだ。しかしお前と出会ってからある一つの、俺が感じたことのないような幸福感というのか高揚感というのかここでもはっきりとした表現で言い表すことはできないだろうが、それが頭の片隅の方に、しかし空気のようなものではなくしっかりとした形を持って現れ始めていた。あ、そうだ。それが俺の判断を狂わせたのだ。会社が倒産してからは俺の生活は散々なものだっとように見えるのだろう。それまで付き合っていたやつらは俺の言葉に耳すら傾けなくなってしまった。高い金を払い有名な大学に行かせてくれた親にまでまるで今までのあれとは別の存在を扱うかのような仕打ちを受けた。しかし他とは違った。お前は俺がいなくなった俺に愛想をつかすどころか今まで以上の愛情を示し多様な態度で接してきた。すべてが嫌になった俺は都会の喧騒や今までの記憶から逃げるようにこの地にお前と移ってきた。初めこの提案をしたときお前は否定するどころかむしろ嬉しそうな顔を俺に見せながら吞んでくれた。そうしてこの地に移ってきた。


 この土地は俺にとっては想像もしていないようなものだった。俺はこの土地にいる、これからここで衣食住をしなくてはならないという現実を目の前にしたとき自分の判断をひどく恨んだが、今となってみればそれは間違っていなかったとここではっきり言える。周りの建物は、これを建物といっていいのかわからないが前のものとは違ってせいぜい俺を縦に三人積んだくらいであろうか。おまえはそうでもなかったようだがおれはやはり人付き合いをする際には過去のことが突然として目の前に浮かんできた。しかし、ここの人とあそこの人は全くと言っていいほど異なるものであった。俺の財力や社会的地位の有無にかかわらず付き合ってくれる。まさに俺はこんな人たちとかかわりたかったのではないか。ここでの生活は俺の描いていた未来とは全くと言っていいほど違うものであったが、俺はこの生活に嫌気がさすことはなかったように思える。


 いつまでもこの生活が続くと思っていた矢先にお前は俺の前から消えてしまった。そしてまた俺の生活は全く異なるものに変わってしまった。朝起きてもお前の声は聞こえてこない。書斎で読書にふけっている俺に対して飯を呼び掛ける声がすることもなくなってしまった。お前と何度も歩いた外へ出ようとする気も全く起きない。外へ出ないもんだから彼らとのかかわりも前と比べてもかなり減ってしまった。


 ある日の正午のことである。いつものように読書にふけっている時間に回覧板が回ってきた。いつもと違う時間に回ってきたことに違和感を覚えながら俺は回覧板を玄関まで取りに行く。恐る恐る手に取ってみてみる。いつもと同じ回覧板であった。偶然今日は俺のところまで回ってくるのが早かっただけかと安堵の気持ちなりながら回覧板を一枚一枚見ていくと格別ほかの紙とは質や厚さの違うものが紛れ込んでいた。紛れ込んでいたと表現するのはおかしいような気もするが俺にはそう感じた。なるほど今日は裏の神社で夏祭りがあるのか。おそらく夏祭りというのだから毎年同じ時期に開催されているのではあろうがなぜ今まで気が付かなかったのか。そして俺はなぜ今気が付いたのかと思った。そもそも本当にこんな紙が回覧板に入っていて気が付かないことがあるのだろうか、いやあるはずはないと思った。今まで外に出るのも嫌になり、本を買うか生活用品を買うかの時だけにのみ街に出ていた俺はなぜか不思議とこの祭りに行きたいと感じた。そして今日の午後行くことを決心した。


 裏の神社と入ったが実際は歩いて三十分ほどかかる場所にある神社で、お前が生きていたころはこの神社を二人で訪れ細く長い幸せを願ったものだ。周りは多くの木で囲まれているので俗にいうデートスポットとしては最高だった。お前がいたころは神社が近づくにつれ足が徐々に速くなったが今はその真逆である。歩いていくといつも上っていた見覚えのある石の階段が見えてきた。あたりはかなり日も落ちていて暗くはなっていたが祭りを象徴するかのような明かりだったり、階段を上った先に見えるところから屋台だったりお囃子のようなものが聞こえてくる。俺はなぜかふと懐かしい気持ちに心を奪われた。何故だと聞かれても俺には理解もできない。そして久しぶりに会談と対面した。登ろうと左足を出した刹那俺の視界の隅に何か小さいものがあることに気が付いた。それはものというよりは生き物だった。狐だった。一匹であった。確かにここは周りが木に囲まれた土地であるからそこらへんに野生の狐がいても特に違和感はないと感じるのが普通なのであろう。昔の俺もそう思ったに違いない。しかし今の俺にはどうも払うことのできない違和感がその狐にはずっとあった。その狐はずっと俺の顔を見たままたたずんでいた。野生とは思えないほど毛並みがきれいであった。いや、そもそも俺は野生の狐など見たことはないはずであるのにそう感じた。


 俺は一歩前に進み出て狐の顔を再びじっと見つめた。俺が狐の顔を見つめると向こうもじっと美しい瞳を俺の顔に向けてくる。


 「お前は今一人なのか。ほかの仲間たちはどうした。」


 俺は自分の言語が狐に伝わるはずがないことなど当然心得ていたが、さも道端で迷った子供に話しかけるかのようにその狐に話しかけた。もちろん向こうは何の反応もせずにただひたすらに先ほどと変わらずこっちを見つめているだけである。


 とりあえず俺はその狐を無視して祭りが開かれている神社へ続く石段を登ろうと右足をかけた。私はここに移ってきてこの方この神社を一度も訪れたことがなかったが、自分が想像していたよりもこの石段がはるか遠くまで続いていることを知ったのは登り始めてしばらくしたころであった。それに加えて俺はいくつか奇妙なことに気が付き始めた。妙に体が重いのである。周りにこのことを離せば運動不足、又は年のせいであろうといわれるのは至極当然のことであろうがそういった類の重さではないのだ。ふわふわと体が浮かぶような、しかしその状態を何かしらの言葉で例えるならば重いという言葉以外は思いつかないのである。


 そしてもう一つ気が付いたことといえばその狐が俺の二段後ろ位をさっきから付いて来ているのである。それに気が付いたのは自分の足音が常日頃から聞いているものとは違う、まるで二重になったような音であったからである。俺が一段足を進めるとあいつも足を一段進める。俺が若かったころは後ろに大勢の人を大名行列のごとく引き連れていたものの、狐はおろか動物など引き連れて歩いたことは今回が初めてなのだから違和感を感じるのが当然なのであろう。しかし別の足音が聞こえるとわかってからは違和感を感じるどころかどこか懐かしささえも俺はその足音に感じていた。


 俺とお前の二人で一列に並びながら歩いているとようやく祭りの光と思われるものが見えてきた。後ろを振り返ってみてもやはり狐はついてきたままであった。祭りの場に入ってみると俺は大いに感心した。こんな人も少ないような田舎にしてはかなり派手に飾り付けられており、広場の中心部では大勢の人が円になり盆踊りやら花火やらを楽しんでいる。周りをざっと見渡してみても食い物やらお面やら射的などの催し物をしている屋台がずらっと並んでいた。俺は振り返って、


 「お前はなんかほしいものはあるか」


と狐に聞いてみた。しかし狐はしゃべりも体を動かすこともせずある一点をじっと見つめていた。俺がそっちの方を見てみるとその屋台はどうやら油揚げを打っているところであった。俺は長らく祭りというものに行っていなかったが油揚げを打っている店などあったものか、と思った。俺がその店に寄っていくとその狐も歩幅を合わせて寄ってくる。俺は振り返ってその狐をもう一度見てみる。その狐は顔を上に向けてガラス越しに見える作り立ての油揚げに心を奪われているかのようにじっと見つめていた。


 「なんだお前は油揚げが欲しかったのか。ほしいなら初めからもっと俺の方にすり寄ってきて案内すればいいのに。よし、一つ買ってやろう。」


 そう言って俺は油揚げを一つ買いどこか軽く座れる場所を探し、そこに二人で横に並んで座って油揚げを与えた。


 いままで一度もその狐の鳴き声などを聞いたことがなっかたものだから油揚げを食っているときに漏れた鳴き声を聞いた時にはいささか驚いたものの、その鳴き声と言ったらこの油揚げがどれほど美味なものなのかということがよく伝わった。そうして揚げを食い終わると俺たちは再び立ち上がりいろいろなところを見て回った。もう一度揚げを買い与えてやったり、二人で広場へ行き拙いながらも踊ってみたり。やっぱり俺はこの狐をどこかで見たことがあるような感じがずっと付きまとっていた。


 そんなこんなをしているうちに祭りの終わりはだんだんと近づいていた。周りを軽く見渡してみても踊りを踊っているものはもう残っておらず、残っている屋台も縦で数えられるくらいになっていた。


 「俺らもそろそろ帰るとするか」


 そのように俺は狐に告げ先ほど上ってきた石段を下りようとした。しかし不思議なことに上ってきた時とは違いその狐は」俺の後をついて来ようとはせず少し距離を置きじっと俺のことを見ていた。


 「おまえは来ないのか?」


 そう狐に行ってみるが少しの反応を示すこともなくただひたすらに俺の顔をじっと見つめているだけである。おれはこの狐と出会ってからどこか不思議な感じがしていた。夢や現実とも言い切れぬような、まるで白昼夢のような気分だった。そして一抹の疑問を彼女に投げかけた。


 「おまえなんだろ?」


そう問いかけてみたが彼女は反応することもせずじっと俺のことを見たままであった。


 「わかっていたんだ、最初から。お前と石段で出会ったときから。そもそもこの              祭りだって俺が知らないのはおかしいと思ったんだよ。俺はこの地に移ってきてからそれはもう長いことになる。確かにお前と別れてから俺はほかの人達と交流することなんてめったになくなった。だからおれにとってこの土地の情報源はあの回覧板しかなかった。」


 今初めて彼女に俺が感じていた疑問を投げかけた。しかし彼女はいまだに少しも身を動かそうとはせずに、彼女の周りだけ時が止まったように静まり返っていた。


 「なんで今頃俺に逢いに来たんだ。確かに俺は若いころは仕事一筋のような人間だった。お前にかまってやる余裕すらなかった。だけど、俺が仕事らか身を引いてからはそれなりにお前をかまってやれたと思っていた。でもそんなのはたしかに俺の自己満足の一つに過ぎなかったのかもしれん」


 俺はほぼ一方的に彼女に自分の気持ちをさらけ出しているに過ぎなかったが、彼女は人間ではないのだから当然のことであろう。彼女が人ではないとわかっていながらももう一度、あの懐かしく時にやかましく感じるような声を発してくれるのではないかと期待する自分がいた。そして声に出さずとも心の底で彼女の声を待ち望めば望むほど彼女が自分のところから離れていくような気がした。いや、実際に離れていった。


 「待ってくれ、、、俺のそばから離れないでくれ。まだ何も伝えていないんだ。声を出さなくてもいい。だから、、、頼むから行かないでくれ。」


 そう言う俺の願いはむなしくあたりに霧が立ち込めるや否や私は意識がもうろうとしてきた。そして彼女の姿が徐々に薄れていくのを薄れていく私の意識の中で感じていた。


 


 目が覚めた時私の周りは見覚えのある景色だった。一つ違ったことといえば私の顔が涙でひどく汚れていたことだ。なんだか懐かしい夢をひどく長い間見ていたような気がする。だが何も思い出せない。私はいつものように立ち上がり洗面台へ向かう。そして鏡で汚れた顔を確認し洗う。いつものように飯を食べ終え着替えに取り掛かる。ポッケを確認すると一切れの油揚げが入っていた。はて、いつ油揚げを買ったかなと私は疑問に思った。だけどどうしてか懐かしい気がした。


 俺は都会の喧騒をひどく嫌っていた。だからこの静かな土地にあいつと移ってきたのだった。


 


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