触れたい彼は、どこか遠くて

まにゅあ

触れたい彼は、どこか遠くて

「やっぱり好きだな、遥歌はるかの耳」

 みなとはいつもそんな風に言ってくれる。

 だけど――、

「触って」

 私がそう言って耳を向けると、

「……いや、やめとくよ」

 私から距離をとる。

 彼は、私に触れようとしない。

 耳に限った話じゃなくて、手を繋いでもくれないし、頭を撫でてくれたこともない。

「私のこと、嫌い?」

 一度そう訊いてみたことがある。

 彼は目を見開いて、

「そんなわけないだろ!」

 そう言ってくれたけれど、もちろん私は彼の言葉を素直に信じられなかった。

 ……彼氏の言葉を信じられないなんて、私って、嫌な彼女なのかな。


 湊との出会いは大学のサークルだった。

 飲み会で一人静かに飲んでいる彼がなぜか気になって、私から声をかけた。今思えば「私、大胆!」って思う。普段はかなりの人見知りだし。お酒の力のおかげかな。

 何度かデートを重ねて、彼氏と彼女の関係になった。

 女友達と彼氏の話になって、彼氏と手を繋いだことがない、って言ったら、「いや、ありえないでしょ!」とかなり驚かれた。私が湊との関係に疑問を持ったのは、それがきっかけだった。

 もちろん私はずっと前から湊と触れ合いたかったけれど、湊が初めての彼氏だったし、恋愛ってこういうものかのかなって自分を納得させていた。


 今日は二月十九日。

 私たちが付き合い始めてから、ちょうど一年だ。

 私は一つ大きな決意を胸に秘めていた。

「――今日は楽しかったよ。ありがとう」

 家まで見送りに来てくれた湊がそう言って笑みを浮かべる。

 私は一つ深呼吸をしてから、

「――えいっ!」

 素早く彼の右手を両手で包み込んだ。

 湊の手は温かくて、すごく気持ちよかった。

 だけど――、

「――っ!」

 彼は私の手をパッと振り払った。

「……」

 私たちの間に重苦しい沈黙が流れる。

 つらくて悲しくて恥ずかしくて――色んな気持ちが私の頭でぐちゃぐちゃに混ざりあっている。

「――っ!」

 湊の顔を見られなくて、背を向ける。

 そのまま家に帰ろうとした私を、

「待って!」

 湊が引き留める。彼の手が私の肩を掴んでいた。彼は服の上からであれば、遠慮なく触ってくるのだ。

「やめて!」

 私は彼の手を振り払おうとした。

 だけど彼の力が強くて、うまくいかない。

「――嫌っ!」

 私は必死に身をよじる。

 視界が滲んでいる――泣いているんだ、私。

 でも、何で?

 分かってくるくせに。

 うん、本当は分かってる。

 湊と終わりになるのが恐いんだ。

 彼の嫌がることをしてしまった。きっと私との関係を終わりにするって湊は言うだろう。嫌だ、嫌だ、嫌だ――さようならはしたくない。

 頭がぐちゃぐちゃで、どうしようもない私を、

「話を聞いてくれ!」

 彼は両腕で抱きしめてくれた。

 初めてだった。彼がこんな風にしてくれたのは。

「……落ち着いた?」

 私は頷く。

 彼は私を抱きしめたまま、小さく息を吐いて、

「人に触れるのが恐いんだ」

「――え?」

「服越しなら、何とか大丈夫なんだけど……」

 そう言う湊はひどくつらそうで、私は彼に何て言葉を返したらいいのか分からなかった。

「……困るよね、急にこんなこと言われても」

 抱きしめられていて彼の顔は見えないけれど、彼が無理して笑顔を浮かべているのが伝わってきた。

 私は、彼のことを何も理解していなかったんだ。

 一人で先走って、勝手に舞い上がって……。

「こんなの、自分勝手だって言われるかもしれないけど――」

 彼はさらに私の体を強く抱いて、

「これからも、僕と一緒にいてくれないかな。……初めてなんだ、こんなに誰かと一緒にいたいと思えたのは」

「……もちろん」

 私の視界が再び滲みだす――泣いているんだ。

 もちろん、さっきとは別の理由で。

 私たちは、私たちなりのペースで歩いていこう。

 彼の温もりが、私の胸にしみた。

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