第25話 イベント・ホライゾン

「……えっ?」


 男から放たれた言葉はコスモの動きを完全に停止させる。

 瞳のハイライトは黒く濁り始め、ポツリと理解できない意志を示す一言が発せられた。

 

 自身への罵倒など今はどうでもいい。

 彼女の心を悪い意味で射止めたのは王国騎士には戻れないという言葉だ。


 一度心の整理を行いたい彼女の思いを理解できるはずもなく王国騎士達は会話を紡いでいく。


「しかし何で騎士団長はあんな嘘を? あの女を追放する前から補充要員は確保していたというのにね」


「大義名分さ、あいつ妄信的な程に王国騎士に拘ってただろ? なら王国騎士に戻れるって誘惑を吹っ掛けておけば奴も忠犬のように働いてくれるって魂胆だろうよ。団長もあの女を好んではなかったらしいしな」


「騎士団長もやり手ね、まっあんな愛想のない女いない方が気が楽だけど。調査後はどうするつもり?」


「適当な言い分作って王国騎士復帰を先延ばしにしながら暫くは調査員という駒として使うらしいぞ。まっ雑用係だ。政府と繋がりが持てるだけマシだろ」


「ハッ、所詮はあの女はだったってことね」


 バリン__。

 何かが激しく割れる感触が神経を伝う。

 

 歪んでいく視界、真っ白になる思考。

 何もかも理解が出来ず、コスモは無意識にその場から逃げるように走り出した。


「……ん?」


「何? 幽霊でも見たような顔して」


「いや……なんか覚えのあるシルエットが少しだけ見えてな。まさかコスモだったり」


「止めてよ、そんな縁起でもないこと」

 

 王国騎士の二人が明確に認識できない程の全力疾走でただ我武者羅に駆け抜ける。

 目的地はない、最終地点はない、ただ未来の見えない今を嘆き走り続ける。


 だが無尽蔵ではない人間の体力はいつしか限界を迎え激しく息を切らしながらコスモは人気のない裏路地で立ち止まる。

 

(嘘……あれが全部……嘘……?)


 ようやく最低限の理性を取り戻しあの時の記憶をコスモは蘇らせる。

 王国騎士にはもう戻れない、いいように利用されていただけ、喉元を掻っ切る痛みよりも苦しいモノがコスモを突き刺す。


「違う……違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違うッ! そんなはずはないッ!」


 事実を認めない悲痛な叫び。

 これまでの第二の日々が全て無駄であった事を簡単に受け入れられる訳でもなく壊れたように「違う」と連呼を行っていく。


「……そうよ、今のは聞き間違い、疲れてたから幻聴でも聞いて……きっとそうよ!」


 夢、幻聴、聞き間違い。

 あらゆる真実の偽りを模索しコスモは自分の世界へと浸る。

 だが、あの言葉が現実空間で起きたということは誰よりも理解していた。


「嘘よ……こんなの嘘よ」


 現実的、現実的な性格だからこそ自分の思考が真実から目を背けた妄想だということを否が応でも認識してしまう。

 弱々しく覇気のない声と共にその場へと崩れ落ちる。


 裏切られたという感触。

 誰も救いの手を差し伸べない現状。

 突然に途絶えた未来への希望。


 髪が傷むほどに掻きむしり呼吸は段々と荒くなっていく。

 何かもが壊れていく、壊れて壊れて、全てを真っ黒に飲み込んでいく。


 いっそのこと、この瞬間に世界全てが終わって欲しい。

 何もかもが無茶苦茶になって全部が無に帰って欲しい。

 

 自分以外も全員苦しめ。

 自分だけこんな苦悩するのはおかしい。

 全部が全員が苦悩しろ、痛みを理解しろ。

 この世界から逃げたい。

 

 何もかもがどうでも良くなり歩んできた極彩色な十六年の記憶が脳内に次々と流れ真っ白に消え去っていく。

 同時に黒い理不尽が白く無となった心を染め上げる。


 やり場の見当たらない憤怒と憎悪は止まらず、虚しさが胸中を支配する。

 

「……ハッ、ハハッ……何なのよ馬鹿みたいじゃない、アッハハッ!」


 何故か笑いが堪えきれず理性を失った声が薄暗い路地裏へと響き渡る。

 自らの意志では感情の制御が不可能な中、彼女の視界には鋭利なガラスの破片が映る。


 手で握れるほどの身体を傷つけるには十分な程に尖ったガラスの一部。

 自身の心を暗示しているかのように汚れた地面に放置されている美しき凶器。


 心ともなくコスモは手に取ると細部までをじっくり見渡し小さく微笑む。

 こいつを喉元に突き刺せば出血多量で死ねるだろう、そう心で確信する。


 王国騎士として数多の遺体を目にしていたコスモはどうすれば人が死ぬのかはよく理解していた。

 最も尖った先端を震えた手で喉元へと徐々に近付けていく。


 死への恐怖はないというのに身体は不思議と激しく震え拒絶を示している。

 この世から消えたいという欲望と無意識に植え付けられた死への恐怖がせめぎ合う。


(大丈夫、頸動脈を狙えば直ぐに逝ける)


 自分でも気持ちが悪いほどに頭は冷静に死への最適解を導き出す。

 震える右手を左手で固定しながら覚悟を固めていく。


(いいのよ後悔はない、失うものもない、人間いつかは死ぬのよそれが少しだけ早まるだけ迷うな私。こんなクソみたいな人生最初から希望なんてなかった。世の中クソなのよ全部クソ、クソクソクソクソクソ、ここで終わらせよう。私は頑張った。よくやった私)


 皮肉にも今の彼女は最も自由だった。

 何にも縛られず、何にも影響されず、全てを諦めた末に得られた真の自由。

 

 もはや何処か開放感のような快楽が脳内に分泌されていく。

 建物の隙間から見える太陽の光がコスモを祝福するかのように照らす。


 肌で感じる生を捨てようとする感覚。

 生唾を飲み込むと改めて決心を固める。


 さよなら十六年の淡く歪んだ人生。

 さよなら、苦悩と本能で焼き切れた到達することなかった私の理想。

 

 笑いながら止まらない涙を拭くこともなく全てを終わらすべく自身の喉元へとガラスを突き刺そうとする。

 

「……コスモ様?」


 そう、それで終わるはずだった。

 だが既のところで鼓膜に入り込んだ美声がコスモの動きを停止させる。

 命を絶とう為に行使しようとしたガラスはスルリと手から地面へと落下した。

 

「えっ……?」


 崩壊しかけた感情で今起きた現状を直ぐに理解は出来ない。

 徐々に誰かに声を掛けられたという事に理解を覚え背後から聞こえた音にコスモは恐る恐る背後を振り返る。


 瞳に映ったシルエットは彼女が見覚えのある人物であった。


「やはりコスモ様でしたか。いかがなさいましたか? そんな汚い路地裏に蹲って。それとも汚い所がお好きなんですか?」


 長身からなる卓越したスタイル。

 整えられた黒髪に改造されたメイド服。

 従者の立場とは思えないほどに我の強い上品ながら過激な口調と威圧的な雰囲気。

 

「K……?」


 唯一無二の個性を持つ人物をコスモは直ぐにバタフライのメイドであるKと理解した。

 



 

 

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