第23話 瀬戸際の中で

「……えっ?」


 突然、あまりにも突然。

 予期していない威圧感にコスモの歪んだ色に溢れていた思考は真っ白となる。


 言っていることが理解出来ない。

 いや理解することを理性が拒絶している。

 

「嘘……って」


「惚けんなよ、恥ずかしがり屋か?」


 お決まりの軽い口調ではあるがその声質には享楽さはまるで存在しない。

 不安を煽るギャップがコスモの内の内にある感情を掴みかかる。

 

 目を背けたくなるものの、心が熱くなる空間が確かに先程までは存在していた。

 だがこの刻下を満たしているのは絶望という名の深い亀裂。

 

「最初は昼前に言っても良かったんだけどね〜君がこんな騒動起こしてたもんだから忘れしてしまいそうだったよ」


 草食動物を狩る獅子を彷彿とさせる形相の笑顔が身体を硬直させ冷や汗を垂らす。

 ワントーン下がった声は誰が聞いても異変を感じるのは明らかだ。


「君、だろ」

 

 端的ながらも核心を突く発言。

 まさかそんなのあり得ない、あり得るはずがないとコスモは現実から逃避する。

 こんな能天気な奴が気づけるはずがないと淡い期待を信じて。

 

「スパイって……何を馬鹿なことを」


「馬鹿ね〜じゃコレ何?」


 ジャンバーのポケットから取り出された綺麗に折り畳まれている紙のような代物。

 開閉されていく毎に上品な筆記体からなる文字の羅列が露わとなる。


 幾つもある書類の束。

 その表題には『『魔法創造科』調査報告』と確かに刻まれていた。


「ッ……!?」

 

 平然を保つよりも動揺が先行してしまいコスモは激しく表情を変化させる。

 理性的に白を切るのが最善と脳内では理解しているが身体は意に反する行動を起こす。


 瞳孔が開き、冷や汗が激しく垂れ、一歩だけ後ろへと後退る仕草が無意識に行われた。

 全身の鳥肌が急速に立ち、筋肉の緊張が高まると同時に心臓の鼓動は加速していく。


 かつて全員の前で醜態を晒す羽目になった王国騎士除名時よりも最悪な絶望感が彼女の内心を蝕んだ。


「君、顔に出やすいね。結構ポンコツ?」


 弄ぶように平然を装うとするコスモの一挙一動を逃すまいと凝視していく。

 自らが手にしている書類へとじっくり目を通すと少しばかり残念そうにバタフライは言葉を紡いだ。

 

「『魔法創造科』の存在は不適切と考え即刻廃止処分を下すのが妥当……ね、これを政府に見せて消してしまおうって算段か」

 

「ど……どうしてそれを!?」


「今日の朝、君が慌てて隠した書類さ、少しだけ覗けたんだよね〜学園関連の書類にしては見たことないモノだなって。君と離れた間にKに調べてもらったら推測通り学園の書類に該当しないと来たもんだ」


(離れた間……あの時かッ!?)


 依頼達成後、不自然にその場から離脱したバタフライの動きをコスモは思い出す。

 不信感を抱いてはいたがバタフライ自身のお気楽な普段の個性がそれ以上の警戒を行う決断を鈍らせた。


 またあの馬鹿が自分勝手に動いて外で昼寝でもしているのだろう。

 脳内で結論付けていたコスモは目の前で行われる行為に意表を突かれる。

 

「盗み出すのは魔法を使えば簡単さ。しかし優秀だね〜Kは。突然の依頼も直ぐにこなしてくれるよあの情報収集オタクはさ」


 全てを見終え書類をその場へと投げ捨てるとジャンバーを羽織り直す。

 よく手入れされた紫のネイルを弄りながら徐々にコスモとの距離を詰め始める。


「ワタシさ、嘘つく奴とか卑劣な奴は嫌いなんだよね、例えそれが親愛なる者でも。いや寧ろ仲良しな奴ほどムカつくかも」


 多くを語らずとも直感的に察する。

 今の彼女から逃げる術はないと。

 内に眠る本能がそう必死に訴えていた。


「答えろ、君の本質は何処にある」


「……本質」


 震える声質でコスモが行う所業。

 それは明確な真実の自白であった。

 

「そうね……私は政府からアンタの事を調査しろと命じられたお国の犬であり裏切り者。まさかあの列車内で出逢うことになるのは流石に予想外だったけど」


 拳を強く握り締めながら諦めた様子でコスモは赤裸々に自身の背景を明かしていく。

 バタフライは驚くことも、怒ることもせずただ淡々と話に耳を傾ける。


「私の目的は『魔法創造科』の正当性を検証すること、その為にここに派遣された。こんな学科どころか……学生なんてなりたくなかったわよ。でも、こうするしかなかった」


 溜まりに溜まりを続け、解き放つことの出来なかった心痛がこれでもかと一気に開放されていく。

 

「私は王国騎士に戻りたいの、その為にはこの任務で成果を上げるしかないッ! ここで成功すれば騎士団長は復帰の進言を約束してくれたわ、もうそれしかないのッ! こんなクソみたいな学科なんていたくないわよ! 騙したのは謝罪する、でも私にだって譲れないモノがある失いたくないものがある! アンタは未来を殺す破壊者よッ! だから私はアンタを潰すッ! 私自身のためにッ!」


 吐かれていく止まらぬ激情。

 是認しかねる環境、人間に囲まれる耐え難い状況下と一つしかない再起への選択肢。

 国家規模の重圧と出し抜かれた事実は怒りを爆発させるには十分だった。

 

 ギリギリで精神を保っていた理性は計画の破綻と共に崩れ去る。


「何で……何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何でッ! アンタのせいで私の希望が崩れたじゃないのッ! 保身と罵るなら罵りなさいよ、人なんて本質では自分のことしか考えてないのよッ!」

 

 毎日念入りに手入れされた銀髪を激しく掻きむしりベレー帽を地面へと叩きつける。

 激しく息を切らしながらコスモは心の底からの全てを吐き出す。


「前にも言ったでしょう……人のため? 正義のため? 平和のため? そんな他人主義になれるほど私は清らかな奴じゃない。全部自分の為よ、他人を助けることも自らを輝かせるための手段にしか思わない卑劣な人間。自分自身が劣っていないんだと証明する為に生きてる。その為に私は王国騎士に成り上がらないといけないのよ!」


 起死回生の策などそう都合好く閃くこともなくやるせない感情からエゴイズムを爆発させる。

 人助けがしたい、誰かの力になりたい、平和を守りたいなどは全て二の次。


 ただ自分自身のために。

 弱者だった自分の過去を覆す為に。

 純粋な反骨心が彼女の原動力となり強者の象徴である王国騎士への執着を強めていた。


「そっか、それが君の本質」     


 襲い掛かる言葉の乱撃にバタフライはただ小さくそう端的な言葉を呟く。


「……学園長に密告でもムカつくなら殴ったり蹴ったりしなさいよ。それを咎める資格は今の私にはない。私刑だろうと受け入れる。王国騎士に戻れるのなら」


「へぇ、本当にいいんだ?」


 鳴り響く首の骨の音。

 気怠そうに一歩一歩近付きながらバタフライは肩を回し始める。

 コスモはできる限り最低限の被害で済むよう強く歯を食いしばった。


 彼女の一撃は怖いほどに重い。

 華奢な腕からは考えられない怪力からなる打撃や蹴撃は人間を無力化させるには十分。

 きっと彼女は酷く憤怒している、歯や鼻が折れるだけで済むのなら万々歳だろう。


 バタフライの驚異を常に近くで見てきたコスモは誰よりも強さを認知している。

 筋肉質の大男も凶暴なモンスターをも簡単に屈伏させる規格外な身体能力。


 王国騎士すらも凌駕するであろう創造魔法と天才的なフィジカルの抱き合わせは無条件で相手を寄付させる効果を持つ。


(当然……酷いことをされて。それ相応の酷いことを私は既にしている。顔面がグチャグチャになろうと奴の怒りを咎める理由にはならない。それが……復活への道)


 迫りくる脅威。

 半殺しにされることは覚悟の上。


 振り上げられた右腕を見てコスモは目を瞑り衝撃に備える。

 殴られても当然、王国騎士に復活出来るのなら死ぬこと以外は掠り傷。


 止まることのない無慈悲な時の中でコスモはこれから起きる悲惨な出来事への恐怖を振り払った。

 

 ポンッ。


「……ん?」


 右肩にかかる軽い負荷。

 暴力を振るったにしては余りに優しすぎる衝撃にコスモは眉を顰める。

 緩やかな意想外に違和感を感じ徐々に瞳を開眼していく。


 光が差し込んでいく視界に映ったのは自身の肩に手を置くバタフライの姿だった。

 

「よ〜く分かった君の熱いモノ。ありがと」


「えっ……?」


 放たれたのは感謝の言葉。

 一言そう述べただけでバタフライは考えられる制裁を下すことはなかった。

 常に自らの予想を裏切る彼女の奇行にコスモは静かに慌てる。

  

「何で……何のつもり」


「ワタシは内に熱いもんある奴は無条件で好きになっちまうんだよ。別にブン殴って何か変わる訳じゃないしさ、正直こういう事も最初から予期してたしね」


「はっ?」


「出る杭は打たれる。それが揺るぎ無く強いモノほど打とうとする金槌も大きくなる。何もかも固められたこの世界なら尚更。国総出で止めに来ることも予想してたよ」


「全部……アンタの予想の範囲内だと?」


「いや隅々までじゃないよ? めっちゃ大雑把に何か起きるだろうねってだ〜け。なんもなかったら逆に怖いわ」


 全て把握済みだと言わんばかりのドヤ顔を披露しバタフライは平常運転を続ける。

 思いっきり空気を吸いながら背伸びを行うと横目でコスモを見つめた。

  

「ワタシは止めない、潰したいのなら好きにすればいい。けどこれだけ言っておく」


 スレンダーな彼女の胸倉を激しく掴む。

 愛嬌の欠片もない真顔からなる上目遣いがコスモの瞳に焼き付いていく。


「後悔はするなよ」


「後……悔……?」


「これから自分が決める未来、絶対に後悔なんてするなよ。君が思う最高の選択を選べ。瀬戸際に悔いは残すな。自分勝手な守護者さん」


 その瞬間、その一瞬だけ常に笑みを浮かべ腹の内が見えない不気味な彼女の本心のようなものをコスモは本能的に感じ取る。

 心臓を握り締める感覚に陥る力強い言葉は否が応でも脳に刻まれていった。


「まっそういうことだからさ。じゃあねコスモちゃん、あっ明日からは別に来なくても大丈夫よ? 無理強いは嫌いだからさ、じゃ」


 掴みかかった制服のシワを正すとバタフライは一方的に別れの言葉を告げていく。


 掛ける言葉は思いつくが喉元を石で詰められたように声が出ない。  

 コスモはまた優雅な背で去っていく後ろ姿をただ見つめることしか出来なかった。

 

 激しく取り散らかった心には「後悔するな」という言葉だけが明確に刻まれる。

  


 

 


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