彼女の事情
「まぶしい」
彼女はそう言って手でひさしを作った。振り向けば沈む太陽がビル群の陰から顔を出し、僕たちのゴンドラにオレンジの陽射しを投げかけていた。上昇する観覧車が日没の速度を少しだけ上回ったのだ。
「こっちくる?」
顔を夕日に照らされて目を細める彼女を見て、僕は隣の席を叩く。
「逆」
それにオレンジに焼けている彼女は笑ってそう言い、
「こっちきてよ」
自分の隣の席をポンポンと叩いた。
「きれいだから」
席を移る。ゴンドラが少し揺れ、ちょっとひやりとするシートに腰を下ろすと赤い夕日が僕の目に刺さった。
斜陽。
光を失い、近づく夜にくすむ空の端で最後に輝く太陽は、じんわりとした熱でそれを眺める僕たちをあたためている。
彼女の匂いがした。
甘い香水の匂い。
夜の匂い。
「確かにきれいだ」
「きれい――」
彼女はソープ嬢をしている。
境遇は僕と大差ない。親に金を頼れなくなれば、自分で稼ぐしかないのは男でも女でも一緒だ。手段もあまり大差ない。
彼女とこうやって行きずりのデートをするぐらい仲良くなったのは、ウリ専の仕事に慣れて経済的な安定を得られた頃だった。
「キミ、夜の仕事始めたでしょ?」
学食で昼飯を食べていたら、彼女にそう話しかけられた。入学の頃に連絡先のSNSアカウントを交換した知人の一人で、いくつかの授業で何度かグループワークをした程度の仲だった。僕が戸惑っていると、彼女は上から下に僕を見て笑った。
「わかるよ。前より服や鞄がきれいになって、顔つきにも余裕が出てるから。あとSNSね。お金の話が減って、かわりにスレた投稿が増えた。そして――」
そうひとつひとつ心当たりのあることを言い当てていく彼女は、最後に僕の手元を指差して微笑んだ。
「お昼ご飯に大盛の牛丼を食べている」
思わず食べていた牛丼に目を落とす。どうやらそういうものらしい。渋々とうなずくと、彼女は肩からかけたブランドもののバッグを叩いて自分もカミングアウトした。
「あたしもソープやってるんだ」
彼女が言うには似たような夜職の仕事をしている学生は多いらしい。
「そういう人たちでグループ作ってるんだ。話せる人がいた方がいいから。ほら、キツいし、こういう仕事。誰にでも話せるヤツじゃないし、こういうの知らない人にバレたら絶対叩かれるし。だから精神的な互助っていうか、愚痴を言い合える相手って欲しいじゃない?」
そう普通のトーンで話す彼女の普段は、社交的で明るく友人も多く、身なりも少し良いものを身に着けているくらいで派手に遊んでいるような様子もなく、授業にも真面目に出席していて、こんな夜の仕事なんかとは無縁の人生を送っているような人間に思っていた。
けれど同じだった。
「コロナでお母さんの仕事なくなっちゃって、そこにおばあちゃんの介護が始まっちゃってさ――」
金がないのも、
「お金なくなると頭おかしくなるよね。進学に必要な学費が期限伸ばしてもらっても足りなくなったときはヤバかった。昼パチンコに夜ガールズバーやってたけどそれでも足りなくて、それで前から声かけてきてたスカウトに相談してさ――」
選べる選択肢も、
「安い店はやっぱり客がねぇー。『こんな仕事してるの親は知ってるの?』とか『こんなオッサンのチンコ洗って楽しいの?』とか散々マウント取りの暴言撒き散らした挙句に『お前は底辺の女だし、金のためならなんでもやるんだろ?』みたいなこと言って本強してくるオッサン客に一日三連チャンで当たった地獄のときは、さすがにメンタルやられたわー」
そのつらさも、
「だからがんばって高級店に移ったんだけど、客層が上がると全然違う。やっぱりお金持ってるお客さんは余裕があって紳士的なのよね。暴言吐かない。乱暴しない。ああいうお金持ちはマウントなんてわざわざ取らなくても自分の価値に自信があるから、お金で買った女にも優しくできるんだろうね。おかげで生活がだいぶ楽になった。お金も、心も」
そして得られるものも。
「まあ、でも変態なんだけどね――」
チンコは金だ。
僕も彼女もチンコの金で生きている。
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