罪華
貝和 吾鋲
1
その少女と初めてあった日の事を諒子は覚えている。
嘲笑う様な快晴の下、一軒家の客間で対面した日の事を。たった5歳であるにも関わらず、この世の影の全てを背負ったような暗さを瞳に湛え、両親という最愛の存在の死という事実をたった一人で受け止めている。
親戚であるという中年男から美也子と紹介されたその子は、諒子の友人の一人娘だった。親の反対を押し切った結婚だったが故に、親族間でたらい回しにされ、その果てに母の良き友人だった__本人が生前にそう言っていたらしい__諒子に順番が回ってきた。
とは言っても諒子はまだ25歳だった。恋人も伴侶もいない上、所得もそこまで多くない。自我は育っているとはいえ、子供を一人でも引き受けるなど無理に等しい話だった。勿論、諒子自身が一番その事実を理解していた。それを理解しているからこそ、美也子を受け入れないときっぱりと断る意思を表明するためにこの家までわざわざ足を運んだのだ。
その筈だったのに、いざ会ってみるとその子は酷く寂しげだった。無理もない。この年の子供が心の寄る辺とする両親を一度に無くすなど、下手したら精神を壊しても可笑しくない。友人も家も失くし、身一つで他人の家々を点々とする。ドラマの様な境遇の少女は無表情で目の前にいる諒子を見つめていた。
諒子は泣きそうだった。美也子に同情したのもある。だが、この小さな子を一人にした世の中の理不尽さに、それを独り身の女に押し付けようとする親戚達の見境の無さに、非情を感じていたのが一番の理由だった。
しかし、それを突っぱねようとする諒子自身も非情だった。だが仕方ない。いきなり子供一人の面倒を見ろなんて、現実的じゃない。
それを免罪符として振りかざし、諒子はこの件を断った。
しかし、諒子は優しい人間だった。いや、甘すぎると言い換えた方がいい。自らと他人の人生を一変させる程に、彼女は甘かった。
「この子は施設行きか……」
男の声がポツリと漏れ聞こえた瞬間、二人分の体が強張った。残酷な事実を決定付けられた美也子と、その引き金を引いた諒子だ。
美也子の顔は見る見る内に青ざめ、縋る様に親戚の男の顔色を窺った。しかし男は意に介さぬ様子で早々と諒子に挨拶をし、力が入らない少女の手を取って立ち上がった。
そして美也子は部屋から出る瞬間、涙を溜めていた目から一粒の雫を流し、諒子の方を向いて、___二人の目が合った。
そして、諒子は震える喉で声を上げる。
「あの___……」
やってしまった。
焼けつくような日照りの下で、諒子は一人後悔する。汗ばんだ右手の中には柔らかく小さな左手があり、その先には小さな少女がこちらを見上げている。
「何であんなこと言ったのよ」
苛立ちを隠すことなく、諒子は一人ごちる。
同情したから衝動で引き取った。
ペットを飼うにしてももっと計画を立ててから引き取るのに、諒子は一人の人間に対してそうしてしまった。はっきり言いきってしまったが故に、__親戚の中年男は細かい手続きは後日にと言っていたし__彼女は後戻りも出来なくなってしまったのだ。児童養護施設に引き渡すことも駄目だし、親に面倒を見てもらうにも家が遠すぎる。馬鹿者だ。全くもっての大馬鹿者だ。
ちらりと小さな手の少女を見やる。すると美也子の方も諒子の顔を窺っていたようで、二人の目は言い訳もできない程に合ってしまった。
「えっと……」
つい先程娘になった少女に、逃げ出したくなるくらいの気まずさを感じていると、何やら美也子の様子がおかしいことに気が付いた。
何も言わないのはずっと変わらないが、持久走でも終えたのかという程に顔は赤くなり、自分が比にならない程汗をかいているのだ。よく見ると目の焦点もぼやけている。
よく考えなくとも、美也子は熱中症になりかけていた。
(ちっちゃいと、身体も弱いんだ)
なんて
当たり前のことを実感した諒子は先程出たばかりの親戚の一軒家に入れてもらい、美也子の容態が改善するまで小一時間休ませてもらった。
その間にクーラーで中を冷やしていた車内に案内すると、親から躾けられていたらしく手慣れた様子で美也子はシートベルトを装着していた。諒子はその様子を一瞥すると、車のエンジンをかける。
「パフェでも食べようか」
近所のファミレスに向かう途中、諒子が発したその言葉は一人の母が娘に向けて初めて発した言葉であり、二人の人生が狂う初日の事だった。
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