第9話 おっぱいをこの手に

 ミルキースは暗闇の中を漂っていた。

 ここはどこだろう?

 自分はいったい何をしているのだろう?

 何か、とても大事なことがあったはずなのに……何も思い出せない。


 ――思い出す必要はないミルキース。そなたは我にすべてを委ねていれば良い。それが一番そなたにとっての幸せなのだ。


 厳かな声が語る。

 違う、と言いたい。

 自分の幸せはこんなことじゃない。

 そう声を大にして言いたいのに、何も言えない。


 あるはずなのに。

 自分にとって一番の幸せは、もっと別に……


(でも、それは、何でしたっけ?)


 何も、思い出せない。

 とても、大切なことだったはずなのに……


 ――……聖女様!


 声が聞こえる。

 厳かな声とは違う、いつまでも、何度でも聞きたくなるような、そんな声。


 ――聖女様! 目を覚まして!


 でも、この声は誰だろう?

 やはり思い出せない。

 自分にとって、特別な人だった気がするのに……。


 ――耳を傾けるなミルキース。ここがそなたにとっての楽園なのだ。だから何も考えなくて良い。


 楽園? こんな何もない真っ暗な世界が?

 違うと言いたい。

 そんなものは望んでいないと言いたい。

 だが、やはり口から声が出てくれない。


(私、は……)


 暗闇に包まれていると、自分が何をこんなに悲しんでいるのかすら、わからなくなっていく。

 肉体の感覚も無くなっていく。


 自分が強く求めていたもの。

 それすらも、わからなくなっていく……。


 でも。


 ちょっとした刺激があれば、思い出せるかもしれない。


 自分が本当に望んでいたことを。


  ◆


 竜の姿となった魔王の影武者の背に乗って、俺は《聖神》のもとへ向かう。


「来るな! 我が聖女に触れるな!」


 振り下ろされる光の槍は剣で薙ぎ払い、航路を作り出す。


「それで聖騎士。ヤツを聖女から切り離す方法はすでにあるのか?」


 翼をはためかせつつ、影武者が尋ねてくる。


「ああ。この光の剣は人間を傷つけない。神だけにダメージを与えるようにできているんだ。まさに《神殺しの剣》ってわけさ」


「そうか。ならば安心して斬れるというわけだな?」


 そのとおりだ。

 いくら《聖神》を倒すためとはいえ、聖女様のカラダを傷つけることはできないからな。


「《神殺しの剣》だと? ……ふふふ……はははははは!」


 俺たちの会話を聞き取ってか、《聖神》はさもおかしそうに高笑いしだす。


「何がおかしい!?」


「我が勝利を確信したからだ! お前たちは永遠に我を倒すことはできない!」


「なに!?」


「人間は傷つけない、神のみ殺す剣……ふふふ、残念だったな! その剣で斬れば器であるミルキースも死ぬぞ!」


「っ!? どういうことだ!?」


「ミルキースは一度、我が《聖神柱》に取り込み、我が憑依するに適した器として再構築した。この身はすでに人でありながら神と同質のものとなっている。……即ちその剣で斬ればミルキースも死ぬということだ!」


「なっ……!」


 そんな!

 聖女様を救うための唯一の手段が!


「おのれ! どこまでも姑息な手を使いおって!」


 影武者が怒りから火のブレスを吐こうとする。


「よせ影武者! 聖女様を傷つける気か!?」


「しかし、このままでは!」


「くっ……」


 どうすればいい!?

 聖女様から《聖神》を切り離す方法は他にないのか!?


「くたばれゴミども! 我とミルキースが生きる美しい世界に貴様らは無用だ!」


「ぐわああああああああ!」


 不意打ちの破壊光が照射される。

 防ぐ間もなく、俺と影武者は墜落する。


 くそっ!

 あと、少しなのに……

 聖女様……


「……聖女様! 頼む! 目を覚ましてくれえええええ!」


 必死の思いで彼女を呼んだ。

 すると……


「…………フェ、イン?」


「っ!?」


 《聖神》とは異なる声が、俺の名を紡いだ。

 これは……聖女様の意識が戻っている!?


  ◆


 フェイン。

 そうだ、フェインだ。

 自分はその名を知っている。

 どこで会ったか?

 そう、教会だ。

 子どもの頃に住んでいた教会で、助けてもらった。

 それから、ずっと自分は彼を……


 彼を、どう思っていたんだっけ?

 もう少し、もう少しで答えにたどり着けるのに。

 いちばん大事なことが思い出せな……


 ――思い出すな! そなたはこの我のことだけを考えてれば良い!


 肝心なところで厳かな声にまた邪魔される。

 ミルキースの意識は再び暗闇の中に沈んでいく。


  ◆


「くぅっ! 我が聖女を誑かすな!」


 変化は一瞬だけだった。

 また《聖神》の意識だけが表に出る。


 くそっ、ダメか!

 だが、こちらの呼びかけに反応することはわかった。

 いまはそれしか手段がない!


「影武者! もう一度飛んでくれ!」


「うむ! 振り落とされるでないぞ!」


 再び竜の背に乗って浮上する。


「聖女様! 俺だ! フェインだ! 頼む、目を覚ましてくれ! 《聖神》の支配から逃れてくれ!」


「ええい! やめろと言っているだろう!」


「俺と一緒に帰ろう! 《聖神》さえ倒せば、もう人間と魔族が争う必要はないんだ!」


 《聖神》の攻撃を躱しつつ、俺は呼び続ける。


 お願いだ聖女様!

 自分を取り戻してくれ!


  ◆


 争う必要はない?

 そうだ。自分はずっとそのために頑張ってきた。

 でも、それだけだったろうか?

 もっと他に強く望んでいることがあったはず。

 それは、とても気持ちの安らぐことだったはず。


 確かそれは……


「んっ……♡」


 気づくと、ミルキースは自らの胸元に手を伸ばしていた。


「はぁ、あっ♡ これ、は……♡」


 忘れていた快感の奔流。

 そうだ、自分はこれをずっと求めていた。

 それも自らの手で与えられるものじゃない。


 そう。彼の手自らで……


  ◆


「ミルキース!? やめろ! それは聖女とは程遠い感情だ! 捨てろ! 捨ててしまえ!」


 《聖神》が錯乱し始めた!

 どうやらお互いの意識が拮抗し合っているようだ。


「ええい! すべて貴様のせいだフェイン・エスプレソン! お前さえいなければミルキースはこんな破廉恥な少女にはならなかったのだ!」


「破廉恥?」


 あの清楚の化身とも言うべき聖女様が?

 いったい何の話を……


「墜ちろ! 墜ちてしまえ! ミルキースを誘惑する悪魔めがああああ!」


「うわああああああ!」


 広範囲による破壊光で視界が奪われる。

 防ぐ間もなく、また墜落してしまう。


「……フェ、イン……」


「っ!?」


 まただ。

 また一瞬、聖女様の意識が戻った!


「私、は……」


 聖女様、あと少しであなたに届くのに。

 だが視界は光に遮られて何も見えない!

 何も……


 いや? なんだ?

 何か、見えてきたぞ?

 こことは違う、別の光景が……


 そこは古びた教会。

 幼い少女が懸命に水運びをしている。

 小さなカラダで、老いた神父のお手伝いをしている。


 これは、まさか……聖女様の記憶?


 質素ながらも平和な暮らしを送る彼女。

 だがある日、教会は異国の騎士に襲われる。

 これは、俺にも覚えがある。

 そうだ、初陣で俺は教会の女の子を助けたんだ。

 まさか……あの女の子が聖女様!?


『フェイン・エスプレソン様かぁ……お話してみたいなぁ……』


 若き騎士に助けられた少女は、その少年に思いを馳せている。

 じゃあ本当に、聖女様は、俺のことを?

 こんな小さな頃から?

 俺はずっと、忘れていたのに。

 聖女様があの女の子だと気づかなかったのに。


 やがて景色は聖都へと切り替わる。

 聖女として覚醒した彼女は、多くの人々に迎えられる。

 だが、彼女の瞳は、ひとりの男に向いていた。


『また、会えるなんて……』


 そこまで。

 そこまで彼女を俺を……


『んっ♡ フェイン♡ あっ♡』


 んうううううううううううう!?


 今度は神殿の光景。

 いつも聖女様が祈りを捧げる神聖な場所。

 そこで聖女様は、なんと、なんと……


『あうぅ……いけないのに、止まらないよぉ……はああぁんフェイィィン♡』


 ご自分でご自分のおっぱいを!?

 しかも俺の名前を呼びながら!?

 こ、これはまさかあああああああああああああああ!?






「フェイン! しっかりするんだ!」


「はっ!?」


 目が覚めると、俺は焼け焦げた大地に横たわっていた。

 傍らでは、リィムが影武者と俺に癒しの魔術を施してくれている。


「大丈夫かい!? 傷はすでにぼくが回復させたけど気分は!?」


「最悪だ! いいところだったのに!」


「は?」


「あ、いや……」


 あの光景……。

 きっと聖女様の記憶だったと思うのだが……でも、あれも本当にあったことなのか?

 俺の願望ではなく?

 だとしたら、俺たちは……。


「フェイン。どうやら彼女の意識を取り戻させるには、もはや君の言葉じゃないと無理なようだね」


「どうも、そうらしい。だが……」


 あと少しというところで《聖神》の邪魔が入ってしまう。

 くそっ、聖女様の意識を完全に目覚めさせるにはどうすれば……

 いったいどんな言葉をかけてやればいいんだ!


「……ねえ、フェイン。君がいま戦っているのは何のため?」


「え?」


「世界を救うため? 聖都の住人を守るため? ぼくらのため? あの子を救うため?」


「そんなのぜんぶに決まって……」


「いいや。君の目的はもっとシンプルなものだったはずだよ」


「っ!?」


 そうだ。それらの目的は副次的なものに過ぎない。

 俺の本当の望みは……


「上辺の言葉だけじゃ、きっと彼女の心に響かない。だからフェイン。君自身の言葉で語りかけるんだ。君の心の赴くままに。それがきっと、君にチカラを与えてくれる。彼女も、きっと君の本音を望んでいると思う」


 俺の心の赴くままに……

 そうだ。忘れてはならなかった。

 俺が一番やりたかったこと。

 それをやるとしたら……


「……影武者、もう一度飛んでくれるか?」


「無論」


「ありがとうリィム。おかげで俺のやるべきことがはっきりした」


「それはよかった。結界は引き続きぼくが維持する。だから安心して彼女のもとへ行ってあげて」


 おう。

 今度こそ取り戻すんだ、聖女様を。


  ◆


 足りない。

 こんなものじゃ足りない。

 もっと刺激が欲しい。

 やはり自分の手ではダメなのだ。


 欲しい。

 彼の手が。

 欲しい。

 彼の言葉が。

 欲しい。

 彼の愛が。


 求めてほしい。

 自分を強く、深く、荒々しく、貪欲に……。


 でも、そんなことは起こりえないとわかっている。

 敬虔な彼は自分を聖女としてしか見ていない。

 そもそも、彼は一度だって自分を名前で呼んでさえくれなかったのだから……


 ――ミルキース!


(っ!?)


 呼ばなかった、はず……


  ◆


 天高く轟くように、俺は叫ぶ。


「ミルキース!」


 ずっと呼びたかった、その名前を。


「ミルキース! 俺は君が好きだ! 優しい君が好きだ! 花を育てている君の横顔が好きだ! 猫とじゃれつきながら頬を緩ませている君が好きだ! 怒ったときプクって頬を膨らませて拗ねる君が好きだ! よくける君が好きだ! こっそりと鼻歌を歌っている君が好きだ! 初めて見るものを前に目をキラキラさせる君が好きだ! 実は豆が苦手なところが好きだ!」


 せき止めていたものが溢れるように、彼女への思いが口からどんどん出てくる。


「好きだ! 大好きなんだ! 君なしの人生なんてもう考えられない! 愛しているんだ! だから……」


 万感の思いを込めて、いまこそ宣言する。


「君の乳を揉みたい!」


 揉みたい……揉みたい……と言葉が空にコダマする。


「……な、何を言い出すのだ貴様は? 気でも狂ったか?」


 《聖神》が訝しげな表情で俺を見る。

 だが関係ない。

 俺が見ているのは、もはやミルキースという少女、ただひとりだけなのだから!


「ずっと揉みたかった! 君のデカ乳を! ずっとずっと我慢してたんだ! もう本当になんなのそのおっぱい!? 俺を誘っているのか!? 誘っているよな!? 毎日まいにちプルンプルンたゆんたゆんバルンバルン揺らしやがって! どれだけお世話になったことか! ありがとうございます! でも妄想だけじゃもう我慢できない! 揉みたいんだ! 直に! 自分の手で! 君のそのおっぱいを! 心ゆくまで揉みしだきたいんだ! ああ! 揉みたい! 揉んで揉みまくりたい! おっぱいおっぱいおっぱい万歳! 大好きな君のおっぱいを揉んで揉んで揉んで揉みまくりたいんだあああああああああああああああ!!」


 シーン、と空気が静まっていく。

 《聖神》だけでなく、俺を背に乗せる影武者も、地上にいるリィムと魔王軍たちも、真顔になっているのがわかる。


「……そりゃ素直になれとは言ったけど……うん、いろいろと凄い男だよ君ってやつは……」


 そんなリィムの呟きが聞こえた気がした。


「ふん。どうやら本当に気が触れたらしいなフェイン・エスプレソン。そんな下劣な言葉でこのミルキースの心を動かせるとでも……うっ!」


 《聖神》が頭を抱えだす。


「バ、バカな……揺れ動いているというのか、あんな言葉で? よせ、ミルキース! 静まれっ! あ、ありえん! こんなことは……ぐあああああああああああああああっ!!」


 絶叫と同時にミルキースのカラダから光が漏れ出る。

 現れたのは光の結晶体。


 ――な、なんということだ……自力で我を切り離しただと!?


 厳かな声は結晶体から漏れた。

 あれが《聖神》の本体か!

 ということは……


「……しい」


 少女の頬から流れ落ちるのは涙。


「嬉しい、です……」


 冷酷な表情はもうそこにはない。

 俺の知る、彼女の笑顔がそこにはあった。


「嬉しいです、フェイン! 私も……私もあなたが好きです! ずっと、ずっと昔から、大好きなんです!」


「ミルキース!」


「フェイン!」


 互いに手を伸ばし合う。

 だが……


 ――我が聖女に触れるなああああああ!!


「ぐっ!?」


 あとちょっとで手が届きそうだったのに、またしても光の障壁で邪魔される。

 くそっ、そんな状態になってもまだ小細工ができるのか!

 しぶといヤツめ!


 ――渡さん! ミルキースは我のものだ!


「きゃああああっ!」


「ミルキース!?」


 光り輝く触手状のものがミルキースの肉体に巻き付く。


 ――もう一度聖神柱に取り込んでくれる! 二度と貴様を思い出せないように徹底的に記憶を弄ってやる!


「いや! 助けてフェイン!」


 まずい!


「追ってくれ影武者! このままじゃまたミルキースが!」


「おうとも! というか貴様、いい加減に余を『影武者』と呼ぶのヤメロ! 地味に気にしているのだぞ!」


「こんなときに何言ってんだ!? 名前知らねーんだからしょうがねえだろ!」


「ならば名乗ろう! いいか余の名は……ぐわああああああああああああ!!」


「影武者あああああ!?」


 光の弾丸で翼をもげられた影武者が墜落していく。


 ――ふはははは! 人間ごときが我が君臨する天に昇るなどおこがましいわ! 翼を治癒したところでもう間に合わん! ミルキースが生まれ変わる瞬間を指をくわえて見ているがいい!


「そんな……フェイイイイイン!」


 確かにいまから体制を立て直していたら間に合わない!

 くそっ、こんなとき、俺に翼があれば!


 ――さあ新生のときだミルキース! ……ふむ、しかし、その下品にデカイ胸部は我が理想の聖女にふさわしくないな。ついでだ、次に肉体を再構築する際に、その膨らみは消しておこう。


「っ!?」


 いま、ヤツは何と言った?


「……ろ」


 光の触手が食い込んだミルキースのおっぱい。

 いまにも触手から零れ出そうな大ボリュームのおっぱい。

 見るだけでも柔らかさが充分に伝わってきそうな生白いムチムチのおっぱい。

 それをヤツは……


「やめろおおおお!」


 そのおっぱいは!

 お前が好きにしていいものじゃない!


「そのおっぱいは……俺のモノだああああああああああああああああああ!!」


 ――なっ!? バカな!?


 気づけば俺は天に向かって飛翔していた。

 背中にはいつのまにか光の翼が生えている。


 ……そうか。

 これこそがリィムのチカラ。

 俺が望んだチカラが、そのまま顕現するのか!


「ミルキース! いま行くぞ!」


「フェイン!」


「その乳の素晴らしさもわからんヤツなんかに、ミルキースは渡さない!」


「フェイン……はい! 私はフェインのものです! ずっと昔から決めていました! 身も心もぜんぶあなたに! ……も、もちろん……お、おっぱいもです!」


「うおおおおおお! おっぱあああああいぃぃぃ!」


「来てフェイン!」


 おっぱいにかける思い……それが俺のチカラを何十倍にも増幅させる!


「おおおおおおおおっぱあああああああああああいぃぃ!」


 雄叫びと共に疾走。

 光そのものとなった俺は《聖神》の障壁もあっさりと貫き、拘束をも切断する。

 そして……






「……はううううううううぅぅぅンンンン♡」


 空に響き渡る、なんともなやましい少女の嬌声。


 ……掴んだ。

 ……ついに。

 いま俺は……









 おっぱいを、この手にしているううううううう!!







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