第二章

◇第六話:初めての死

「ぇぐっ……ごぽ…………」


 ぐしゃり。ぐしゃり。人気のない森の中、水気を多分に含んだ咀嚼音が響いている。

 音の発生源には、巨大な獣と、樹木を枕に横たわる茶髪の少女。しかし、胸より下はがらんどう、内臓のほとんどは欠落し、背骨から骨盤までもが空気に曝されている。


ぐしゃり。ぐしゃり。


「ぅ………………ぉ゙ゔっ……」


 最早少女の意識は現世にあらず。腹腔内をかき回され、内臓を捕食されることへのわずかな反射として、少女の喉、血に塗れた口部より、声ともつかない音が漏れる。


 ぐしゃり。ぐしゃり。


 ぐしゃり。ぐしゃり。


 未だ、少女の死は遠く。



    ◇◇◇


 翌日のログイン。昨日のログアウト時と変わらない、リスポーン地点の宿の部屋が視界に映る。昨夜吐瀉物で汚してしまったシーツは、真っ白な、最初とまるで変わらないものに変わっていた。


「ふむ……今日はフィールドマップで素材集めかな。とりあえず肉は手に入ったから、野菜とか調味料が欲しいなぁ。ID内は採取スポットなんてないだろうし……。適当に草原で探す? あるいは森フィールドに行く? うーん」


 部屋の中をうろうろと歩き、思考をまとめていく。しかし、森と草原、どちらがいいかはこの場では判断が付かない。仕方なく、インベントリからゲーム内通貨である100メノー銀貨を取り出した。


「表なら草原、裏なら森ー。ほいっと……森! ……フィールドの東の方だっけ。とりあえず門まで行こっと」


 ファストトラベル機能で、街の出入り口、東方の門までワープする。


「さぁー、何分で行けるかな?」


 そうして、シヅキは遠くに見える森林地帯へ一直線に駆け出した。



    ◇◇◇


「とうちゃーく! タイムは5分と……ちょっと! まあまあかな」


 程なくして、2.5kmほど離れた森林フィールドへ辿り着いた。今まで通ってきたのが見晴らしの良い草原フィールドだったのもあり、鬱蒼とした、閉鎖的な雰囲気を強く感じ、シヅキは少し緊張感を抱いた。


「……主目的は野菜とハーブ! あとポット用の薬草も欲しいかな。なんかめちゃくちゃ美味い肉を落とす牛がいるらしいけど、だいぶ強いらしいし。倒せそうなら倒す、無理そうなら逃げるって方針で行こう」


 言いながらも、光点とそこから立ち上る細い光柱で表現された採取ポイントへ近づく。顔を巡らせると、森の中にも複数の光柱が見えた。採取場所には困らなさそうだ。


「はじめての採取はーっ……薬草かぁ。 ま、ゲーム的な需要を考えるなら、野菜よりこっちの落ちる確率の方が高そうだよね」


□□□□□□□□□□

低級薬草

素材アイテム(等級:Ⅰ)

回復薬の原料となる薬草。何故かさわやかな香りがする。


所持数:3

□□□□□□□□□□


「次のポイントは……、あそこかな」


 草原とは違い、プレイヤーの姿をまったく見かけない森の中。シヅキは各所に点在する採取ポイントを巡る。時折植物や虫の姿をしたエネミーが襲い掛かってくるが、大した敵ではない。適当に蹴散らし、より採取ポイントの多い森の奥へと進んでいく。



    ◇◇◇


「うーん……例のフィールドボスは見当たらないな……? まだ湧いてないのかな。どうせなら軽く当ててみて、敵うかどうかを測りたいんだけども」


 事前の想定とは異なり採取では野菜の類はほとんど拾えていないが、その代わり一部の植物型モンスターが野菜をドロップしている。もう何度か森を往復すれば、ある程度まとまった数になりそうだ。


 引き続き採取ポイント巡り兼野菜狩りをして、暫く。


「おっ? 首筋にビリビリ来る感覚……。この古典的な第六感表現は……フィールドボスが湧い────」


『ブモオオオォォ!』


 言い終わる前に鳴り響く、怒りを孕んだ鳴き声。


「おやご立腹。というかずいぶんと近くに湧いたねぇ、適当に森を巡って来ちゃったけど、かえって都合が良かったか。それともそういう仕様かな?」


 ばきばきと樹木が折れる音が鳴り、黒い毛皮に大きな白い角、赤いたてがみをもった牛が姿を現した。その体高は目測で3mほどだろうか。


「……デカすぎない? そりゃあ多人数で殴るフィールドボスなんだから多少・・大きいだろうなとは思っていたけども」


 言いながらも、先手を取って、高い位置にある顔へ血の刃を飛ばす。しかし、表示名『憤怒の巨牛』はぐねりと首を巡らせ、顔への攻撃を避けた。刃が当たりこそしたが、HPゲージが減ったようには見えない。

 しかし効果は覿面、憤怒の巨牛は怒り狂った雄叫びを上げシヅキに向かってまっすぐに突進してきた。


「これだけデカいとそれだけで凶悪だなぁ!? うわっちち」


 斜め前方へ飛び込むようにして突進を躱す。振り返ると、突進の勢いを保ったまま、曲線を描きふたたびこちらへ向かってくる巨牛の姿。


「こりゃ無理だ! 撤退!!」


 どう考えても産廃ビルド一人でどうこうできる相手ではない。すばやく側方に駆け抜け再度突進を回避、そのまま背を向け逃走を試み────視界が暗転。

 気が付いたときには、空を見上げる形で地面に倒れていた。


「ぁ……ぇ? けほっ……」


 身体に走る激痛。その熱とは裏腹に、下肢は冷めきったようで、まるで感覚がない。足に力を籠めるが、まったく動く様子はなく、この状況で機動力を失ったことに強い恐怖を抱く。


「ぐ……ぃぎっ!」


 ふと脳裏をよぎったのは、以前掲示板で見かけた『初見殺し』行動のこと。突進は確かに躱したはずだが、事実として自身は攻撃を受け、こうして地に伏せている。

 このまま倒れていても状況は悪化するだけだ。シヅキは痛みを堪え、無理矢理上半身を起こそうとしたが、ほとんど動かず手が空を切った。

 視界の端に大きな影。怒りを鎮めた巨牛の目は、まるで獲物を見るようで──


「ひ……いやっやだ! わたしはまだ……ぐぅっ!?」


 どうにか逃れようと後ずさる。近づいてきた巨牛、その大きな足に両足を踏まれ、ぱきりと音が鳴った。にも拘わらず痛みはなく、それが更にシヅキの恐怖心を掻き立てる。


「やっ……いや! 助け──あ゙っ!?」


 滑らかな腹部に、本来牛が持ち得ないはずの尖った牙が突き立てられる。咀嚼音。たった一噛みで腹膜まで達し、内臓がこぼれ出る。咀嚼音。内臓が欠け、腹腔内が血で染まった。咀嚼音。


「ああ゙ぁ゙ぁあ゙! がっ! ぁ…………あ゙っ!」


 あまりの激痛と失血に、意識を失う。咀嚼音。痛みによって意識が覚醒する。咀嚼音。


「ゔっ! ……ぇぐっ……ごぽ…………」


 口から血が溢れ出、首元までが真っ赤に染まった。既に内臓のほとんどが欠け、背骨が空気に曝されている。咀嚼音。


「ぅ………………ぉ゙ゔっ……」


 絶え間ない激痛により、シヅキの意識が混濁する。咀嚼音。僅かな反射として、口から洩れる声ともつかない濁った音。


 咀嚼音。

 咀嚼音。

 咀嚼音。


「……ぁ゙…………」


 捕食され続け、暫く。ついにシヅキのHPが底を突き、リスポーン処理が行われる。獲物が突然消えた巨牛は怒りの咆哮を上げ、森へと消えていった。



    ◇◇◇


「──ぅあ……?」


 目を開くと、天上に据え付けられたランプの明かりが目に映った。どうやら宿へ戻されたらしい。


「あっ……うっ……おえぇぇぇ……!」


 先ほどまでの痛苦から逃れた安堵感と、巨牛の凶行に対する恐怖心。相反する感情に心がぐちゃぐちゃになり、こみあがってきた吐き気を耐えることもできず、嘔吐した。


「う、うっ……」


 結局、その日は宿のベッドから動けず。

 なんとか気力を取り戻したときには、既に日が暮れていた。ログアウト処理を実行する。



    ◇◇◇


「はぁ……はぁっ……はぁっ…………!」


 現実空間、洗面台の前。紫条皐月は、鏡に映った自身の顔を確認する。

 そこに好意的な感情などはなく、ただただ憔悴し、衰弱した少女の姿だけがあった。

 ──指で口の端を持ち上げ、弧を描かせる。無理矢理にでも笑い、自身の感情を装飾する。


「ふ、ふ……。嬉しい……うれしいな……。そう、これは、喜びの感情だ……。けっして、恐怖なんか・・・・・じゃ……うっ、おえぇ……」


 恐怖に怯え、それでもなお不敵に笑わんとする、歪な少女の姿がそこにあった。


──────────

Tips

『セーフティ機能』VRデバイス標準システム

 使用中になんらかの理由で意識に異常が発生、または意識が長時間途絶した場合、強制的にデバイスの動作を終了させる機能がVR機器には標準搭載されている。

 通常、安全基準として法令で定められたこの機能は、無効化が不可能な仕様となっている。だが、CFWによっては、これを設定で無効化することが可能な場合がある。


 紫条皐月はこの機能を無効化している。

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お待たせしました、第二章です。

(何事もなければ)毎日19時に1話ずつ、順次投稿される予定です。

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