「友達」の話(上)
『やっほータマちゃーん。おひさ~』
……そんな電話がかかって来たのは、翌日に休みを控えた金曜日の夜。
晩ご飯もお風呂も歯磨きまで済まし、お布団でぐっすり眠りに落ちたその直後の事だった。
「……あに、誰」
快眠を邪魔された事に、思ったより低い声が出た。
時計を見るとまだ十二時は越えてなかったけど、メッセージはともかく通話はちょっと躊躇するような時間帯。
「こんな時間にかけてくんなやボケ」と強めの雰囲気を出したつもりだったが、相手は全く気にせず暢気に続ける。
『一緒にあんな恐怖体験したのに覚えてないのお……? あ、もしかしておねむ?』
「そうだよ、ねむいよぉ……」
『ありゃ、ごめんねぇ。中学生ならまだ起きてると思ったからさー』
申し訳なさを感じるものの、どこか空々しくもある女の声だ。
声の言う通りどこか聞き覚えがある気がしたが、寝ぼけ頭が上手く回らない。
発信元を確認していなかった事を思い出しスマホの画面を見てみたが、そこに映るのは今時珍しい公衆電話の文字。誰かまでは分からなかった。
何だっけ。この声、どこで聞いたんだったかな……。
『……色々、決心着いたから。だから、その日の内にって思って』
「んー……だから誰だって――、っ」
そうしてのろのろと声と記憶を照らし合わせていると――やがてぴたりと合致する顔が浮かび、眠気がどこかへ吹き飛んだ。
そして反射的に身が起き上がり、ベッド横の戸棚を見る。
正確には、そこに置かれた私の物ではないスマホを。
「……はぁぁぁ」
……何が「誰だ」だ。ボケは私だボケ。
襲い来る様々な感情を溜息で抑え込みつつ、改めてスマホの向こうの彼女へと向き直る。
「――……あんた、黒髪女か?」
『えー、ワタシの事そんな風に呼んでたのお?』
少し前、私をそれはそれは面倒くさい厄介事に巻き込んでくれた迷惑女――。
私が黒髪女と呼ぶ彼女が、スピーカー越しにわざとらしく唇を尖らせた。
*
多くの犠牲者を出したあのカラオケボックス(偽)での出来事から、ゴールデンウィークを挟んでおよそ二週間弱。
『親』曰く、あれからずっと家に引き籠っているという黒髪女の声は、思ったよりも元気そうなものだった。
『改めまして久しぶり~……えーっと、あの時のケガとか大丈夫……?』
「……別に、大した事ない。ちょっとした擦り傷で、もう治った」
『そうなんだ、良かったぁ……で、えっとね、何で電話したか分かっていうと、そのぉ――』
「――スマホ、返せってんだろ」
どこか殊勝な様子の黒髪女に敢えてそう被せ、またベッド横の戸棚に目を向ける。
そこにある黒髪女のスマホは、あの日に没収したままだ。
本当はさっさと返却なりなんなりをしたかったのだが、その機会がまるで無かったのだ。
初対面時にしていた連絡先の交換も、向こうのスマホが私の手にあるのだからほぼ無意味。
他のアクションも一切無くどうする事も出来ず、結果的に私が保管し続けていた。
『え? あー……うん、それもあるんだけど……』
「言っとくけど、借りパクするつもりとか無いからな。こっちも『親』に頼んで直接あんたの家に届けさせようとかしてたのに、反応ナシで困ってたんだ」
『……そういえば誰か来てたけど、無視ったかも。住所教えてないのに怖いんだぁ』
「どの口で言ってんの……」
というかあんたの家の周り、たぶんもっと怖い事になってるぞ。監視的な意味で。
……いや、そもそもこの女、事の次第とか自分が『親』に見張られてる事とか、どこまで分かってるんだ?
その軽い言葉尻からは何も捉えられず、どの程度喋っていいのか若干迷った。
ともあれ、こうして連絡が取れたという事は、ようやくスマホを返せる時が来た訳だ。
黒髪女が自分のスマホに連絡してくる事も考えて電源入れっぱなしだったから、たまに通知が鳴ってて落ち着かなかったんだ。肩の荷が下り、少しばかりホッとする。
「あんただってこれ無くて不便だったろ。また『親』に届けるよう頼むから、今度こそ無視すんなよな」
『……そうねぇ……ううん』
手早く用件を済ませて電話を切ろうとしたのだが、黒髪女は言い辛そうにしたままハッキリしない。
叱られる寸前の子供のような、恐る恐るとした雰囲気。
……私は深い溜息を吐き出しつつ、仕方なしにこちらから切り出してやった。
「……あのさ、もし私に謝りたいとかお詫びしたいとかだったら、そういうのいらないからな」
『え……』
呆気にとられたような声が返るが、本心である。
やっぱり私は、この女を嫌いになり切れていないのだ。
「そりゃ反省しろやこのクソ女とくらいは思ってるよ。でも、あのピアス男達にした事とか、後悔も何もしてないだろ、あんた」
『うん、全然。あの人らは勿論、あの人らの家族にも謝る気、ないよ』
そう答える黒髪女の声には、揺らぎはほとんど見られなかった。
引き籠っていた間に、そう折り合いをつけたのだろう。当時の吐きそうになりながら笑っていた姿を思い出し、鼻を鳴らす。
「じゃあ謝られても滑ってくだけじゃん。巻き込まれたのは正直ムカついてるけど、そもそも私が言えた義理じゃねーし。今みたいな雰囲気出してんならそれでいいよもう」
『……やっぱりガラ悪いね、タマちゃん』
「うるさいな。とにかく、もうあんたにめんどくさい事されるのはウンザリなんだ。パパっとスマホ返して、それでおしまいで済ませたいんだよ」
『…………』
バッサリ言い放つと、黒髪女は少しの間押し黙る。
その内にやがて小さく息を吐く音が聞こえ、どこか固い声で話し出した。
『……じゃあ、もう、色々前置きとかご機嫌取りとか抜いて言っちゃうけど』
「うん。……うん?」
……前置き? ご機嫌取り?
あれ、何か私が思ってた流れと違うっぽくない?
なんとなく嫌な予感がしたが、私が何かを言う前に黒髪女は続けた。
『――明日さ、お休みだったらちょっと会わない? お願いしたい事、あるんだぁ』
ぷち。
即座に通話を切ったものの、すぐにまたコール音が鳴り響く。
……黒髪女、何か殊勝な雰囲気だったから会話が通じるモードだと勘違いしてたけど、どうやら通じないモードの方だったらしい。
「もー……何なんだよあの女マジでさぁー……」
そう嘆けども、彼女をブロックする気になれない自分にも腹が立つ。
スマホが煩く鳴り続ける中、私のか細い呻き声が延々と天井へ吸い込まれていった。
*
翌日。
結局私は黒髪女の呼び出しに応じ、渋々待ち合わせ場所に向かっていた。
何せ相手は、目的のためなら文字通り何でもヤるであろう女である。
ここで断ったら、後々何をしでかすか分かったもんじゃない。だったら最初から気構えを持って相対した方が幾分かマシだと思ったのだ。
……何より、今の黒髪女は何人もの『親』が見張っている。
万が一彼女が良からぬ事を企んでいようとも、どうにかなる状況にある……と思うんだけど、どうだろう。早まったかな。うーん。
「――あっ。お~いタマちゃ~ん!」
「っげ……」
色々と考え込むうちに待ち合わせ場所の公園に着くと、明るい声がかけられた。
呻き声と共に嫌々目をやれば、そこには笑顔で手を振る黒髪女の姿が見えた。
電話の時に感じた印象そのまま元気そうで、前のような濁った眼もしていない。最近まで引き籠ってたとは思えない溌剌さだ。
「…………」
そしてその背後には、物陰から隠れてこちらに視線を向ける鉄面皮があった。
黒髪女を張っている『親』の身体の一つだろう。
おいコイツ大丈夫なんだろうなという視線を送れば、静かな頷きが一つ。安心出来ねー。
「や~、来てくれてありがとうねぇ。正直、断られるだろうなって思ってたからさぁ」
「実際断ってんだよこっちは。なのにしつこく何度も何度も……」
断られると分かった上で頼み倒してくんのが一番タチ悪いよな。
ブチブチと呟くものの、こうしてこの場に来てしまった以上は言ってても仕方ない。
私はもう何度目かも分からない溜息を吐くと、朗らかな笑みを浮かべる黒髪女を半眼で睨んだ。
「……で、何の用。私、さっさとスマホ返して帰りてーんだけど」
「あー……うん……と、ねぇ」
そうして雑に話を促せば、途端に黒髪女の歯切れが悪くなる。
暫くそのまま何かを迷うように口籠り続け、いい加減焦れた私がもう一度強めに促そうとした時――いきなり、彼女の頭が深々と下げられた。
「――前の事。色々酷い事をして、申し訳ありませんでした。そして、助けてくれて本当にありがとうございました」
黒髪がさらりと揺れ落ち、隠れていた藍色のイヤリングを覗かせる。
突然のその言葉を上手く吞み込めなかった私は、ぱちくりと目を瞬かせ……暫く後にようやっと意味を理解し、眉間に深くシワを寄せた。
「……そういうのいらないって、昨日言ったよな」
「うん……でもやっぱり、しておかなくちゃって思うから」
黒髪女はそう言って顔を上げ、濁りの無い瞳で私を見つめる。
「謝るのもそうだけど……あのビルから逃げる時、タマちゃんが最後に助けてくれなかったら、ワタシは全然知らない人に殺されちゃってた事になる。そんなの絶対許されない事だから、キミには本当に感謝してるの」
「……友達相手だったら、いいの?」
「いいよ。だから、あの時そうなろうとしたの」
「……、……」
私に言える事は何も無く、黙り込む。
……例のビルに潜み、ピアス男達を惨殺した『何か』。
黒髪女はそれに敢えて殺されようとしていたけど、それは『何か』を亡くなった友達だと勘違いしていたからだ。
もしその勘違いのまま死んでいたら――きっと、黒髪女も救われないものになってたんだろうな。そう思った。
「今日タマちゃんに会いたかったのも、それなんだぁ。本当はどうなのか、確かめたくって」
「……?」
ふっと硬かった雰囲気が崩れ、黒髪女の語尾が間延びしたものに戻る。
……本当はどうって、何が?
察しの悪い私に、黒髪女はそっと目を伏せ、それを告げた。
「あの子が――ワタシの友達が本当に居るのかどうか、一緒に探して欲しいの」
自殺した友人が、本当に幽霊となっているかもしれない――。
どうも黒髪女は、カラオケボックスで『何か』に遭遇するまで、その可能性については意識の外にあったようだった。
それをもとに作った嘘で私を釣ったクセにと思わんでも無かったが、まぁ仕方あるまい。
以前にあったバスの件はどっちかと言えば現象に近いものだったし、霊のジャンルが実在しているという実感が薄かったのだろう。
かつての私もそうだったから、気持ちはよく分かった。
「前さ、あの子の幽霊を探して色々回ったって言ったじゃん? それ全部、嘘なんだぁ」
「や、知ってっけど……」
「本当はそんな事してなくて、先輩らをやり込める準備ばっかりしてて……あの子が幽霊になってるかもとか、全然考えてもいなかった。ひどいね」
「……そういうの視えないんなら、そうなるのも当たり前なんじゃないの」
投げやりに返せば、黒髪女は小さな苦笑を零す。
……慰めには、ならなかったみたいだ。
「でも、カラオケであんなの見ちゃったら思っちゃうよね。あれは違う人だったけど、本当に、あの子の幽霊もどこかにいるのかも……とかさ」
「……そんで、私が一緒に探せって?」
「うん。だってワタシだけじゃ、例えあの子が居ても見つける事が出来ないから……」
そう語る彼女の笑顔は、私には酷く寂しげなものに見えた。
それを演技だと決めつけるのは簡単だけど、なんとなく、そう思うのは嫌だった。
「もちろん、タダでなんて言わないよ。何だって言う事聞くし、ワタシが持ってるものも、命以外は全部あげる。ブランドの服とかバッグとか、あと高校の時からバイトしてたから、お金もそこそこ貯まってるよお」
「いらねーよそんなの……てか命は……」
言いかけて、やめた。
彼女が自分の命をどう扱うのかなんて、今更だ。
「……探すって、どうするつもりだよ」
「今度こそ本当に、思い出の場所を回るの。もちろん、あのビルにはもう行かないけど」
「…………」
こっそりと『親』の方を見る。
今の話も聞こえていた筈だが、変わらず物陰からこちらの様子を窺うだけで、口を挟んでくる気配はない。
「ね、ね、お願い。ついてきて、居るか居ないかを教えて。それで、もしどこかにあの子が居たのなら……」
黒髪女はそこで言葉を切り、じっと私を見つめてくる。
……居たのなら、何だよ。最後まで言えよ。
そう思ったけど、まぁ本当に彼女の友達がどこかに居たとして、どうするのか、どうなるのかは彼女自身にも分からないんだろう。
だって、視えず、聞こえず、感じられもしないっていうのは、そういう事だから。
「……はぁ~~~」
私は溜息とも呻きともつかない息を吐き出して、頭をぐしゃぐしゃとかき回す。
正直、すごく面倒で、イヤだった。
イヤだった……けれど、
「……何か危なそうだったらすぐ帰るからな、私」
「――! ありがとタマちゃ――ふぎゃ」
感極まったように馴れ馴れしく抱き着こうとする黒髪女に、アイアンクローを決めて接近拒否。
近寄らせると危ないからなこいつ。スタンガンとか。
「いたいよお、ひどいよお」嘘くさく悶える黒髪女をぺいっと放り捨てながら、私は最後に一度だけ、特大の溜息を吐き出したのだった。
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