「友達」の話(中)




『で、何で僕まで呼びつけるんだい』



 うごうご。

 メモ紙の中で黒いインクが這いずり回り、そんな文章を形作った。



『そこらへんに君の親御さんが居るんなら、僕を呼ぶ意味なくないかな。それもわざわざインクまで使って。緊急事態かと焦っちゃったよ』


「それは悪かったけどさ……あの女まわりについては、あんただって関係者だろ。前にだって『僕にも責任がある』的な事言ってたじゃんか」


『……まぁ、それはそうなんだが』



 蠢くインク――インク瓶はそう文字を変えると、紙の上を滑りとある方向へ視線をやるように移動する。

 少し離れたそこには手持ち無沙汰に立つ黒髪女の姿があり、じーっと私の様子を窺っていた。



 ――黒髪女の友達探しに付き合うと決めた、少し後。

 思い出の場所巡りに出発するその前に、私は準備と称してインク瓶への連絡と説明を行っていた。



 彼に言った通り、関係者として一応話をしておいた方が良いと思った事もある。

 だが本命はそれでなく、単純にオカルト面の助言というか助けというか、そういったものが欲しかったからだ。



『……仕方ないな。それで、僕に何をして欲しいんだい。君らのデートに付き合えばいいのか?』


「デート言うなや……そうじゃなくて、ちょっと聞きたい事あるっていうか……」


『煮え切らないね。つまり?』


「や、あのさー……あいつが幽霊見えるようにとか、出来る方法ない?」



 無論、黒髪女の事である。


 すると案の定、インク瓶はトン、トンと神経質そうなリズムでメモ紙を揺らし始めた。

 むっすりと組んだ腕を人差し指で叩いている姿が目に浮かぶようだ。



『……それ、意味分かって言ってるかい?』


「幽霊だけじゃなく、オカルト全般に目を付けられやすくなるから危険だってんだろ? それくらいは身に染みて分かってる。それでもさ……なんなら声だけとか、そういうのでも、その……」



 と、そこまで言ってはみたものの、言葉尻が先細らざるを得ない。

 そのままついには黙り込み、気まずい沈黙が流れる事、暫し。



『……方法、まぁ無い事も無いよ』


「えっ」



 やがて紙に浮き出たその返答に、思わず声を上げてしまった。



「え、あ、あるの……っていうか、いいの? こういうの、絶対ダメって言うと思ってたのに……」


『オススメはしないさ。でも君の言う通り、僕には彼女に情報を与えてしまった責任があるからね。可能な範囲であれば、多少の協力は、』


「――ほんとう?」


「うひゃっ!?」



 いきなり肩口から黒髪女が顔を出し、私は思わず飛び上がる。

 いつの間にやら忍び寄り、私とインク瓶のやり取りをこっそり盗み見ていたようだ。抜け目ねぇなほんとに。



「ねぇ、それってワタシもタマちゃんみたいに視える人になれるって事? あの子も視えるようになれるの? ねぇ、メモの人」


『……一時的に、僅かな時間だけだ。永続的な霊視能力を与えるつもりは無いよ。そうなると明確に君を害する行為になってしまうからね』



 突然の横入りにもインク瓶は動じず、静かにそう文を紡ぐ。

 それを呼んだ黒髪女は少し考えるように押し黙ったけど、すぐにしっかりと頷いた。



「きっと、十分だと思います。ありがとうございます」


『言っておくが、それをするにも君の言う「あの子」が見つかったらの話だ。その霊魂が見つからなった場合、僕は何もしないから、そのつもりで』


「……はい」


(やっぱ私が付き合わなくちゃならんのは変わらんか……)



 そんな真面目なやり取りの横で、ウンザリと呟く。


 黒髪女が霊視能力を持つのならば、彼女一人で物事が完結すると思ったのだが、そう上手くもいかないらしい。

 少なくとも、黒髪女の友達を見つけるまでは付き合わなければならない。まぁ元よりそうするつもりではあったけど、一瞬離脱出来るかもと考えてしまった分、少しだけ肩が落ちた。



「……あれ、どしたのガックリしちゃって。大切なとこはキミが頼りなんだから、元気出してよお」


「…………、そうだ今スマホ返すわ。おら」


「え? きゃっ、わ、ありが――」



 するとインク瓶との話が終わった黒髪女が大変個人的な理由で励ましてくれたので、お礼に預かっていたスマホを投げつけておく。

 反射的にそれを受け止めた黒髪女は、慌てつつも礼を言い――すぐにその頬を引きつらせた。



「あの……スマホの裏、なんか戦隊? のシールでベタベタになってるんですけどぉ……」



 知るかよ元からだろ。

 素気無く返せば、黒髪女は「んもー!」と珍しく苛立った様子でシールをカリカリ剥がし始める。


 粘着質の端をちまちま剥いてく、じれったい音。

 今日初めて、ちょっとだけいい気分になった私であった。わはは。







「あ、そういえばメモの人に自己紹介とかした方が良いかな? ええと、クロユリ トキミっていいます。クロとトキは同じ字で当て字というか――」


「そこらへん、たぶんもうソイツ知ってると思う。つーか口頭じゃ伝わんねーだろそれ」



 街中。

 公園を出発した私と黒髪女は、住宅街のエリアへと続く橋を歩いていた。


 目的地は黒髪女の友達……『あの子』の自宅だ。

 といってもアパート暮らしであり、本人死亡により部屋も既に引き払っているとの事だったが、本当に幽霊になっているのであればそこに居る可能性はあるとの事だった。


 ……そこで全部済めば、私としては楽なんだけどな――そう願いつつ、私の持つメモ帳を眺めている黒髪女を見やり、



「……あの子さぁ、家族とそんな仲良しじゃなかったんだよねぇ」


「え?」



 突然、黒髪女が呟いた。

 いきなり何だよ。訝し気な目になれば、どことなく苦笑混じりの視線が返る。



「ご両親が割とリアリストらしくてねぇ。夢見がちなあの子とは、色々ちょーっと合わないっぽかったんだぁ」


「……まぁなんとなく分かるけどさ、そういうの」



 ちらと、何気ない顔で少し離れた所を歩く『親』を見た。合わんね。



「だから高校卒業したら家出るって息巻いてて、ワタシと一緒にバイトしてお金貯めて……卒業後すぐにアパート借りてたんだ。実家からそんな離れてなかったけど」


「ふぅん……」


「……でも結局、一ヶ月も出来なかったんだねぇ、一人暮らし。我が世の春だ我が城だーって喜んでたのに」


「…………」



『あの子』が自殺したのが四月中、大学に入ってすぐだったのであれば、そういう事になるのだろう。

 顔も見た事が無い相手とはいえ、どうにもやるせなさが沸き上がり、黒髪女から目を逸らした。


 それきり会話は続かず、私達はただ黙々と歩き続け……やがて、住宅街の中でもアパートが密集している区画へと辿り着く。

 そのまま黒髪女の後を追う事数分、とある一棟のアパートの前で足を止めた。



「……ここ?」


「そ、元・あの子の城」



 五階建てで多少大きくはあるが、何の変哲もない小綺麗なアパートだ。

 壁も屋根も新築のそれに近く、幽霊が出そうとか、そういった雰囲気は微塵も無かった。



「三階の、あの部屋。背格好は明るめの茶髪で、タマちゃんより少し大きいくらい。どお?」


「……見える範囲には、居ない。流石に部屋の中とかは分かんないけど……」


「そっか、じゃあちょっと上がってみよ」



 そう言うなり黒髪女はさっさとアパートに入り、階段を上がって行ってしまった。

 あまりの自然さに一瞬呆けたが、すぐにハッとし追いかける。



「お、おい! いいのかよ、そんな勝手に……!」


「まだ空き部屋みたいだし、ちょっとくらいなら平気平気。鍵もあるしね」



 黒髪女はそう言って、ポケットから小さな鍵を取り出した。合鍵だ。

 おそらく生前の『あの子』にでも渡されていたのだろうが、そういうのって管理会社とかに返さないとダメなもんじゃないのか。


 しかし黒髪女は微塵も躊躇する様子は無く、さっさと三階まで上がると目的の部屋を開け放ってしまった。

 そしておろおろとしている私の手を引き、共に室内を覗き込む。



「……どう?」


「……やっぱ居ない、かな」



 家具の無い、がらんどうのワンルーム。

 キッチン、リビング、バルコニーと、玄関から見える範囲に幽霊っぽいヤツの姿は無かった。


 黒髪女に促され、バスルームや洗面所、クローゼットも覗いたけれど、やっぱり何も見当たらない。ただの空き部屋だ。



「……うん、やっぱ何も無い。だから誰かに見つかんない内に出よう?」


「…………」



 一通り調べ終えた私はそう呼びかけたが、黒髪女からの返事は無かった。

 リビングの入り口に立ち、空っぽの部屋をただぼうっと眺めている。


 何してんだ――とは、言えなかった。


 合鍵を持っているという事は、きっと何度か遊びに来ても居た筈で、ひょっとしたらお泊まり会みたいなのもしていたかもしれない。

 だからきっと、この部屋は黒髪女にとっても特別な場所だった筈なのだ。

 ……今はもう、何も無くなっているけれど。



「……ああ、くそ」



 まぁ、少しくらいは浸らせてやってもいい。

 私は部屋に近付いて来る気配が無いか玄関へ気を配りつつ、静かに待った。



「――……」



 何も無い部屋。

 広く、寂しさのあるそこを眺め佇む彼女は、その美貌もあって相当に画になっていた。


 彼女が少し身を揺らす度、その綺麗な黒髪も艶やかに流れていく。その隙間から、小さな藍色のイヤリングがちらりと見えた。


 ……ああいう綺麗な黒髪見ると、やっぱ羨ましくなるよなぁ。

 私は自らの真っ白な髪を摘まみ上げ、溜息ひとつ。そのまま黒髪女をじっとりと眺め続けて、



「っ、……?」



 ――ほんの一瞬、その耳元に何かが見えた。ような気がした。


 咄嗟に焦点を合わせるも既に消えており、それが何かは分からなかった。

 分からなかったが、しかし――。



「……指?」



 そう、指。指だったと思う。


 藍色のイヤリングを撫でるように、黒髪の隙間から伸びた、指。

 言葉にするなら、そのようなものではなかったか。



(…………)



 ……確信は持てない。

 見間違いと言われれば、否定する事も出来ない。んだ、けれど。



「……ぁ、ごめんねぇ。色々思い出して、ちょっとぼーっとしちゃってたぁ。ここにあの子が居ないんならしょーがないし、次の所に……あれ、どしたん」


「……いや……」



 我に返り、にこやかさを取り繕って話しかけて来た黒髪女に、上手くそれを伝える事が出来ず。

 そうしてまごつく私の目に、黒に埋もれる藍の輝きがちらついていた。


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