「眼」の話(下)
■
『――見つけて欲しかったけど、見られるのも見るのも嫌だったんだろうね』
自室。
スマホ越し、今回の件に関する長い説教を乗り越えた私に、インク瓶はそう言った。
「……えっと、何の話?」
『あのビルの中、君達を追いかけていた「何か」の話さ。あれから少し調べて、分かった事が幾つかあった』
顛末含めて聞くかい、色々。
あからさまに気が進まなさそうなその問いかけに、少し迷う。
彼がこのような声音の時は、大体が子供に聞かせたくない類の話をしようとしている時だ。
私としても今回の発端が発端である以上、それなりに生臭い話であろうことは予想がつく。
とはいえ、既に黒髪女からあらましを聞いている身でもある。
言ってみれば今更な話な訳で、ここまで来て中途半端に終わるのも気持ち悪い。私は特に怖気付く事も無く、「うん」と小さく頷いた。
――あのビルでの一件から、今日で二日が過ぎていた。
私はあれからすぐ『親』によって病院に無理矢理担ぎ込まれ、最後の一幕で負った傷の治療を受ける事となった。
傷と言っても、精々がちょっと酷い擦り傷と打撲くらいだ。他に大きな怪我も無く、取り越し苦労も良いとこである。
なのに安静にしてろと部屋に押し込めてきたりして、おかげで生き残りの黒髪女やアゴ男とは別れを交わす事無くそれっきり。
助けに来てくれていた髭擦くんも突然呼ばれただけで事態を把握していた訳では無かったようで、「俺も説明欲しいんだが……」と白目に困惑の二文字を浮かべていた。
つまり私は、あの後どうなったのか、本当は何が起きていたのか、ついでに黒髪女たちの処遇その他ほとんどをまだ知る事が出来ていないのだ。
一応、『親』から問題は無くなったとだけ雑に聞いてはいるけれど――。
とりあえずそう口火を切ってみると、インク瓶は小さく鼻を鳴らし、渋々といった様子で語り始めた。
『ふん……じゃあ最初からひとつずつ話そうか。まず君達が使っていたカラオケボックスの事なんだけどね、デタラメだったよ』
「……? ってーと?」
『無許可というか、正規の店じゃなかったんだ。防音設備を見る限り、元はカラオケ店ではあったんだろうけど……今はその設備を勝手に使って取り繕った、個人的なパーティ会場――実態としては、そんな感じになっていたようだ』
インク瓶はふんわり言ってくれたが、それの意味する所は私でも察せられた。
つまりあそこは、根っこからピアス男達が作り上げた『巣』だったという事だ。
最低な事実に一瞬だけ怒りが燃え上がったけど、あのエレベーターの中を思い出し、吐き気と共にすぐ鎮火する。
ヤツらは既に、手痛いどこじゃないしっぺ返しを受けている。
『彼らの通う大学OBに、件のビルの所有者を縁に持つ人が居たみたいだ。そいつがこっそり無断で使い始めたのが全ての始まりのようだね。そしてタチの悪い事に、あのビルを使っての色々は半ば伝統と化していたらしい』
「……あそこ使ってたの、あいつらだけじゃなかったって事?」
『中々いい造りだったし、まだ電気も通っていたからね。ずっと悪いグループの遊び場になってたんだろうさ。彼らの大学内では、盗んだビルの鍵が悪い学生達の間でひっそりと受け継がれ続け……今世代の継承者が、今回死んだあの四人という訳だ』
「ヤな慣習……」
辟易とする私にインク瓶は苦笑いのようなものを落とすと、僅かに声を固くした。
『これまでも、あそこじゃ色々やらかされていたんだろう。あの四人だけじゃなく、その前の世代の学生達も、似たような犯罪を隠れてやっていたようだ』
「……何か証拠とか見つかったの?」
『君が最初に例の「何か」を見たっていう、二階の部屋があったろう。あそこから、四人分の遺体が見つかった』
……少しだけ、息が止まった。
あの時の『何か』の行動から、私も殺されたピアス男達の死骸はその部屋に運ばれているだろうとは予想していた。
とはいえ実際にそうだったと断言されると、やはりビビるものがあった。
……でも、今の話と何の関係があるんだ。
私は怪訝な顔で首を傾げ――ふと、違和感に気が付いた。
「……あれ、四人? 確かツーブロ男は……」
そうだ、確か彼の死体は例の部屋に放り込まれる事は無く、私達が脱出した一階のガラス窓に引きずられて来ていた筈だ。
運ばれたのは、タバコ女、店員、ピアス男の三人。例の部屋にあったという死体と数が合わない。
いや、あの後『何か』がツーブロ男の死体を持って行ったのなら、辻褄は合うけども……。
「……私が『親』に病院へ連れてかれた後、あの『何か』ってどうにかなったんだよね?」
『ああ。すぐに新しい親御さんの身体が来て、アレにわざと殺されたと聞いた。君達が脱出した事で、封鎖も解けていたようだからね』
聞けば、あの封鎖は私達の存在が『何か』に気取られた事で発生した事象であるそうだ。
つまり最初に私が見かけた時、振り向かれかけたあの時点で既にクローズドサークルになっていた可能性が高いとの事。
脱出の際は、そこを髭擦くんのステルス体質で突いて僅かな穴を空けたらしい。意味分からん。
ともあれ、『親』が死んだのであれば、あいつを殺した『何か』もかつての唇の時のように消えてしまった筈だ。
ツーブロ男を運ぶ間など、ある訳もなく。
「……じゃあ誰だったんだよ、その死体。増えてるの……」
『分かってると思うけど、三人分はあの時殺された大学生達だ。状態は酷い物だったが、まず間違いない。だが増えてるもう一つは、女性のもののようだが完全に身元不明なんだよね』
「えぇ……? あ、私達の前にもここに来て、『何か』に殺された人が居たとか?」
『いや、そういう訳でも無いようだ。何せその遺体は干からびて、ほぼミイラ化していたから』
「み……」
予想外の単語に変な声が出た。
……ミイラって、あの木の乃の伊って書くアレ?
『あの部屋には冷蔵庫があってね、その中に詰め込まれていた。荷物は無く、衣服もボロボロで手がかりは無かった』
「……か、完全に殺人の死体隠しじゃん……。それを前の世代の大学生がやってたって……?」
『さあね。だけど、他に容疑者は居ないだろう?』
色々と耐性のある私といえど、流石にそれはゾッとする。そうして腕に出来た鳥肌を擦っていると、インク瓶の声のトーンが少し下がった。
『……大学生達の遺体は、みんなその冷蔵庫の前に置かれていたよ。それも、目玉のくり貫かれた顔を向けるようにしてね』
「め、目玉……?」
思い返せば、確かに殺された彼らの血だまりには、どれも潰れた目玉があった気がする。
私としては、惨殺された際に偶然そうなったものと思っていたが……意図を持って、くり貫いていた?
「……もしかしてさ。それが、あんたが最初に言ってたヤツ? 見つけて欲しいけど、見るのも見られるのもイヤっての……」
おずおずと問いかける。
『何か』の行っていた、目撃した人間の惨殺と、二階の部屋への運搬。
そして今しがた聞いた部屋の様子に、隠されたままミイラとなった誰かの話。
ひとつひとつはバラバラで意味が分からないけど、インク瓶の言葉で繋げば、うっすらと画が見えてくる。
……そしてそれは、非常に気分の悪いものだ。
本当かどうかも分からないけど、ただただ不快な想像ばかりが幾つも膨らみ、腹の奥底が泡立った。
するとそんな私の感情を読み取ったのか、スマホの向こうでまた鼻が鳴る。
『ふん、何度も言うけど、こういったものは僕の推測が多分に混じっている。これこそが真実なんだと決めつけるのはよしてくれ』
「……や、そう言ってもさ……」
『僕はこれでもオカルトライターだから、下世話な作り話も得意なんだ。だからあんまり深く受け止めるもんじゃ無いんだよ』
「……ん」
その声は内容の割に意外にも柔らかく、こちらを案ずるようなものだった。
……何となく気恥ずかしくなった私は、軽く咳払いをして他の気になっている事へと話を変えた。
「……な、なぁ、結局黒髪女はどうなったの。無事なんでしょ、あの人」
最後の最後、どうにか助ける事が出来たあの女。
一応連絡先の交換をしているが、彼女のスマホは私がとりあげたまんまなので意味が無いのだ。
早いとこ返しとかないと。ベッド横の戸棚に置きっぱなしのスマホに目が行った。
「あの『何か』が友達じゃなかったんならさ、もう殺されようってか、死のうとはしてないよね? その……後追い、みたいなのは……」
『無事だよ。ショックが大きかったのか、それともまだ気持ちの整理がついていないのか。自分の家に引き籠っているようだが、生きてはいるらしい。監視に近い事をしている君の親御さんから聞いた話だから、確かだろう』
「……そ」
ほう、と別に意味の無い息を吐く。
いや、せっかく助けたのに自殺とかそういうのされたら、骨折り損のくたびれ儲けっていうか、スマホだって借りパクになっちゃうしな。それだけなんだよ、ほんとに。
……でも、『親』のヤツらが見張ってるのか。
「……これから何かされんの、あいつ」
『いいや。あのビルで彼女がやった事は到底褒められたもんじゃ無いが、明確な罪と言うには動き方が弱すぎる。まぁ君にした事に関しては別だから、君が訴え出れば何しらはあるかもしれないが』
「しねーよ、そんなめんどいの」
今も色々納得いってない部分はあるし、脅されたりもしたけど、もう今更だ。
無事に帰れた事だし、蒸し返して責め立てる気にもなれない。そう伝えれば、インク瓶は『だろうね』と頷きひとつ。
『とはいえ君の言うオカルト絡みである以上、それを利用した形になる彼女を完全に放っておくのも難しい。結果的に、彼女はそれで目的を果たした訳だからね。暫くはこのまま君の親御さんが張り付いて、オカルトに魅入られていないかどうかの注意を続ける事にはなるんじゃないか』
「うっげ……」
私の『親』は、この街のどこにでも居る。
そんなのにまだまだ付き纏われ続けるなど、想像するだに気持ち悪い。これだけは黒髪女に心底同情した。
『ああ、ちなみにアゴの長い彼の方だけど、最初から最後まで何一つ分かってないようだったから、放置になったよ』
「あそう」
自分でも驚くほど平坦な声が出た。
まぁそんなもんだ、あのアゴは。
『……ま、とりあえずはこんなところかな。他に何かあるかい?』
「ん~……」
そう聞かれたけど、ぱっとは思い浮かばなかった。
……なんだかインク瓶の説教よりも数段疲れた気がする。私は細く長く息を吐き、ベッドに背中から倒れ込んだ。
「…………」
『無いようだね。じゃあお疲れのようだし、このあたりでお開きにしようか』
「ん…………まぁ、あんがとね。ほんとに」
最後に一言だけ、ぽつりと呟く。
今回もまた、説明と同時に助けてくれた事も含んだ礼だ。
どうせ前と同じく見透かした忍び笑いが返るんだろうと思ったが、今回は逆にどこか気まずげな唸りが返った。なんでだよ。
『……今回君が巻き込まれたのは、例のバスの時にした会話が発端でもあるからね。お礼はちょっと受け取り難い部分があるんだけどな』
「いや説教しといて今更じゃん。つーかそんなのお互い様だし、別にいいよ受け取っとけよ返品不可でーす」
私は返事を聞く事なく通話を切った。変な所で真面目なヤツで困るネ!
……まぁ確かに、あの時インク瓶が私の体質について口にしなければ、黒髪女は何も知らないまま、私を巻き込みに来る事も無かっただろう。
だがあの時の私は、私自身についての説明が必要な状態であったのも確かだった。
じゃなきゃ、きっと余計な事して死んでいた。
「……あー、やめやめ」
疲れてるせいか、ヤな事ばっか思い出す。
私は頭を振ってその記憶達を散らしつつ、夕飯時まで昼寝でもしていようと毛布にもぞもぞ潜り込み、
――コン、コン。
「……どーぞ」
ノックが響いた。
まぁ自分の家に居る以上、誰が相手かなんて聞かなくても分かる。
ぶっきらぼうに返事をすればドアが開き、予想通り『親』の鉄面皮が浮いていた。
「電話は終わったようだな」
「……まさか部屋の前でタイミング図ってたの? キッッッショ」
さっきのやり取りを聞かれていたという事もそうだが、ビルで倉庫部屋に閉じ込められた時の事を思い出し鳥肌が立つ。
しかし『親』は特に気にした様子もなく、私の部屋に足を踏み入れ後ろ手でドアを閉めた。
……何となく、鉄面皮が険しくなっているような。
「……な、なんだよ。部屋入ってくんなよ、ちょっ、」
「これまで、我々にはお前を咎める資格は無いと思っていた」
「は?」
『親』は私の文句をスルーして、訥々と語り始めた。
いや、何の話だよ。
「お前が産まれてからこちら、ほんの数か月前まで我々は一言の会話すらもして来なかった。お前の呼びかけにも一切応えず、ただ衣食住を提供するのみ。そこに、親と子は居なかった」
「うん……まぁ、その通りだけども……いやだから突然何なん」
「だが、今回はそういう訳にはいかない。お前が親であれと言い、我々がそうであるとしたのであれば、例えその資格がなくとも説教をしなければなるまい」
「……説教? あんたが?」
はん、と思わず鼻で笑ってしまったが、『親』はやはり無感情の瞳でこちらを見る。
そして、床の一点を指差して、
「――そこに座りなさい。中学生の身空で大学生と合コンに行った件について、我々ちょっと話あるから。親として」
「……………………あい」
そりゃそうだ。
沸き上がりかけていた反発心が、音を立ててしぼんでいく。
いやまぁ、無理やり連れてかれたとはいえ、私もそれはどうかと思ってた事なワケで。
納得いかないって不満よりも、理解が勝っちゃうワケで……。
故に、甘んじて。
私はしわしわの顔でそっと床に正座し、本日二度目の説教を頂戴したのであった。
……黒髪女のスマホ、こっそり変なシールとか貼ってやろうかな、もう。
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