「顔」の話(中②)
*
翌日の朝。私は少し早めに家を出た。
目的地は昨日髭擦くんと出会った橋の上。
朝にあそこで会ったという事は、きっと私と同じく彼にとっての通学路でもある筈なのだ。
ならばそこで待っていれば、彼はその内やって来る。一番早く接触が出来る場だと、そう踏んだ。
……だけど、ここでも間が悪かった。
「っ……ぐ」
朝起きてからこちら、前日に感じたものと同じ酷い眩暈が付き纏っていたのである。
それも今度は収まる事も無く、ずーっとだ。
おかげでまともに歩けず牛歩の進み。根性で何とか橋まで辿り着いたものの、その頃には昨日髭擦くんと会った時間を過ぎていた。
当然彼を待ち構える事も出来ず、早めに家を出た意味も無し。むしろ遅刻を心配するレベルだった。
「あーもー、何でこんなんなってんの……?」
這う這うの体で橋の欄干にもたれかかり、目をぎゅっと抑えて深呼吸。
そうする内に気分の悪さはマシになったが、代わりに苛立ちが湧いた。
「……ふー……」
とはいえ地団駄を踏んでも始まらない。最後に深く息を吐き、顎元の目から手を外す。
ゆっくりと瞼を開き地面を見上げるけど、眩暈はあまり感じなかった。
そう、動かない分にはまぁまぁ平気なのだ。でも一つ足を踏み出せば――。
「っとと、と……!!」
ぐらりとバランスを崩し、慌ててまた欄干にしがみ付く。
こんなんじゃ学校に行くのも……とは思うが、かといって家で寝ててもしょうがない。
むしろ動かなければ更に状況は悪くなる。オカルトとは、『異常』とはそういうものだと、私は痛みをもって知っているのだ。
とにかく、今は髭擦くんだ。私や手すりや壁を伝い、学校へと無理やり身体を引きずった。
当然、そんな私の様子は周囲の目を引いていた。
学校へと向かう途中じろじろと幾つもの視線が注がれるが、残念ながら手を差し伸べてくれるような親切な人は居ない。みんなこっそり見てくるだけ。
「くそ……そんな気になるんなら誰か助けろっつーの……」
ブチブチと言ってはみるが、慣れた事ではあった。
突き刺さり続ける視線にうんざりと嘆息を落とし、人目を避ける裏道に身体を滑り込ませた。
少し遠回りとなってしまうが、このまま目立ち続けるよりはまだマシだった。
人が三人並べるかどうかの狭い道。
女の子が一人で通るには不安が煽られるような薄暗道だけど、左右の塀が近い分、今の私にとっては歩みやすくはあった。
触れれば粉の付く脆そうな石塀に身を擦り、のたのたと進む。
押し付ける頬の鼻先が擦れ、少し痛い。
とはいえ、今は我慢するしかないのが辛いところだ。
私は擦り傷にならない事を祈りながら、ひりひりとする鼻先を擦り、
「…………」
頬にある、鼻先を擦り、
「……………………」
鼻先を、頬の、
「………………………………」
立ち止まる。
知らず止まっていた息を吸い込み、吐き出す。
その吐息は額から流れ、前髪をふわりと揺らした。
「……はっ、はっ、はっ……」
息が乱れ、腹の底が冷えて行く。
ああ、分かった。
分かってしまった。
今、どうなっているのか。
「……っ」
覚束ない手つきで手鏡を取り出し、開く。
酷い震えと視界の異常で上手く覗き込めなかったけど、鏡はハッキリと私を映し出していた。
蜘蛛糸のようにキラキラ光るまっさらな髪、くすみ一つ無い白い肌。
それは変わらない。
だけど、だけどそれ以外、が。
「――ひ」
悲鳴を上げた。
でもその声は顔の上、額の部分から飛び出していた。
小さく啜った鼻の音は右頬から、うっすら浮かぶ涙は顎から滲む。
とち狂っている。けれど、そうなのだ。
間違えようもなく。疑いようもなく。どうしようもなく――私の顔は、ぐちゃぐちゃになっていた。
「な、んっ、だよ、これぇ……!!」
顔に手を這わせても、掌越しの感触は変わらない。
額に口。
頬に鼻。
顎に眼球が二つ。
失敗した福笑いみたいにパーツ配置がでたらめで、そのおぞましさに強い吐き気が込み上げる。
なんで、どうして。
ぐるぐると回り始めた視界の中、がくりと膝から力が抜けて、
「――あはぁ」
瞬間、耳元で誰かが笑った。
粘着質な、糸を引いたようなその笑みに、私は掠れた悲鳴を上げる。
しかしそれが響いたのは額からじゃなく、顔の真ん中。
反射的にまた鏡を見れば、額にあった筈の口がずるずると滑り落ちていた。
「――ッ!!」
恐怖。咄嗟に手で押し留めたが、止まらない。
いや、口だけではなく目や鼻もだ。
粘液のように波打つ肌を掻き分け、とろりと流れ。私の顔をもっとぐちゃぐちゃに変えていく――。
(わ、私ッ、どうなって……ッ!!)
『異常』だ。それは分かる。
でも何がどうして、いつからこんな事になっているのか、元凶以外の何もかもが分からない。
いや、もう考えている暇なんてない。
こうしている間にも私の目鼻口は流れ続け、ついには顔の外へ零れ落ちそうにさえなっていた。
焦った私は意地を捨てインク瓶に助けを求めようとしたが、しかし両手は今にも流れ落ちそうな目鼻口を抑えるために塞がっている
これではスマホは勿論、緊急連絡用の小瓶も使えない。血の気の引く音が、鼓膜の内側で鮮やかに響いた。
……もし。もしも、私の顔が外に出てしまったら。
目も鼻も口も地面に落ちて、のっぺらぼうになってしまったら――私はどうなる?
(……ヤバイ、ヤバイヤバイヤバイ……!!)
とろり。
肌が一層大きく波打ち、目鼻口を強く外へと押し流す。
慌てて抑え直すけど、粘つく肌がよく滑り、指の隙間から右の眼球がはみ出した。
血管と神経がきちんと通り、問題なく景色を映す生きた眼球。
同じくはみ出た左の眼球でそれを直視し、堪らず嘔吐く。
「っんで、こんなんで、見えるんだよぉ……!」
涙も泣き言も異常な場所から吐き出され、更に気分が悪くなる。
どうしよう。どうすればいい。
そう焦る間にも私の顔は流れ続け、ついには私一人の両手だけじゃ抑えきれなくなって、
「――あ」
どろり、とろり。
とうとう指の隙間を目玉が二つ通り抜けた。
糸を引きながら宙へ放り出されたそれらが、私の顔面を映す。
溶け落ち、爛れ。どんな表情を浮かべているのかすらも分からない程ぐちゃぐちゃになった、おぞましい顔。
――こんなじゃもう、美少女だなんて言えないなぁ。
ゆっくりと遠のいていくそれを見ながら、私はただ――ごめんねとだけ呟いた。
「――お、おおぉぉぉぉッ!」
瞬間、野太い叫び声が轟いた。
同時に落ち切る寸前だった目玉が掬い上げられ、「んぶっ」顔面にべちゃりと押し付けられる。
粘液の肌が跳ね、目玉が顔面に深く埋め直された。
そうしてぐるりと回った視界の中に、彼が居た。
「ひ、髭擦くん――むぐっ!?」
「おおおおい! 顔、そっ、目、いや顔大丈夫なのか!? ど、どういう状況なんだこれはッ!?」
驚愕のまま問いかけたが、髭擦くんも髭擦くんでとても混乱しているようだった。
白目の中で小さな黒目を回しつつ、掌で掬ってくれた目玉を私の顔へ力任せに押し付けている。
助けられている事には違いないのだが、そろそろ反った首が折れそうだ。
私は彼の手をバシバシと叩き、力を緩めるよう求めた。
「うお、す、すまん! だがこれっ、べ、べちゃって! 顔がもっと酷い事にッ!!」
「いいよもうぐちゃぐちゃなんだからっ、というか何でここに居んの……!?」
「探してたんだ! 昨日帰ってからお前が教室まで来たと友達からあって、やっぱり大変な事になってたんじゃないかと思って!」
どうやら、私と同じく登校時を狙って遭遇しようとしていたらしい。それですれ違いになっていては世話が無いが。
いや、それよりも。
「――って事はやっぱりあんた、昨日の時点で私がどうなってたか分かってたんだな!?」
「分からない筈が無いだろう!? 今ほどじゃないが、あんなにぐちゃぐちゃだったのに!」
「バチクソ視えてんじゃん!? 言えや!!! その場で!!!」
やっぱり髭擦くんはオカルトを視認できる人間だったようだ。それも、私以上にハッキリと。
私が同類だと分からなかった以上何も言わなかったのは理解できるが、堪らず文句が口をつく。
「今そんな事言ってる場合か!? それよりこれ、目ェ!! どうすれば良いんだ!?」
髭擦くんも怒鳴り返しつつ、掌から零れかけた目玉を抑え直す。
肌の塩味が強く染み入り、喉奥で悲鳴が詰まった。
「っ……スマホ! 私のスマホ取って!」
「はぁ!? 何でそんっ、ああいや、どこだ!?」
「右のポケット! そしたら、ら、られれれれ、れ」
「うおっ!?」
大声で緩んだ肌が大きく震え、今度は口が滑り落ちた。
またも髭擦くんが抑え込んでくれたけど、そのおかげで彼の片手も塞がった。
私のと合わせて四本の腕で抑える事でようやく留められている、溶けた顔。
どれか一本でも欠ければ何かしらのパーツが地に落ちる事は明らかで、これでは元の木阿弥だ。
「お、おい! かなりまずいんじゃないのか、これっ!?」
「れ……るぇ、ぅりゅ」
もう舌もろくに回らなくなっていた。
指示も出せず、ただ焦りだけが募る。
どうする。
どうしよう。
どうしたら――。
そして今度こそどうにもならないと心が折れかけたその時――ざり、と。
私の後ろから、誰かが近付いて来る音がした。
「やはり、悪運が強いな。お前は」
その物言いに、見なくても誰か分かった。私の『親』の一人だ。
反射的に顔が歪むも、今の状態では意味は無く。対して髭擦くんは大人の出現に喜色を浮かべ、私の肩越しに助けを求めた。
「あの、すいません! この子の服からスマホを取り出してくれませんか! 右のポケットにあるみたいなんだが、今俺達っ、手が離せないというか……!!」
「……ふむ、まぁ、問題ないだろう」
「え? あ、あの?」
しかし『親』はまるで髭擦くんを無視するように呟くと、それでいて彼の顔をじろじろと見つめながら言葉を続ける。
「これは、美しい顔を求めているようだ。現状においては、そこに居る我々の子供の顔を欲している」
「こど……?」
戸惑う髭擦くんを他所に、『親』は私の目に映るように回り込む。
私とは似ても似つかない、黒髪黒目の若い女性。
相当に整った彼女の顔にやはり表情は無く、何の感情も読み取れなかった。
「お前の容姿はよく目立つ。当然、嫉妬や羨望もよく集まるのだろう。きっかけとしてはそんなもの。分かるか。自分の顔が嫌いなくせに、自分の顔をひけらかし過ぎなんだ、お前は」
その苦言とも言える言葉に、私は反論するつもりは無かった。
そして、後悔や反省の類も。
全ては分かってやっている事。
どんなに嫌いだとしても、私はこの容姿を精一杯誇って、自慢してやらなければならない。あの昏く寂しい洞の中、そう約束したのだ。
『親』は少しの間私の零れかけの眼球を見つめていたが、やがて後ろめたさのひとつも無い事が伝わったのだろう。
「まぁいい……」と呆れたように溜息を落とすと、おろおろと口を挟みあぐねていた髭擦くんへまた目を向けた。
「とりあえず、君には礼を言うべきだろう。君の存在があったおかげで、大分やりやすくなった」
「はぁ?」
「いい。今は理解しない方が容易い」
髭擦くんを完全に置いてきぼりにして、話は進む。
『親』は私達を見つめたまま、ゆっくりと後ろ足に離れ、
「ひとつ聞くが――今この場において、最も美しい顔はどれだと思う?」
――その問いが放たれた瞬間、私の顔の崩壊が止まった。
粘つくペーストになっていた肌が凝固し、零れかけの眼球や口がぴたりと留まる。
……恐る恐ると手を外しても、顔は落ちなかった。
「……な、何の話だ?」
だけど髭擦くんはそれに気付かず、私の顔に掌を押し付けたまま首を傾げた。
「この身体と、君と、我々の子。この場で一番整っている顔は、どれだろうか」
「はっ!? い、いや今はそんな事言ってる場合じゃないだろう!? 視えてるんだろう、あんた!」
「この件はこれで終わる。答えなさい」
有無を言わさぬ物言いに、髭擦くんは小さくたじろいだ。
そして整った『親』の顔を見て、ぐちゃぐちゃの私の顔を見て、そして白目の自分を顧みるようにぎゅっと目を瞑った後、彼はヤケクソ気味に怒鳴り上げた。即ち、
「――あんただよ! 今この中だとあんたが一番きれいだ! これでいいか!?」
――あはぁ。
髭擦くんの叫びと共に、狂った場所にある私の耳元で、また気色の悪い笑みが聞こえた。
これまでは目を向けても何も見る事は出来なかったけれど、今は違う。
耳と同じく狂った場所にある私の眼球が、今度こそそれを補足し、目撃していた。
――それは、唇だ。
私の耳のすぐ隣に人間の唇だけが浮かび、アルファベットのUよりも深く曲がった異常な笑みを形作っていた。
「――――」
その姿に、私の呼吸が一拍止まり――やがてその唇が開かれた。
真っ赤な肉の隙間にはあるべき歯や舌が無く、代わりに別のものが詰まっていた。
血管の張った丸い玉。
ぬらぬらと唾液に濡れた人間の眼球が、たくさん。
「……? おい、どうし――!?」
動かなくなった私が気になったのだろう。
ふと振り向いた髭擦くんは私と同じものを見たのか、顔を引きつらせ大きく身体を震わせた。
それが合図となったのかもしれない。
急にがぱりと唇が開き、眼球だらけの口腔から大量の糸のようなものが吐き出された。
視神経……とかだろうか。
それらは私や恐怖に慄く髭擦くんには目もくれず、通り過ぎ。ある一点を目指して伸びてゆく。
私の『親』が、立つ場所に。
「っ、逃げろ!!」
髭擦くんもそれに気付いたらしく、そう声を上げる。
しかし『親』は微塵も動じる様子も無く、変わらない鉄面皮でもってそれを受け入れた。
「先ほども言ったが、これは美しい顔を求めている。お前より美しい顔を用意出来れば、当然そちらへ向かって行く。……出来の悪い福笑いとなった今のお前と比べれば、誰であっても美形だがな」
『親』がよく分からない理屈を並べ立てる最中にも視神経は次々と伸び、その顔面の皮膚を突き破り潜り込んで行く。
途端、私と同じように顔のパーツが崩れ始めた。
整った顔があっという間にぐちゃぐちゃになっていくその光景に目を逸らしかけ、我慢して視線を留める。
……私もああなっていたんだろうな。
そう自覚し、改めて吐き気が昇った。
「……結局、少しでも多くの気を惹きたかっただけなのだ。だからこそ、たった三人しかいない今この場でもこんな手が成立する。付き合い続けるのも無駄だとは思わないか」
「…………」
私はそれに何も答えない。
まだ口がまともに動かないからだ、きっと。
「冷静に言ってる場合か!? あんた顔っ……お、俺の身体っ、どこでもいいから使って抑えろ!! 早くっ!!」
意味の分からないやりとりをする私達を他所に、髭擦くんは酷く焦った声を上げる。
そんな彼に『親』の零れかけの目玉がぎょろりと向いて、しかしすぐに下方へ滑り、
「あ――」
ぼたり。
糸のように細くなった皮膚が千切れ、二つの眼球が『親』の顔から完全に離れた。
そして一度一線を越えれば、また続く。
鼻、口、耳、髪――最早顔の部品だけに留まらず、『親』の頭部にあるもの全てが流れ、溶け落ちる。
その向かう先は、先程も見た目玉の詰まった唇だ。
いつの間にか私の耳元から移動していたそれが落下地点に陣取り、大きく口を開けていた。
――あはぁ、ぁは、あは、ははぁ、あはあぁ、ぁあ。
嬌声と共に、目玉や鼻が次々と唇の口内へと消えて行く。
そうして全てを平らげた唇は、いっそ恍惚ささえ感じる動きでゆっくりと収縮を繰り返す。
くちゃり、くちゃり。目玉しか無い筈の真っ赤な肉の内側で、おぞましい咀嚼音が響いた。
「……く、食われ、た……?」
髭擦くんが呆然と呟く。
そう、今この瞬間、私の『親』は頭にあるもの全てを食われたのだ。
後に残っているのは、まるで電球に溶けた肌色のゴムを流したかのようなものを首に乗せた、酷く不格好なのっぺらぼう。
見る事も聞く事も息をする事すら不可能となったそれが力なく地面に転がり、びくんびくんと跳ねまわり――やがて、止まった。
「ひ、ぐ、おえッ」
口を抑えて蹲った髭擦くんに、咀嚼を続ける唇の隙間から視線が向いた。
まぁ、当然だろう。
この場で一番に顔の整っていた『親』が居なくなったのだから、自動的に次の標的は二番目に顔の整っている髭擦くんとなるのだ。
私は自由になった両手で彼の背を揺らし、早く逃げるよう促そうとして……もうその必要が無い事を思い出す。
そう――『親』の死をもって、状況は終了しているのである。
――あはぁ、あは、は、んぐゅぶ。
その時、突然唇が嘔吐した。
吐き出したのは口内の眼球でも『親』の顔でもなく、黒く粘性のある泥のようなもの。
つい最近に私も浴びたようなそれを、唇はげろげろと吐き出し続け、止まらない。
――ぐぶぉ、ごぶ、ご、ろぉ、ぁば、おぅろ、ろ、ろ……。
酷く苦しそうに身を捻る唇をぼうと眺める私の耳に、以前に聞いたインク瓶の言葉が蘇る。
『簡単に言えば、君達は生贄の血統なのさ』
淡々と、それでいてどこか私を憐れんだような声だった。
『切られ一倍、返し朝雲――千切る魂雲を精霊とし、神と怪異に……君が言うオカルトへ捧げ鎮めるための力。人を呪わば穴二つ、とは少し違うかもしれないけど、分かるかな。つまりね――』
泥を吐く唇が大きく膨れ、醜く捻じれ上がっていく。
それは雑巾絞りにかけられて、無理矢理に中身をひり出されているようで、
――自分を殺した奴を、殺し返す。そういう風に出来ているんだよ、君達「魂」の家は。
びちゃり。吐き出される泥の中に眼球が混じり、地面を転がる。
幾つも幾つも、それは留まる事無く量を増し、気づけば泥よりも多くなっていた。
黒に濡れ、ぬらぬらとした光沢を放つ眼球の山。
唇はその頂点に最後の一つを吐き落とすと、直後にぶちりと捩じ切れた。
血飛沫のように泥が舞い、黒い雨となったそれが地面に広がる眼球達に降り注ぐ。
それは『親』を殺した事のしっぺ返し。
同時に、私への嫉妬と羨望の成れの果て。
……そう考えた事を察したかのように、落ちる眼球全てがぎょろりと私を睨みつけた。
「っ……」
血走った瞳を揺らしながら、眼球達は求めるように視神経を私へと伸ばし、しかし辿り着くとなく泥へと落ちる。
やがては眼球その物すらもが溶け崩れ、全てが泥の中へと消えてゆく――。
「 」
ゆっくりと広がる黒い水溜まりに、私は唇だけでその名を呼んだ。
そうして粘性のあるそれに『親』の死体が浸されていく様子をぼんやりと眺めていると、ぐいと腕を引かれた。
見れば真っ白な顔をした髭擦くんが必死に私を引っ張っている。
逃げよう、という事らしい。大概タフだなこいつも
「――……」
よたよた手を引かれる最中、足元にまで迫っていた水溜まりに私の姿が映り込む。
インクのような匂いを立てるその中に、いつもの私の美貌が真っ白に漂っていた。
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